転生悪役令嬢は、さらなる悪役に攫われる
「おや、目が覚めたようだな」
蛇のような笑み。全身から溢れ出る気味悪さ。
「子涵王殿下……」
どういうつもりだと睨みつけると、子涵王は不穏な笑みを深めた。
「私が即位した暁には、そなたを貴妃にしてあげよう。皇后ほどではないにしろ、そなたも母親に似ているからな」
「馬鹿を仰らないでください、殿下。私は浩然の許婚ですし、陛下はお元気でいらっしゃいます」
「馬鹿はそなたの方だ、郭 琳霞」
距離が一気に詰められ、顎をくい、と上げられる。その瞬間、耐え難い生理的嫌悪感が沸き起こった。私に触れていいのは、あの人だけなのに。
「あのような若造よりも、私の方が余程皇位に相応しい」
「英明な陛下の公正なる治世は、多くの民に愛されていますわ。陛下ほど皇位に相応しい方はいらっしゃいません」
「黙れ、小娘が!」
乾いた音の直後、頬に鋭い痛みを感じた。
「私が皇帝になれば、蓬家以外の四大貴族は潰す。お前も奴婢に落としてやる」
興奮して二人称が「そなた」から「お前」に変わった子涵王が出て行くと、私はホッと息をついた。触られたままだと怖気が走って仕方なかったんだよね。
……状況を整理しよう。
恐らく櫻家の雹華さまの手引きによって、私は攫われた。子涵王の言葉から察するに、蓬家が子涵王の下についたんだろう。次期皇帝の野望はどうした? ってかんじだが、蓬大臣にはまだ未婚の娘が何人かいる。陛下の寵愛を取り戻すのは困難と踏んで、子涵王を皇位につけ、皇后を娘にしようとしたってところかな。櫻家は蓬家の派閥だから、雹華さまが私を攫ったのだろう。
わざわざ犯行現場を趙家の宴にしたのは、犬猿の仲の趙家に疑惑を抱かせるため、かな。多分。
さて、子涵王を追い払ったのは、単に気持ち悪いだけが理由では無い。
「……さてと」
窓の外を覗くと、三階建てだった。しかも下は断崖絶壁。うーん、これは普通に飛び降りたら死ぬな。
「ー緑よ、我が意に従え」
皇室と四大貴族は、それぞれ魔力を持って生まれてくる。
皇室が精神魔法。特に皇帝は「帝眼」を用い、全ての者を屈服させることができる。ただ、「帝眼」は龍神が初代皇帝に与えた能力。使い手が「帝眼」に相応しくないと判ずれば、その魔力に蝕まれ死んでしまうらしい。
趙家が風の魔法。蓬家が火の魔法。李家が水の魔法(水魔法の使い手でも優秀な人は氷魔法も使えて、浩然がその例)。
そして我が郭家は、地の魔法。植物魔法は、その派生版だ。
周りの植物を蔓にし、窓から下に降りていく。崖の下まで降りたら、どこか道を探せばいい。いつかは皇都にたどり着けるはず。私の中の植物の魔力が毒があるかないかを教えてくれるし、数日なら食べ物には困らないだろう。
スル。スルスルスル。
よし、あとは崖の部分だけー
「っ!?」
垂らしていた蔓が途切れたのを感じた。
「ははは、愚か者め! 一人崖で寂しく死ぬがいい、郭 琳霞!」
あの男、もう戻ってきてたのか! 刃物かなにかで切断された蔓は本来の機能を失い、私の体は急転直下した。
脳裏に思い浮かんだのは浩然の優しい笑み。私が死んだら、ひどく悲しませてしまうだろう。……ごめんなさい。
◇
「琳霞!」
目覚めると、凄みのある美形ーただ少し痩せているーが私の顔を覗き込んでいた。だれ?
「目が覚めたのか。ったく、崖に飛び降りるなんて無茶をして。落ちた先が草むらだったから良かったものの、一歩間違えれば死んでいたんだぞ?」
なんのこと?
「どうしたんだ? まだ体が痛いか?」
「いいえ、痛くありません」
「どうして敬語なんて使ってるんだ、琳霞」
「リンシャ? それが私の名前ですか?」
青年の笑顔がぴきりと固まった。
「私の名前がわかるか?」
「ごめんなさい。何もわからない……」
顔色を変えた青年は、近くにいた女性に「梓宸殿を呼べ」と命じ、私の手を握ってきた。
「君の名は郭 琳霞。そして私の名は李 浩然。君の許婚だ」
「いいなずけ……? いいなずけというのは、将来結婚を約束した人、ということですよね?」
「ああ、そうだ。決まったのは半年ほど前だが、私はずっと君を娶って幸せにしたいと思ってきた」
青年ーいえ浩然さまは、端正な美貌を悲しげに歪めて、「記憶が無い君にとっては少し不気味かもしれないが」と苦笑した。
「浩然! 琳霞が目覚めたのか!?」
「梓宸殿。それが……」
これまた綺麗な顔をした男性が青年に耳打ちされると、その顔がみるみるうちに厳しくなった。
「……琳霞。記憶がないんだね?」
悲痛な顔の男性に頷くと、男性は寝台脇の椅子に腰掛けた。
「私の名前は郭 梓宸。君の兄だ」
「……あに?」
「ああ。君はいつも、『お兄様』と呼んでいた」
「お兄様……」
男性ーお兄様に抱きしめられると、体がポカポカしてきた。これが兄妹、というものなのだろうか。
「浩然、妹を頼む。このことを藍洙に報告してくる」
「おまかせください」
浩然さまは、私が指折りの名家の娘であること、帝国を統べる皇帝陛下のお后が私の姉であること、浩然さまもまた名家の息子であることを教えてくれた。
「あの、一つお伺いしても?」
「ん?」
「浩然さまは、立派なお家の跡取りでいらっしゃるんですよね。私のような記憶の無い娘との婚姻はできないのではないですか?」
途端、浩然さまの眉が上がり、不機嫌そうになった。
「私は、君と結婚して君を幸せにすることが夢なんだ。もしこのまま記憶が戻らなくとも、跡取りの座は親戚に譲って君と一緒に田舎に引っ込めば済むことだ」
「え? それって通るんですか?」
「通るか通らないかじゃない、通すか通さないかだ。それより、呼び方。君はいつも私を浩然と呼んでくれていた。『さま』はいらない」
浩然さまは「返事は?」と半眼になったけど、こんなに見目麗しい青年に向かって、呼び捨ての上にタメ口なんてできるわけがない。「いや、ですが」とモゴモゴする私を見て何を思ったのか、浩然さまはニッコリ笑った。ただし、目は全く笑っていない。
「な、何をなさるんです!?」
「お仕置き」
あからさまなリップ音を立てて首にキスされると、自分がものすごくみだらな人間になった気がして、顔を覆わずにはいられない。だけど浩然さまは、それさえ許してはくれなかった。
「浩然さま、おやめください!」
「だから、呼び方に敬語。そんなにお仕置きされたいのか?」
今度は耳の裏を舐められて、恥ずかしくてたまらないのにどこかで嬉しいと感じる自分もいることに愕然とした。やだ、私ったら破廉恥なのかもしれない。
「は、浩然! やめて!」
なんとかその日はやめてもらったものの、急に呼び捨て&タメ口に慣れるはずもなく、一日に何度も恥ずかしいことをされるのが日常化するのだった。