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月の入江  作者: 緋絽
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自己防衛の光

どうも。緋絽ともうします。

お久しぶりでございます。



いつからか、声が聞こえるようになった。

ーーーいつまで見ないふりをするんだ?

手を伸ばしたら、その手がとっぷりと呑み込まれるほどの闇の中で、幼子のように膝を抱えている自分の声だ。

ーーー本当に見えないんだ。

応えるランセルの声は、自分でも驚くほど頼りなく。

それにまた、どこからか響く自分の声は、何度も何度も聞いた質問を繰り返す。

ーーー本当に? あの時は見えたのに?

それを言われる度に、ランセルは何も言えなくなるのだ。


「どうすればいいわけっ、こんなのっ」

満足に近づけもしないんですけど!

後ろにキリカさんを従えながら、私はじりじりとランセルに近付こうとしていた。

けれど、その度にランセルがその巨体を揺らして暴れる。そして詰めたはずの距離がまた開くのだ。

まるで逃げるように。

正直、崩れてきた瓦礫をしのぐので精一杯です。

「ランセルっ、私がわかりますか! キリカです! どうか動かないで!」

キリカさんが何度目かの声かけをする。

それに気づかないようにランセルはまた暴れた。

幸いなことに、私たちに尻尾や火が直撃したりはしていないのだが、他の騎士達が文字通り死ぬ気で引き受けてくれているのだろう。

「クラモチ、一度退け! 今の彼には言葉が通じない!」

アルベルトが叫んでいるが、ここまできてそれはない。

いや、作戦的には賢いのだろう。

聞いた話によると、騎士団には対ランセル用の大きめの魔力制御装置があるらしく、今それを本部から持ってきてもらっているようだ。

このまま新しい魔力制御装置が到着するまで待つのが、本当は正しい。けれど、その使用許可をレオンがもぎ取ってきて、ここまで運ばれるのにどのくらい時間がかかる?

理性的じゃないのはわかる。時間がかかってでも、より確かな方を選ぶべきだ。その理屈はわかる。

ーーーわかるのと、選択するのとは、全く別の話だ。

瓦礫の崩れる音がうるさいのをこれ幸いと、聞こえなかった振りを決め込んで、私はキリカさんを背負って更に突き進んだ。

「ランセル! 止まりなさい! ……っ、この、止まれ!」

背中のキリカさんが最早怒鳴る勢いになっている。

若干キレ気味だ。怖い。

心なしかドラゴンも怯えているようだ。

彼女の仕事柄、とても大人しい人だと考えていたが、違うかもしれない。

よく考えたら真顔で人に水をぶっかける人が、ただ大人しいだけなはずはない。

ドラゴンが、一瞬だけこっちを見た。

後ろで息を呑む声が聞こえる。

彼女はその力で、何を読んだ?

「ーーー待ちなさいランセル・ホイットマン! 逃げるのですか!」

その絶叫は、言葉とは裏腹に悲痛な願いが込められているように思えた。

いなくならないで。

そんな風に。


遠くで響く声を、オレは知っていた。

ずっとずっと優しく響く、慈雨のような声。

会いに行けば、いつだって笑ってくれた。

この声の持ち主はーーーー誰だったか。

どうしてそんなに怒ってんだよ。

聞いてみたかったけど、声がでない。彼女の声を聞けば聞くほど、体は身動きができなくなっていく。


ーーーこのまま、何も見ないつもりか?

ーーー違う。見えないんだよ。

ーーーそうか。じゃあこのままオレが、すべてを見てやるよ。


ふと、強張っていた指先が動いた。


ーーーお前は何もしなくていい。オレが外を教えてやる。そうすれば、お前は見たくないものを見なくて済む。例えばオレの爪のせいで倒れた仲間も、敵も、ーーオレの姿を見て怯える彼女も何もかも。お前は傷つかなくて済む。自分を責めなくて済む。そうだろ?

ーーー…………そう、だな。


何も見なくていい。

それは、甘美な誘いに思えた。

例えば金をやるとか、地位をやるとか、そんな誘惑ならオレは耐えられた。まったく興味がないからだ。

けれど、この力で傷つけてしまう人がいること。それを直視すること。それは、オレの最も弱い部分をもろにボロボロにする。それがなくなるというのは、オレにとっての最大の誘惑だった。

ーーーそのまま目を瞑ってオレに預けてしまえばいい。簡単だぜ。()もそうしただろ?

ーーー前?

