第一話 余裕のある男
宮前達也が「振子」を発見したのは、締め切りを三本同時に破った火曜日の午後だった。
三本というのは正確な数字で、比喩ではない。宮前は比喩で締め切りを破る男ではない。実務的に、几帳面に、順序よく、一本ずつ破った。破ったあとで、どれを最初に諦めるのが最も痛くないかを比較検討した。比較検討は三十分に及んだ。三十分あれば一本は書けたはずである。宮前はそのことに気づいていた。気づいていて、比較検討を続けた。ライターという職業は、こういう人間で構成されている。
商店街の端に、元歯科医院を改装したとおぼしき店があった。看板は手書きで、「振子」とあり、子の点がやや右に寄っていた。扉のガラスには「歯を大切に」というステッカーの剥がし跡が残っており、その上に「珈琲一杯 四五〇円」と貼り紙がしてある。歯と珈琲のあいだに何があったのかは分からない。
分かることは、椅子が多いということだった。
四人がけのテーブルが八つ。カウンターに六脚。壁際に予備が三脚。合計四十一脚。十二坪の空間に、四十一脚の椅子。客は宮前ひとりであるから、四十脚が空いている。四十脚の空席というものを、宮前はこれまでの人生で一度も見たことがなかった。見たことのないものを見た人間は、普通、驚く。宮前は驚かなかった。驚く余裕がなかったのではない。この男には、驚くという習慣が最初からなかった。
カウンターの奥に、背の高い老人が立っていた。白いシャツに黒いエプロン。姿勢が異常に良い。
「いらっしゃいませ」
老人は微笑んだ。目と口が均等に笑った。ここが重要だ。素人は目か口のどちらかで手を抜く。この男は抜かない。三十八年間みずほ銀行に勤めた人間の微笑みには、顧客の苦情を発生した瞬間に無効化する機能が実装されている。名を蛭田正三、七十四歳。宮前がそれを知るのはもっと後のことだが、事実なので先に書いておく。
ブレンドを頼んだ。蛭田は豆を挽き始めた。
店は静かだった。有線放送もジャズもない。豆を挽く音と、秒針の音。それだけである。
かちり。
かちり。
壁掛け時計だった。丸い、白い文字盤。何の変哲もない。午後二時二十五分。
宮前はスマートフォンを鞄から出そうとして、やめた。なぜやめたのかは自分でも分からない。壁に時計がある。それで足りる。時計があるのに、時計を見るために電話機を取り出す。この店では、それが何か重大な非礼にあたるような気がした。気がしただけだ。根拠はない。人間はこうして根拠なく何かをやめ、やめたことを忘れ、忘れたまま一生を終える。
コーヒーが来た。
「ごゆっくりどうぞ」と蛭田は言った。「お時間に余裕があるうちに、お楽しみください」
余裕。
宮前は苦笑した。余裕があるから来たのではない。余裕がなさすぎて、余裕のある場所にいられなくなったから来たのだ。カフェチェーンの隣席で若い男がオンライン会議をしている環境では、逃避に必要な「自分は存在していないという感覚」が得られない。その点、四十脚の空席は完璧だった。存在の希薄さにおいて申し分がない。
宮前は書き始めた。
すると、書けた。
これは異常事態だ。連載しているウェブメディアの映画コラム、テーマは「時間SF映画における自由意志の問題」、三千字。普段なら四時間かかる。ところが言葉が次々に出てくる。論理が繋がる。飛躍しない。退屈でもない。宮前は自分の才能が突然開花したのだと考えた。四十七歳の男が自分の才能の突然の開花を信じるとき、その男はすでに何かに感染している。
かちり。かちり。
ふと壁時計を見た。午後三時五十分。
まずい。編集者の柴田との打ち合わせが午後四時。場所は新宿。ここから四十分。つまり間に合わない。三時二十分に出るべきだった。三十分前に。
宮前は走った。荷物をまとめ、四百五十円を叩きつけ、駅まで走り、電車に飛び乗り、新宿に着いたのが午後四時三十分である。三十分の遅刻。柴田は温厚な男だが、時間にだけは厳しい。
その柴田が、店の外に立っていた。
打ち合わせ場所の——「振子」とは対照的な、洗練されたサードウェーブ系の——カフェの前で、スマートフォンを耳に当てている。空いた手が鞄の持ち手を握りしめていた。声が尖っていた。どこかで何かの事故が起きているらしい。
宮前は走った。走って、柴田の前で止まった。
止まって、息ができなかった。
汗が顎から落ちた。ワイシャツが背中に貼りついていた。鞄の中でパソコンの角が肋骨に当たっていた。四十七歳の男が、たかだか三十分の遅刻のために、駅から全力で走ってきた顔をしていた。
柴田が、その顔を見た。
二秒ほど、見た。
それから電話に「はい、はい、すぐ行きます」と言って、切った。
「宮前さん、すみません。急に別件が入っちゃって」
「いえ、こちらこそ、遅れて——」
「いいんです。走ってこられたんでしょう」柴田は少し笑った。「来週に延期でいいですか」
「もちろんです」
「実はですね」柴田は言いにくそうに言った。「今日、ちょっと重い話をするつもりだったんですよ。連載の件で。でも来週にしましょう。うん、来週のほうがいい。今日はなんていうか、気分じゃなくなっちゃった」
柴田はタクシーを止めて、行った。
宮前はその場に立ったまま、事態を分析した。分析はすみやかに完了した。「重い話」とは打ち切りである。月間PVが三ヶ月連続で下がっているのだから、それ以外に何があるというのか。宮前はそれを知っていた。知っていることを知られたくないので、打ち合わせに出るつもりだった。
そして、間に合った。
