ボトルネックブルース
その男、成田金五郎は冴えない風貌の中年男だ。
鼻の下の黒い髭に大きな口、まるで鳩が吃驚したような丸い目、浅黒い肌、頬と顎下は無髭であるが。。
そう、この男にポンチョなんぞ羽織らせて、その薄くなった縮れ毛の頭にソンブレロでも被せてみれば、
それはまさに「陽気なメキシカン」といった感じなのである。
そしてその容貌に、その言動であるとか、他人に対する態度であるとか、そういうものが組み合わせてみれば「下品かつ下劣」という名の肖像画が完成する。
であるから、言わずもがなであるが、その男の名前が、後世においても尚、その威厳と眩い輝きを失わずにいるのは、その容貌においてではない。
一公務員として社会人生活をスタートした彼は「海賊」という特殊な職業を経て、最終的には「救世主」と呼ばれる存在となった。
ちんちくりんのはげちょびんの似非メキシカンのおっさんは、至高の存在へと昇りつめたのだ。
宗教家としてでなく、科学者や政治家としてでもない。
智慧の泉迸るがごとく英明な宗教思想や人知を超えた奇跡の類、人知の高みにたつ超科学的発明や、国家的規模の人心の掌握やリーダーシップとか、
そういったものとは彼は無縁である。
むしろ対局にある。
こはいかに?
さよう、なんなれば、彼は、全人類を滅亡の危機に陥れた「あの外敵」に対して、敢然と立ち向かい、見事に勝利した大英雄なのである。
人類の勝利の象徴なのである。
そしてこの物語は、その大英雄と間近に接してきた一人の少年の回想から始まるのでした。
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202Ⅹ年5月 とある洋上にて
「そんなものまで持ってきたんですか?提督?」
少年は憤懣やるかたない。
そして半ば諦めたように、その英雄を、一応、自分の命を預けることを決意した相手を見やる。
提督と呼ばれた男、成田金五郎。通称ナリキン(自称・他称)はいそいそと
そー、いそいそと
ブルーメタリックのスチールギターのプラグをギターアンプに入れようしていた。
「ほんとはレスリースピーカーを持ってきたかったんだけどね。
あれは、大きくて重いからなあ。でもアンプは、せめて石でなくて球のにしたかった。
球は割れやすいけどね。」
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さていきなりではあるが、その少年は「童貞」である。
まだ16歳であるから、普通とも言えるし、真面目とも言える。
少なくとも、彼は自分ではそう思っていた。
しかしながら、ここでは少年の常識は通用しなかった。
そして彼は不用意にも自分が童貞であることは話してしまったのだ。
「え、お前、まだ童貞なの?ありえねー、きもっ、てかホモ?」
下品な中年男は繊細な少年の心に配慮などはしない。
「皆さん、大変ですよ~。ここに童貞がいますよ~、危険なⅮの一族ですよ~」
むしろ他人の心を抉るようなことを嬉々として言うことに無上の愉しみを感じる輩なのだ。
「提督!もうやめて下さい。そんな事、大声で」
「いいじゃん、いいじゃん、皆に行っておけば、お前の貞操を貰ってくれるやつとか現れるかもしれないじゃん」
「そんなの余計なお世話です!自分のことは、自分でやります。」
「お前はなんでも自分でやろうと思うな! って俺いいこと言っている!
今のナリキン的にポイント高いっ!あと、そうだ、お前のあだ名」
「あだ名なんてどーでもいいです。」
「お前のあだ名はチェリオで決定な。チェリーボーイのチェリオな」
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「おい、チェリオ!」
・・この呼び名に抵抗するには無視しかない・・・
そう心に決めた少年は、提督のほうには顔を向けずに気づかないふりをする。。
・・それにこんな女性がいる場所で、こんな呼び方するなんて・・・
ところでこの艦には5名の女性クルーがいる。
双子のオペ娘、給仕1名、看護師1名、そして提督の個人秘書1名。
ナリキンの個人秘書、新稲宮子の主たる業務は夜間における肉体労働である。
であるので、最近は宮子が艦橋に上がってくることはない。
上がってきたとしてもやるべきことがない。
ほんの数カ月前であれば、彼女は銀座、赤坂、西川口、ソウル、マニラといった街のいかがわしいお店からの請求書の山と格闘していたのであったのだが。
しかし今やそれもない。あるはずもない。
それらのネオン街も、いかがわしいお店たちも皆、深い海の底に沈んでしまったのだから。
そんな彼女だから暇つぶしにでもここに上がってきたのか?
彼女は、ナリキンの声に反応しない少年が気になったと見える。
「ねえ、チェリオくん、提督が。。。」
宮子はそう言いかけて口をつぐんだ。
少年の恨むような眼光の鋭さに気が付いたからである。
どうやら事態は少年の想像を越えた速さで悪化しているようだ。
下品で愚劣な上官に対する無言の抵抗だけで何ら解決にならない。
これは、迅速の対応をとらざるを得ない。
「提督!その呼び名はやめて下さい。その呼び名を使われる限り、返事はいたしませんよ。」
「え、だって事実じゃん!」
「事実であってもです。そもそも淑女たちの前でそんな性的な言葉を使うべきではありません。」
少年は割と頑なだ。
「淑女にしては、、、淑女にしては、、」
ナリキンはニヤニヤしながら淑女という言葉を繰り返し噛みしめる。
「淑女にして、みぃちゃんは、俺に知られすぎている。」
「私には、まだ提督がお知りにならない部分が残っているのですよ。」
「ああ、あれとかか。俺はそういう趣味はないね。」
「やったことないくせに」
・・宮子さんも割と攻めるなあ、、何言っているかはわからないけど・・
「知りたかないね」
なんか面倒くさくなったのはナリキンは投げやりになる。
「じゃあチェリオ。さしあたってお前のことを暫定的に小僧って呼ぶことにする。
なんだか順序が逆になっている気持ち悪さがあるのだけれど、
とても散文的な言い方に奇妙な違和感を覚えるのだけれど、
まあいいか。仕方ないか」
このおっさん、実は意外と物分かりはいいほうか?それとも単な気まぐれか?
