7-3
リゼルヴィンの力は大きい。アルヴァー=モーリス=トナーの存在により、リゼルヴィン自身も改めて思い知らされた。
骨にも魔力は詰まっている。リゼルヴィンの体の中で、魔力のない部位などないのだ。血を少し溢しただけでも一般的な魔導師ならその血をもったいなく思うほど。
そんなリゼルヴィンの骨を、誰も欲しがらないなんてことはありえない。奪われた右腕の骨から、一体何人のアルヴァー=モーリス=トナーが生み出されたことか。ほんの欠片だけで一人の人間の動力となるのだから、リゼルヴィンの全身の骨を使って出来ることがどれだけあるのか、リゼルヴィン自身もわかっていない。
「そんな私の骨は、世間を乱れさせるには充分です。私はそこまでは望んでいませんから、学長さま、あなたに私の骨を頼みたいんです。あなたなら、処分するにしろ利用するにしろ、万事うまく運んでくれるはずです。それだけの知恵と、力があるのですから」
「……酷な教え子だ。私が、何であるかも、知らずに」
「教えてくれないのは、あなたですよ。学長さま」
「ええ、そうですね。……それにしても、酷だ。リゼルヴィン、あなたに、私のことを、教えましょう」
そうして、カスパールは目を伏せた。一度離れたカスパールの手が、またリゼルヴィンのそれを捕まえる。
「これは、罪の告白に近しいものです。あなただけ、誰にも話しては、なりませんよ」
カスパールの目は悲しみに満ちていた。始めて見る彼の表情に、リゼルヴィンもまた、何か悲しい気がしてきた。
「私は、かつて、友の骨を呑みました」
友の骨を呑んだ。
その一言から始まったカスパールの告白は、骨を頼むと言ったリゼルヴィンに、あまりに深く突き刺さる。
「私は、私を含め、三人で世界を移ろっていました。長く、長く。けれど、ひとは必ず、死するもの。まず、一人、死にました。私と、残った友は、それを悲しみ、骨を拾いました」
二人になっても、カスパールらの旅は続いた。何故、何のため、何の目的があってやっているのかもわからない旅であったが、ただひたすらに歩を進めた。
やがて残った友も死んだ。それだけ過酷な旅であり、長い旅だった。死んだ友もまた、骨になり、カスパールは一人でその骨を拾った。
「私は、深い、深い、悲しみに溺れました。残されたのは、友らの骨のみ。しばらくは、それでも、彼らと共に、旅を続けました。それが、友らの望みであるように、感じられたからです」
旅は果てもなく続く。目的がわからないのだから終えようもない。
次第にカスパールの心は削られ、いつしか何もかもを見失い、生きたまま死んだようになった。
「そして、私は、私自身の死を見ました。体は生きているのに、心が死に、やがて、世界に身を溶かすのです。そのとき、私は思いました」
生きている限り、死からは逃れられないのだと。
「私は、限りなく、死に近付いていました。ちょうど、今のリゼルヴィン、あなたのように。けれど、私はそれに気付き、生を望みました。そして、あろうことか、友らの骨を砕き、酒に溶かして、呑んだのです」
「……それは」
「ええ、真っ当な魔導師でありたければ、決して行ってはならぬこと。死した魔導師の骨を、呑むことは、闇に紛れて行われていたとしても、真っ当に生きるならば、手を出してはいけない」
基本的には禁じられているそれは、しかし扱うのは魔導師だ。自らの欲に従い生きる者たちが多い中、規則を守らせるのは難しい。何より、下手に力を持った者であるのだから、証拠を残さずやり遂げられてしまう。
だからこそ、カスパールは生徒たちに強く言い聞かせていた。これだけは随分熱の入った言い方だったものだから、よく覚えている。
「私は、生徒たちに、本来ならば、教えを与えられるような人間では、ないのです。いくら、法で禁じられているわけではないとはいえ、決して行ってはならぬことを、行った。その事実は、残り続けている。それでも、リゼルヴィン、あなたは私に、骨を頼みますか」
言外に、お前の骨も呑むかもしれないぞと、カスパールは言う。
死んだ後に残る骨を呑むのは、魔法を操る者にとって、あまりに大きすぎる意味を持っている。骨が平凡な魔導師のものならばまだいい。だが、その骨がカスパールほどの魔導師であったり、リゼルヴィンやファウストのような魔法使いであったとしたら――呑んだ者に、骨に刻まれた魔にまつわるすべてが、流れ込むことになる。
古くは親から子へ間を受け継ぐために呑まれたという。けれど、呑んだ骨が身体に合わず発狂死することがほとんどで、精度は下がるが危険性の低い魔法式を用いる方法に変わっていった。今では、相当な事情がない限り、魔導師の間では禁じられている。
「……呑むなら、呑めばいいわ」
絞り出せたのはそれだけだった。呑みたいなら呑めばいい。いっそ、呑みたくなくても呑めばいい。そうすれば、カスパールのことだから、悪用することはないだろう。
カスパールが深い溜め息を吐く。
「そうきましたか……。私は、私の罪を、告白してでも、あなたを、引き留めたかったというのに……」
「申し訳ありません、学長さま。けれど私は、学長様になら、呑まれても構わないと思っています。あなたがどれだけ優れた魔導師か、知っているから」