滅びた村。

記憶のない、一夜。

ーーーそうだ。前もオレがお前を守ってやった。お前を傷つけるものから、オレがお前を守る。

単なる誘惑なら、心が揺れたりしない。けれど響くオレの声は本当にオレを守ろうとしていた。脇目もふらずに、ただただ純粋に。

そこでようやく実感する。

自分の声を借りた他人の言葉だと思っていたが、これは紛れもなくオレのものだ。

周りを顧みない、自己防衛の声。

オレの、望み。

だから、それを受け入れようとして。

返事をしようとした自分の声をかき消すような、絶叫が聞こえた。

君の声が。


「私を置いて、どこに行くつもり!? まだ何も伝えてないし、伝えられてもいないわ! どこまで臆病なの!」

キリカは、気持ちが沸騰していた。

呆気にとられたように立ち止まったハルキさんから降りて、私はまろぶように駆け出した。

ドラゴンが虚をつかれたように激しく暴れだす。

ランセルの情報を受け渡してしまった。だからきっと、もし彼が自分の傍からいなくなるとすれば、それは彼の意思によるものではなく、あの銀髪の男のせいだと思っていた。

けれど、ドラゴンの瞳から、動きから、私は読み取った。

彼が、私から逃げようとしていることを。

体の奥底から、怒りや悲しみがない交ぜになったものが押し寄せてくる。

難しいことは抜きにしていい。この際大事なことは、そうーーー愛した男が意気地無しということだ。

「バカランセル! どうせその姿を見て、私が怯えるとか思っていたんでしょう! 見くびらないで、私はそこまで貴方と他人行儀に過ごしてきたつもりはありません! ……っ、このっ、意気地無しの唐変木! 口先だけでも、女のために元に戻るって言ってみなさいよ! 逃げたら金輪際お話ししませんよ、絶交ですよ、いいんですね!?」

愛してる。

ふと意図せずに踏み込むと、そっと隠される。

お酒を飲まないと、自分のことを話せない人。それも、かなり曖昧にしか。

正直に言ってこの能力がなければ、貴方の気持ちがわからなかった。一見飄々として見えるその立ち居振舞いは、自分を守るための鎧。自分の本当を晒さないことで、自分を守っている。

そうしなければならないほど、傷ついてきた人。

気がつけば、本当を探すのに必死になっていた。小さなことで良かった。どんな食べ物が好きで何が嫌いか。どんな本を好むのか。何に喜ぶのか。

それを見つけたときの、指摘されて驚いている貴方の顔が見たくて。

ーーーねえ、愛しています。貴方が何を好きで嫌いか、私には言わなくてもわかる。貴方が私のことを、どう思っているかも。

この力は、何も言えない貴方の“本当”を探し当てるために持って生まれた。本気でそう、信じてる。


なのに。


逃げようとしているとはどういうことだ。


烈火のごとく怒る私を見て、追い詰められたように動きの止まったドラゴンに、手を伸ばす。

「そろそろ、引きこもるのはやめてください。私は貴方を抱き締めたい。どんな貴方でも、愛しています。ここまで言って逃げるなら、もう、知りませんよ」

貴方を捕まえるのは、難しい。

だけど、待っているだけでは、貴方は遠ざかるばかり。

貴方の傍にいくためなら、どんな卑怯なことだっていってみせる。

触れた先から、溢れるように炎が噴き出しドラゴンを包む。

解けるように小さくなり、やがて人形になった彼が、私の手を握って踞っていた。

「キリカ、お前が考えてる以上にこっちには刺さってんだよ。……おかげで、逃げようにも逃げられねえだろうが」

震える声のランセルが、私を見て不貞腐れたように口を尖らせる。

私はその顔を見て笑った。

「“本当”のことでしょう? 臆病で逃げたがりのランセル」

私は、額に口付けた。


どんな貴方でも、見つけて必ず傍にいる。


ーーー逃げないのか。

彼女の叫びが、言葉として認識できた瞬間、オレがオレを必死に呼び止めた。

理由は明白だ。

オレが目を瞑ろうとしないから。彼女のーーーキリカの傍に行こうと体が動いたから。

まるでそれは、魔法のように。

ーーーここで逃げたら、男じゃねえ。

ーーー今更だぜ。どうせあの女だって、オレを傷つける。

ーーーキリカは、違えよ。

さっきまで縮み込んでいた気持ちが嘘のように真っ直ぐ立っていく。

ーーーどう違うんだ。根拠でもあんのか。

ーーー根拠なんか、そもそもいらねえんだ。傷ついたって、いい。傍にいてくれようとしたその気持ちに、報いてえんだよ。

この醜悪な姿を見て、それでもオレ自身を見失わないでいてくれた。

それだけで、十分。

とろりと濃かった闇が、急速に晴れていく。

ーーーもう、守る必要はないんだな。

眩しさに目を瞑り、次に開けた時、目の前にはキリカが笑っていた。

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