「ごめん、チェリオくん、今後気を付けるねチェリオくん」
宮子が愛くるしい笑顔をむけてちょこんと頭を下げていう。
「私たちももうチェリオくんって呼ばないようにするねチェリオくん、PIPI」
お揃いで色違いうさ耳リボンという定番ファッションのオペ娘たちが続く。
・・最後のPIPIってなんだよ・・・
・・可愛いけど・・・
・・女性らしい可愛い仕草だけと思うけど・・・
この人たちは、バカなのか?バカなのか?
わざと言ってる感じではないのだけれど
「了解です。提督、ところで私を呼んだのは御用があったからではないのですか?」
「お、そうだ、そうだ、小僧」
そういってそのおっさんは、少年の顔前にやおら右手の中指を突き立てる。
「はあ?」
思わず、ファッキンとか言うのかと思った。
しかしおっさんの中指は小さな小瓶の口に挟まっていたのだ。
「これ、これ、お前さんの粗末なアレみたいだろ。これを何とかしたいいのよ。ママレモン持ってきてくれ。ママレモン。プチレモンじゃなくて」
見た事あるんかい、そう心で反論しつつも、少年は調理場に行き、ママレモンでもプチレモンでもない業務用スーパーのプライベートブランドの食器用洗剤を紙コップに滴らせる。
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10数分後。
そしてその少年の用意した液体によって、敬愛すべき提督様の御指にとりついていた小さな悪魔が
祓除されてしまったことを多くの人たちは悔やむこととなる。
はったりだったのだ。
レスリースピーカーとか、ちょっと専門的な事を言っていたのも勿論出まかせである。
あのおっさんは、他のあらゆる事柄と同じくして、、、
やはり前例の通りに、、、
スチールギターの演奏についても熱心な欣求者足りえなかったのである。
我が提督は、「アロハウェ」なるハワイの古い民謡の、それもサビの部分しか弾けない。
彼は小さな瓶を使ったギター演奏すなわちボトルネック奏法なるものに早々に飽きてしまい、
多分ドンキででも買ったと思しき「フックの爪」なるものを左手はめて、右目に黒眼帯をきめてその爪を弦の上に滑らせて、「これぞ海賊奏法なり」と得意げになっている。
でも弾くのはやはり「アロハウェ」。
延々と、そしてしつこくも、くどくとと繰り返される旋律はまるで
「たけや~~~~さおだけっ」
「いしや~~~~きいも、おいもっ」
のごとく、気にすれば気にするほど気になる。
耳朶を打つ不快な雑音の連続と反復なのだ。
しかしそれが全く単調であり、ある意味、周期や速度が変わることなく単調に繰り返されるものであれば、その他の騒音と同化してしまうものではあるのに。。
この騒音には目的と意思があるのだ。
他人を不快にさせる目的が、他人の不快を愉しもうとする意思が。
途切れたかと思うと、突如の再開、不誠実なシンコペーション、人を不安にさせるクレシェンド、
思わず尿意を催したくなるテンポルバート。
・・この悪意、この意思はまるでこの人の人生そのものだ。彼のいままで生き方を映す鏡ではないか?・・
・・不誠実で、意味がなく、他人を蔑み、不快を助長させる・・
少年はそう思った。
「ははは、そんなしょっぱい顔すんなや、チェリオよー」
あのおっさんに最も毒された男はそう語る。
・・この人だけは、まだチェリオって言ってるし・・・
砲術主任の笹田鎌足。
「ナリキンのあれは、俺の嫁の放屁やゲップ、そしてあれの時の声に比べれば、蚊の泣き声みたいなもんだ」
「相変わらず暇そうですね。笹田主任。」
「実際、暇だしな、このご時世、砲術主任なんぞ出番なんぞないさ」
それもそうだ
Uボードの時代ならともかく、潜水艦の艦砲の存在などは戦術的な意義などはもとよりありはしない。
それぞれ2門づつ装備された12.7ミリや20ミリの機関砲のほうがまだ気が利いている。
とういうかちゃんとした存在意義がある。
それは暇潰しに海鳥やイルカ、鮫などを相手に射って遊ぶのに役立っているからだ。
「しかしかつて我が敬愛する提督殿が不遜かつ悪逆な海賊の首領であった時分には、本艦砲は声高々にその存在を日々主張してやまなかったものさね」
遠い目をした砲術主任に別れを告げると少年はハッチを開けて艦外に顔を出し風にあたる。
そして変わってしまった世界の様子の想いをはせる
陸地の殆どが海の底に沈んでしまった世界。
ヒマラヤといった山々が海面からかすかにその頂きを覗かせている。
その他の部分、街や村、農園、森林、砂漠、、
この惑星を「地球」と呼ばしめていた所以をなすその空間は。。
その空間に営みを続けていた何千億という生物たちは。。。