97話
「ヒロヤ。私が旅に出てから良く眠ってしまうことと、何か関係があるかい?」
「そうだね」
「…私を無理やり眠らせて、何をしているんだい!」
「それは言えないかな」
「ヒロヤ!」
お婆ちゃんは信じられない! というように俺を睨んできた。
「話せないのは、俺の秘密を知ってしまうことで、お婆ちゃんを危険な目に合わせてしまうかもしれないから」
知らなければ、分からないで済む。
「俺と一緒にいるのが怖くなったら、ここから一時間ほど歩いた先に村がある。その村から馬車でも何でも探してハイセイを目指せばいいよ。お婆ちゃんひとりでも1日あれば着ける。ただし、120のマジックバッグ持ちだとは絶対にバレないようにして。危険だから」
老婆のひとり旅なんて襲ってくださいと言っているようなものだ。弱い者を狙う者に目をつけられたら最後だ。
「ヒロヤと…一緒に、いるのが怖い、とは思わないよ。こんなところで放り出されたら、私は困るよ」
お婆ちゃんは泣き出した。緊張と混乱、感情を強く揺さぶられたことでショックを受けたんだな。
「ただ、分からなくなっただけなんだよ。エックルの町を出てから一度も町や村に寄らないままずっと移動していて…目が覚めるたびに違う場所に来たような気がして…とうとう気のせいなんかじゃないと自分を誤魔化せなくなって…」
「ごめんね、お婆ちゃん。安全に、早く旅を終わらせたかっただけなんだよ。本当はきちんと説明した方がいいのは分かっている。…だけど、ホントに何も知らない方がいいんだ。俺も、知られない方がいいんだ」
1カ月かかる距離を1週間ほどで移動してしまったということさえ言わない方がいい。
「ハイセイの街に着いた後も、誰かに聞かれたら良く分からないと答えて欲しい。ずっと眠っていて、目が覚めたらハイセイに着いていたから分からない。そう答えるのが一番いいと思う」
「ヒロヤ…」
「言うかどうか迷ったけど、ハイセイの街の門の前でお別れしようと思う」
「ヒロヤ!」
「街に入ったらすぐに水路が流れていてね、そこから舟に乗るんだ。【フクロウの止まり木】に行きたいと言えばすぐ近くまで舟で運んでくれる。そこから宿まではホントにすぐ近くだし、ハイセイの街は治安がいいから短い距離をひとりで歩いていても心配ない」
アフターケアとして、宿に届くまで隠密でついて行こうと思っているけどね。
「ヒロヤ…悲しいことを言わないでおくれよ。嫌だよ…お別れなんて」
ほんの少しを先送りしたって、お別れはすぐそこだ。ハイセイまであと一日の距離まで来てしまったのだから。
「エミナルお婆ちゃん。ハイセイの街までの旅の、最後の夜だよ。今夜もしっかり眠って、明日に疲れを残さないようにして欲しい」
寝ている間に何が起きているのか分からない恐怖。それが分かっていて寝ろという俺はひどい奴かもしれない。寝たくない、起きていると言われてもいいとも思っている。別れが一日先から二日先にほんの少し長くなるだけ。到着が遅れるだけだ。
「ヒロヤ…。ヒロヤはどうしたい?」
「お婆ちゃんにしっかり寝てもらいたいよ」
「そうじゃない。本当に、ハイセイの街には入らないのかい?」
出来れば、会いたくないんだよなあ。キリジャはともかく、あのパワフル母娘には。芋ずる式に何が出てくるか分からなくて、怖いんだよ。
「宿の近くまで送るのは構わないよ。でも、宿の方たちに会うのも、紹介されるのも避けたいなぁ」
「何かあったのかい?」
「んー。悪いことじゃないんだ。ないんだけどねぇ…引き留められるのが目に見えているというか、こき使われそうというか…」
「こき使われるって…」
思っていた回答と違ったのか、お婆ちゃんはきょとんとしてから笑った。
「お婆ちゃんも会えば分かるよ。きっと退屈しないし、巻き込まれる毎日になる」
「巻き込まれる…どんな人たちだい」
楽しそうにお婆ちゃんが笑っている。その笑顔を見てホッとした。
「じゃあ、ヒロヤ。最後のお願いだよ。宿の前まで私を連れていっておくれ。それ以外、それ以上は…望まないし、もう聞かないから」
