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月の入江  作者: 緋絽
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どうして?

お久しぶりです。緋絽と申します。

ようやく一段落です。




「───え?」

ともすれば狂暴にすら見えた目をぱちくりさせた男の手を払って両手で髪を鷲掴む。そして渾身の力で引っ張った。

はげろ! ハゲちらかせ!

「いた! 痛いよ!」

「誰もが羨むようなさらっさらな髪しやがって! どーせ私はあんたの銀髪みたいにおウツクシイ髪じゃなくてキラキラしてない黒髪ですよ! でも黒髪だってぬばたまという表現があるくらいアジアンビューティーなんだからなぁ!」

私の言葉にクッと男が目を見開く。

私は目の前の男に対する恐怖をすべて怒りに変えていた。そうでもしなきゃ、動けないと思った。



だから。

男に足を払われ、体制を崩したので体をうつ伏せに捻って頭を抱えた時。

一瞬、殺されるんだと思った。



まぁ。一瞬だけだったけど。

「君、今なんて……あれ?」

男が首を傾げる。

その男に地面に落ちるすれすれで抱き止められた私は、ビシリと固まっていた。

この、胸に当たっているモノは、何? しかも、片方に至っては完全に掴まれている。いや、掴まれるほどないから、ささやかに包まれていると言った方が正しい。

こいつ。一度目はこの私が直々に止めて未遂に終わらせたというのに、二度も同じ過ちを犯しやがった。

フルフル体が震える。

もうやだ。こいつ、どこまでも私をバカにしている。

「ハルキ、君って、女の子だっ───」

男が茫然とした様子でそう言いかけたとき、私は腕を振り抜いて肘で男の顎を狙った。

「わっ、うわわ、危ないなぁ!」

すんでで避けた男が私の腕を掴んで再び背中で拘束する。

「はーなーせー! あんたっ、イケメンなら何しても許されるとか思ってんじゃないでしょうね! いーわ、あんた自分の髪嫌いみたいだし、毛根絶滅するまでチマチマ一本ずつ毛、抜いてやるわよ!」

「ま、待って、わざとじゃないんだよ!」

「わざとじゃないで許すか、この──!」

肩を掴まれ振り返らせられた次の瞬間、頬に鋭い痛みが走っていた。

「うっ!」

頬を叩かれたのだとわかった。その勢いのまま地面に倒れ込み、ただ背中で腕だけは掴まれたままだったので、なんだか肩を痛めた気がする。

地面にポタリと血が落ちた。

「───」

「ハ……ハハハハハ! ざまあみろ! 二番隊の犬共め!」

男の呪縛から解き放たれたポッテーリ子爵の指と指の隙間に、小石が挟まっている。その手で殴られたらしいとわかった。

だから、こんなに、血が出るわけだ。

「……無駄に悪知恵だけ働かせやがって、」

もう一度叩かれる。同じところを叩くあたりがネチネチした性格を表している。

「黙れ格下めが! この私を罠にはめるなど、思い上がりも良いところだ! 貴様に何の権限があって貴族である私に話しかけている! ……私は負けん……!」

顎を掴まれ子爵と目を合わされる。顎を掴んでいるのとは逆の手が喉に絡み付いた。

爛々とした目が、この子爵の優越感を示している。

それが、私には恐ろしく映った。

私はポッテーリ子爵を睨み付ける。

一体、どうしたらこんな奴が生まれてくるのよ。

現代だって平等を謳ってはいたものの、やっぱり格差はあった。ただ、それは面と向かって言い放てるほどのものではなかった。───“お前は自分より格下だ”と。

奥歯を噛み締める。

こんな簡単に、命を奪える世界を。私は、知りたくなかった。

首を絞められて生理的な涙が出る。

苦しい! 首を振っても外れたのは顎の手だけだった。

「……ぅ」

誰か。誰でもいい。助けて。

霞む世界で、このまま死ねば、帰れるのかと思った。でも、───できれば、こんな風に死ぬのだけは、避けたかったなぁ。

「……子、爵」

私の腕を掴んだままの背後の男がポツリとこぼした。

さっきまで怯えていたはずのポッテーリ子爵は、男を見て勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべた。

「騎士団のクソ共など、貴様ら月下の亡霊カーストコードがいれば恐れるに足らんわ!」



嘲笑を浮かべていた子爵の顔に、どす黒い塊が張り付いた。



え?



