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  作者: 小林マコト
第二部 賢王
102/131

7-4

 小さな鈴の音が鳴る。カスパールはそれに、ああ、と息を漏らすような声を上げた。


「リゼルヴィン、きっと、あなたは帰った方が、いい」

「お客さまですか?」

「ええ、それも、あなたが苦手とする人です。約束はあったのですが、少々、早まったようですね。……ああ、申し訳ない。会ってしまうでしょうけれど、許してください」

「……この広くて良く似た建物の中から、すぐにここに辿り着ける人なんて、あの人しかいませんね。大丈夫です、今はとても、気分がいいから」


 では、とカスパールが立ち上がる。リゼルヴィンもそれに続き、扉の前まで歩いた。


「あなたの頼みは、しかと承知しました。この私の身が滅ぶまで、必ず守ると、誓いましょう。しかし、私の身に何かあったときのことは、保証出来ません」

「それで構いません。お願いします、学長さま。今日は本当に、ありがとうございました。あなたに会えてよかった」

「リゼルヴィン、あなたが、道に迷わぬよう、神の光を」

「ええ、学長さま、あなたにも神の光がありますよう」


 別れの挨拶はいつもこうだった。元はカスパール独自のものだったが、いつの間にか生徒の中で広がり、この学校にいる者は常に「神の光を」で別れをしたものだ。残念ながら、リゼルヴィンには友と呼べる相手はその頃一人もいなかったので、ごくまれに教師に行ったくらいしか記憶にないが、それでも染み付いてしまっていた。


 門からここまではそう遠くない。とはいえ、比較的そうであるだけだ。普通なら、それなりに時間がかかる。


「では。……またいつか」


 はじめに上ってきた階段を下りる。下りは楽だが、高さが高さなので少々怖い。落ちるのには慣れていても、下りるのはまた別の恐ろしさがある。――もう二度と、上がれないような気がしてしまう。

 下に辿り着き、扉に手をかけようとしたとき、外からそれが開かれた。もう着いたのかと、歩く速さに驚く。


「……リゼルヴィン?」


 そこにいたのは、予想通り、アルベルト=メイナードその人だった。リゼルヴィンの珍しい姿を不躾にじろじろ見てくるのを、咳払いで諌める。


「奇遇ね、こんなところで会うなんて。扉を閉めたいから、早く入ってくれる? 私も早く出たいの」


 決して明るくはない内部に、アルベルトの後ろからもう沈みきってしまいそうな夕陽が差し込む。暗い、けれど鮮やかな赤は、アルベルトの赤い髪と目によく似て――


「――どうしたのよ、その目」


 よくよく見るのは久々で、だからこそ気付いてしまった。もっと見なくてはとアルベルトの顔に少し背伸びをして自分のそれを近付けると、やはり、いつもと違った。


「……リゼルヴィン」

「いつもと色が違うわ。あなたは、そう、夕陽みたいな眩しい赤の目をしていたはずよ。それなのに、今は違う……。茶色が強く出てるわ」

「リゼルヴィン」

「自然にこうなったのかしら? でも、そんなはずないわ。いろんな場面であなたの目を見てきたけれど、あなたの目の色が変わるなんて――」

「聞け、リゼルヴィン。いくらなんでも近すぎだ」


 言われてハッとする。夢中になってしまうと、どうも視野が狭くなって、それ以外のことを考えられなくなるのは悪い癖だ。

 慌てて離れ、外していた帽子を被って顔を隠す。恥ずかしいことをしてしまったと反省し、気を落ち着かせてからアルベルトに顔を向けた。


「ごめんなさいね。気になることがあると、つい夢中になってしまうものだから。魔導師の悪いところだと思ってちょうだい」


 苦く笑いかけてみても、アルベルトの表情は変わっていなかった。リゼルヴィンの前では、無か負かにしかならないのだ、この男の顔は。

 溜め息でも吐こうかとしたとき、アルベルトがじっとこちらを見ながら問いかける。


「何か、私の目がおかしいのか」

「え」


 つい間抜けな声を出してしまった。それくらいに、アルベルトが仕事でもないリゼルヴィンとの話を続けようとするのは珍しかった。


「え、ええ、ちょっといつもと色が違うわ」

「朝は特に変わった様子はなかったが」

「そうなの? なら、もしかしたら、何か魔法に関係しているのかもしれないわね。でも……いいえ、なんでもないわ」

「はっきり言ってくれるか。自分の身に起きていることは把握しておきたい」

「……特に言うほどのことでもないけれど。あなたの身に、何か魔法がかけられている可能性はとても高いわ。でも、私には何も感じられないから、おかしいなと思っただけよ」


 声に悔しさが滲んでしまったのは仕方がない。魔に関することは誰よりも、と思っていた。それなのに近頃は本当に鈍っている。もう一度カスパールの下で学び直した方がいいかもしれないと、真剣に考えるほどだ。


「お前でも、わからないことがあるのか」


 そこにあったのは驚きの色だけだった。いつもなら、苛立ちや嫌味くらいあるはずなのに。

 今までこんなに穏やかに、アルベルトと話をしたことがあっただろうか。なんとなく、気恥ずかしいような気がした。


「私にも、わからないことはあるわ。全知全能になんて、なれないのよ。なんでも出来る私だけど、あくまで私も人なのよ、きっと」

「そうか。魔導師と魔法使いの違いは、やはり難しいな」

「あら、全然違うのよ、私たちからしてみれば。でも、確かに普通の人にはわからないかもしれないわね。学長さまなんて、あれでいてただの魔導師なんだから」

「なるほど……少し、安心した」


 今の会話のどこに安心する要素があったのか。首を傾げていると、アルベルトがそれを見てふっと笑う。

 リゼルヴィンの前で、はじめて見せた自然な笑みだった。

 呆気にとられてどう反応すればいいのかわからなくなってしまったリゼルヴィンは、ただ固まったまま、アルベルトの目を見つめる。


「いや、お前はなんでも出来て、なんでも知っているのだと思っていたから、つい人ですらないのではと頭をかすめることがあってな。そうでなく、お前も人でしかないのだと思うと――私が何か手を貸してやれることもあるだろうと思えると、少し、安心した」

「……あなた、本当にあのアルベルト=メイナードなの?」


 いっそ気持ちが悪いくらいアルベルトに似合わない言葉だ。百歩譲っても決してリゼルヴィンに渡される言葉ではない。


 何か悪い物でも食べたのかと問おうとしたとき、リゼルヴィンの背後から声がかけられた。


「彼に、呪いがかけられているから、ですよ」

 


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