カスパールの手を少し強めに握り返すと、彼はもう一度、溜め息を吐く。今度は、諦めの色が滲んでいた。
「私は、あなたの考えることまでは、わからない。心を読もうとは、思えませんから。ですが、私があなただったらと、考えることはあります。生を受けたその日から、生き方を定められた者としては、あなたの心を、少しはわかるような気が、したものだから……。私が、あなたであっても、同じ道を選ぶでしょう。わかってはいます。それが、最善であると」
あなたを見ているのは苦しい。
カスパールの悲痛な声に、何も言えなくなる。
「私も、生き方を定められた、一人でした。かつての私を見ているようで、あなたの危うさが、見ていて苦しい。どうしてそうも、捕らわれるのです。未だ私も、捕らわれたまま。あなたもまた、捕らわれ続けるのでしょう。イストワールは『黒い鳥』を逃さず、プロフェットもまた『黒い鳥』を逃さない。けれど、あなたほどの力があれば、何故、リゼルヴィン、あなたは……」
「学長さま、落ち着いてください」
「アクチュエルさえここにいたなら、きっと私も、あなたの力になれた。リゼルヴィン、あなたに、一つ、真実を教えます」
握った手から、震えと共に怯えが伝わる。かつてないカスパールの様子に、リゼルヴィンの胸にも不安が広がった。
カスパールの指がリゼルヴィンの左手の甲に、簡単な魔法陣を描く。ゆっくりと、時間をかけて書かれたそれは、手袋を越えて直接肌に刻まれた。
「きっと、今、この場で知るのは、都合が悪い。あなたの部屋で、結界をきつく張って、それからこの式を発動させなさい。部屋の中に、誰も入れては、なりませんよ」
「これは、何ですか」
「私の口からは、話せません。カスパールという存在は、かの王に、未だ捕らわれている。その鎖を外すことは、出来ない……。あなたも、もう、自覚しているはずです」
「ち、違うわ! 学長さま、それは誤解よ」
急に、冷たい手で心臓を掴まれたような気がした。
カスパールの手を払い、動揺のまま立ち上がったせいでカップの中に波紋が広がっていく。カスパールの目を見ることは、出来なかった。
「私は私の意志で動いています。あの方への気持ちは本物です。誰の指示も受けず、ただ、心の底からそう思っている、だからあの方のために動いてきたんです。思うことまでは、誰にも支配を許さない、私だけの自由です。だから、私は私の、私がそう思っているから」
つい先程まで感情に振り回されていたのはカスパールの方だったのに、彼はもう落ち着いていた。俯きながら叫ぶように話すリゼルヴィンを、じっと見ていた。
「思いまで奪われてたまるものですか。私はそう決めたから、私の思いは誰にも許さないことに決めています。陛下に対してもそう、私は私が、陛下のためならどんなことでもしたいと思えたから、それだけ陛下に救われたから、だから今もこうして」
「リゼルヴィン、顔を上げなさい」
静かな声に、つい言われた通りにしてしまう。
酷い顔をしていることは、リゼルヴィンが一番よく知っていた。鏡を見なくてもわかる。図星、とまではいかないが、リゼルヴィンにとってそれは疑ってはならないことの一つだった。そこを突かれて、平静ではいられない。
「……その顔が、何よりもの、証拠です。けれど、あなたが、それで構わないというのなら、それで構いません。あなたの思いは、あなたのもの。当然であり、決して当然ではないものです。あなたは、あなたのまま、そのままが一番です」
「……だって」
言葉を重ねていかなければ、沈んで元に戻れなくなる。けれど積み上げ過ぎたら崩れてしまう。何もせず、何も考えずにいることが最も楽な道だ。
わかっているけれど、リゼルヴィンはまた積んで、ぐらぐら揺れながら、下ばかり見て勝手に怖がるのだ。空を目指しているのに、空に届くのは怖い。だからといって、下で沈むのも怖い。
結局のところリゼルヴィンは救いようのない馬鹿なのだ。自分のために動くのなら有能である、他者のことなど構いはしないと思い込んでいなければ動けないほどに。頭がいいのだと自分に言い聞かせて、中身のない自信を得て、物事を力任せに解決することしか出来ない。
リゼルヴィンはそんな馬鹿なのだ。知っている。誰に言われずとも知っている。そして、馬鹿だとわかっていても治そうとしない愚か者なのだ。
「だって、陛下は私を救ってくださったから……」
目が熱くなる。過去にも、カスパールの前で泣いたことがあるのを思い出した。
シェルナンドのように父として接したわけでもない。その下にいたからといって、在学中は特別目をかけてくれた覚えもない。けれどカスパールは、いつだって教え子たるリゼルヴィンの味方をしてくれていた。それを思うと、涙を堪えられなくなる。
「それはそれで、いいのです。私が、悪いことをしました。許してください、リゼルヴィン。あなたを、大切に思っていることは、本当です。私の教え子、イストワールを探しなさい。彼女は、かの王を憎んでいる。あなたにとって、それは苦しいことかもしれません。けれど、彼女は私以上に、真実を知っている。あなたはそれを、知るべきだ」
道はその手が示してくれると、先程カスパールが魔法陣を描いた手の甲が、ほんのりと熱を持った。