「ひっ!?」

尻餅をついた子爵の顔からどす黒い塊が落ちる。それは何か防壁のようなものに阻まれたように滑り落ちた。

その際に絞められていた首が自由になり息が急速に入ってくる。私は大きく咳き込んだ。

護送前に子爵に掛けておいた無効化が発動したのだ。

問題は、何故発動したかだ。しかし、ある意味でその答えは簡単だった。つまり誰かが子爵に魔法で攻撃したのだ。それは誰か?


───どう、して……?


───どうして、仲間であるはずの子爵を、こいつが、攻撃するの?


「……ハルキ…今初めて、君の能力を忌々しく思ったよ………」

手の平をポッテーリ子爵に向けていた後ろの男が指を鳴らす。

今度は鋭く尖った闇色の何かが子爵に向かって飛んだが、再び無効化に阻まれる。

歯軋りの音が聞こえるようだ。


「ねぇ、ポッテーリ子爵。君が何を口にしたのか・・・・・・、そして、ボクの気に入った子に何をしたのか───よく、思い知ればいいよ」

後ろにいるので顔は見えないが、恐ろしいほど冷え冷えとした声音に我知らず体が震える。

何を口にしたのか? それは、つまり、ポッテーリ子爵が言ってはいけないことを言ったということ?

そうやって考えていたが、男が短刀のようなものを袖口から複数取り出したことで一気に引き戻された。

「やめて!」

背中で体当たりをしても多少揺らぐくらいでなんの解決にもならない。

どうしよう。ポッテーリ子爵が、殺されちゃう。

周りを見たが、ノックスもアルベルトも気絶していた。

どうしたらいいの?

「ごめんね。いくら君を気に入ってるからといって、これだけは聞けない。彼は、犯してはいけないことをしたんだよ」

だから、と男が微笑んだのがわかった。それが、嘲笑の色を帯びていることも。

「ひっ……! あぁ、た、助けて……!」

逃げようとしたのか、ポッテーリ子爵が這いつくばって背中を見せる。

「ばっ……!」

背中を見せるなんて! 倒してくれって言ってるようなものじゃない! いや、この場合は───死。

ゾッと鳥肌がたった。

「さよなら、ポッテーリ子爵。貴方はつまらなかったよ」

男が短刀を投擲したのが視界の端に映る。

私は、強く目を瞑った。



「───氷檻」



低い声が響いた。

続いて後ろの男の小さな悲鳴の後に突き飛ばされる。

「おわっ!」

気が付けば、視界が回って抱き上げられていた。

「───レオン!」

「口を閉じていろ。舌を無くしたくなければな」

レオンが指を鳴らす。

氷の獅子が一瞬で生まれて男に飛びかかった。

男が咄嗟にさっきの闇色の鋭く尖ったものを獅子にぶつける。が、新たに生まれた別の獅子が男に噛み付いた。

噛み付いた部分から男の体が凍っていく。

「くっ……!」

「お前のその髪、聞き覚えがあるな。名乗れ」

男がなんとか獅子を粉砕し飛び退いた。

「君は、レオン・カエンベルクか!」

男の言葉にレオンが片眉を跳ね上げる。男が放ってきた刺のようなものをレオンがヒラリとかわす。

その際に体が跳ねて顎を強かに打った。

ちょっと。上にいる人のことも、少しは考えてくれたっていいんじゃない!?

落ちそうになるのを首にしがみついて堪えると、合わせてレオンも私の腰を強く抱え直す。

「ほう? 俺を知ってるのか。悪党に名が知れているとは、俺もなかなかのものになったな」

その不貞不貞しい態度に、私は何故か安堵した。

こいつなら、なんとかしてくれる。

心の底からそう思った。

「あぁ、知ってるよ。ボクは、君があんまり好きじゃない」

「奇遇だな。俺もお前のようにいい歳こいて犯罪を犯す奴が好きじゃない」

レオンが再び指を鳴らす。獅子が三頭現れて男にジリジリと近寄った。

「安心しろ。凍らせて途中でうっかり割っても、死ぬ気で命だけは繋いでやる。まぁ、手足はないかもしれないが」

こわっ!

男が半分凍った体を引き上げて笑った。

「仕方ない。今回はこれでお開きにするよ。“凍れる牙”相手に、片目がない状態で挑むのは、無謀だしね。───じゃあハルキ、またね」

「! まっ、待て!」

男が指を鳴らした瞬間にまた新たな死人達が現れた。


そしてレオンが鬱陶しそうにすべてを凍りつくした時には、男の姿はすでになかった。








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