三十分遅刻して、間に合った。
宮前は翌日も振子に行った。
同じ席、同じブレンド、同じ秒針。今日は壁時計を意識的に確認することにした。入店時、午後一時十分。三時間後、午後四時十分。スマートフォンを見た。
午後四時五分。
五分。
宮前はカウンターに歩いた。
「マスター、あの時計、五分進んでますよ」
蛭田は微笑んだ。目と口が均等に笑った。
「ええ。進めてあるんです」
「わざとですか」
「はい。余裕は人を救いますから」
宮前は数秒、この男の顔を見た。蛭田は微笑み続けている。微笑みの奥では、三十八年間の窓口業務で鍛え上げられた無効化装置が、静かに稼働していた。
「五分の余裕があれば」と蛭田は言った。「コーヒーをもう一口飲めます。慌てなくていい。走らなくていい。五分というのは、ちょうどそのくらいの時間なんです」
蛭田はそう言って、エプロンのポケットの上を、指で軽く押さえた。何かを確かめる仕草だった。癖であるらしい。
宮前はそれを見た。見て、何も思わなかった。
席に戻った。壁時計は四時十二分。実際は四時七分。
ここで宮前は、人生で最も重要な五分間の思考をする。
昨日、自分は壁時計に騙された。騙されて、実際より五分早く店を出た。五分早く出たので、五分早く新宿に着いた。四時三十分。
もし壁時計が正確だったら。宮前は同じ「三時五十分」を、五分あとに見ることになる。五分遅く店を出て、五分遅く新宿に着く。四時三十五分。
柴田がタクシーに乗ったのは、四時三十二分か三十三分だ。
二分の差で、宮前は柴田に会えなかった。会えなければ、柴田は走ってきた男の顔を見なかった。顔を見なければ、来週に延ばす理由がなかった。理由がなければ、電話一本で済んでいた。「連載、今回で終わりにしましょう」。
五分が自分を救った。
正確に言えば、蛭田が進めた五分が、自分を救った。
そこまで言うなら、正確な時間のほうが、自分を殺そうとしていたことになる。
宮前は、自分が何に救われたのかを正確に理解したと思った。
思っただけである。
宮前はパソコンの画面右下を見た。午後四時七分。NTPサーバーと同期した、一秒の狂いもない時刻。その正確さが、急に、味気なく見えた。壁の時計のほうが——五分狂った時計のほうが——どこか正しいような気がした。
馬鹿な、と宮前は思った。時計は正確であるべきだ。五分進んだ時計は五分間違っている。それだけのことだ。昨日のあれは偶然だ。
だが翌日も行った。翌々日も行った。その翌日も行った。
振子で書いた原稿は出来が良かった。主観的にではなく、客観的に良かった。一週間後、延期された打ち合わせで、柴田は三本の原稿を読み、顔を上げ、「いいじゃないですか」と言い、「先週お話ししようと思ってたこと、もういいです」と言った。
打ち切りは撤回された。
三週間目の月曜日、宮前は商店街の花屋の前を通った。店先に小さな時計が掛かっている。午後五時十五分。腕時計はしていない——いつからしていないのだったか。スマートフォンを見た。午後五時十分。
花屋の時計も、五分進んでいた。
宮前は商店街を歩き、目につく時計を確認した。
花屋、五分進み。薬局、正確。八百屋、時計なし。不動産屋、五分進み。クリーニング店、三分進み。惣菜屋、正確。パチンコ屋、五分進み。集会所、五分進み。
半数以上が進んでいた。
偶然である。商店街の時計が正確であることのほうが異常なのだ。電波時計でもなければ、どの時計も多少はズレている。五分くらいのズレはどこにでもある。
どこにでもある。
その夜、宮前は自宅で原稿を書こうとした。書けなかった。
パソコンの時計は午後十一時二十三分。正確。完璧に正確。セシウム原子の振動が保証する、疑いようのない、寸分の狂いもない、一秒たりとも余分にはくれない時刻。一分が一分として過ぎる。五分が五分として消える。ここには余裕がない。正確な時間の中には、余裕というものが、一秒も、ない。
馬鹿な、ともう一度思った。
が、この「馬鹿な」は三週間前の「馬鹿な」とは別物だ。三週間前は「五分進んだ時計に救われたと思うのは馬鹿な話だ」という意味だった。今夜のそれは「正確な時計の前で原稿が書けないのは馬鹿な話だ」という意味だ。
否定の対象が、反転していた。
翌朝、宮前は自宅の電波時計を見た。午前七時〇〇分。正確。完璧に正確。
電池を抜いた。
長針を五分進めた。
電池を入れた。電波時計は受信を開始し、二十秒後に自動補正され、正確な時刻に戻った。
宮前は電池をもう一度抜いた。取扱説明書をダウンロードし、受信機能の停止方法を調べ、裏蓋を開け、小さなスイッチを切り替え、電池を入れ直した。午前七時〇五分。五分進んだまま、動き出した。
これでいい。
そう思ってから、宮前は自分が何を「いい」と思ったのかを考えた。時計を五分進めた。電波の受信を切った。日本標準時を拒絶した。国家が保証する時刻を、自宅から追放した。これは何だ。
これは何だ?
問いは頭の中に三秒だけ滞在し、それから消えた。消えたのは、壁の時計が七時〇六分を指していたからだ。実際には七時〇一分。五分ある。五分あれば、考えなくて済む。余裕は人を救う。この場合、救われたのは問いのほうではなく、問いから逃げた男のほうであった。
宮前は着替えて、振子へ向かった。
蛭田はいつもの微笑みで迎えた。目と口が均等に笑った。秒針がかちり、かちりと鳴っていた。壁の時計は五分進んでいた。宮前は窓際の席に座り、パソコンを開いた。
原稿は、すらすらと書けた。