「分かった。エミナルお婆ちゃんをハイセイの街【フクロウの止まり木】の前まで連れていくと約束するよ」
「ありがとう、ヒロヤ。ありがとう…」
お婆ちゃんは俺の手をしっかり握りしめると自分の額に押し当てた。それがまるで祈っているみたいに見えて…俺の感情も揺さぶられた。
お婆ちゃんはこれまでと同じように安静の魔道具を使って眠ってくれた。
安眠スキルで深い眠りに誘導して、今夜も2時間だけ夜間飛行した。これ以上飛んでしまったら飛び越えてしまうかもしれないと判断して地上に降りた。
明日は野営地と決めたここから歩いて移動しよう。身体強化のワッペンをつけて歩けば、お婆ちゃんの足でもテンカカの町まで30分かからないハズ。そこからハイセイ行きの馬車に乗れば、昼過ぎぐらいには到着出来るんじゃないかな。
昼時は食堂が忙しいだろうけど、キリジャはフロントにいるだろうから時間は気にしなくてもいいか。
*
「おはよう、お婆ちゃん」
「おはよう、ヒロヤ」
目が覚め、また野営地が変わっていることにお婆ちゃんは気がついていても何も言わなかった。
「最後の朝だから、柔らかいパンを用意したよ」
「美味しそうだ。起きてすぐにヒロヤの美味しいご飯をもう食べられなくなると思ったら、寂しいねぇ」
「惜しんでもらえてうれしいよ。ちゃんと甘いものもあるからね」
干しアンズの代わりに干し柿のような味の果物を用意している。
「これも好きなんだよ。嬉しいねぇ」
「朝ご飯が終わったら、ここから歩くよ。30分ほどでテンカカという町に着くから、そこから馬車に乗るよ。そしたらハイセイの街に昼過ぎに到着する。いよいよ、キリジャさんと再会できるよ」
お婆ちゃんの瞳が揺れた。
「ヒロヤの…ヒロヤのリヤカーでギリギリまで行けないのかい?」
「ハイセイの街は観光地でもあるからね。人の行き来が多いから、ハイセイの街まで1時間ほど手前が限界かな」
「じゃあ、1時間歩くよ。ヒロヤと歩くよ。そのぐらいはしなきゃ。こんなに、楽をさせてもらったんだもの。キリジャにも旅をしてきたなんて言えないよ」
「……分かった。じゃあ、ハイセイの街の手前から1時間ほど歩くよ。途中で疲れたら休憩を挟みながら行こう」
お婆ちゃんの希望を叶えるため、少し予定変更だ。
リヤカーにお婆ちゃんを乗せて認識阻害をしっかりかける。お婆ちゃんは編み物をすることもなく、寝ることもなかった。ただ前を見たり俺の方を見たり…景色を楽しみ、間もなく終わる旅を惜しんでいるように見えた。
「この辺で最後の休憩にしよう」
リヤカーから降りてもらい、アイテムボックスに収納。
お婆ちゃんにはマジックバッグも肩から下げてもらって、認識阻害を解除。ここから先は誰からも見られると思った方がいい。
街道から少し離れた場所に小さな箱を二つ出し、野営コンロでお湯を沸かす。
「ハーブティでいいかな?」
「ヒロヤに任せるよ」
ハーブティーを飲んでいる間にも、何人もの旅人が通り過ぎていく。
「本当に観光地なんだねぇ。歩いている人も多くなってきたよ」
「そうだよ。街に入るのに少し待たされるかもしれないね」
あれからさらに活性化していたとしたら、予想は外れていない気がした。
「どうしようかな。軽く何か食べておいた方がいいかな」
昼過ぎ着になるかと思っていたが、ギリギリまでリヤカーを押して歩いてきたから11時には町の入り口に着くだろう。
「サンドイッチがまだあるけど、食べる?」
「いや、私はいいよ。食べ物が喉を通りそうにない」
いよいよ息子さんとの再会だものな。長い間離れ離れになり、死んでしまったのかと絶望すら感じたこともあったのだ。緊張もするよな。
「お婆ちゃん、甘いものならどうかな。とっておきのクッキーがあるよ」
セルビナさんやサレーナさんにも喜んでもらったクッキー入りの袋を出す。するとおいしそうな甘い匂いがしたのか、お婆ちゃんは鼻をクンクンさせた。
「なんだい、甘い匂いがするねぇ」
思わず受け取り、袋の口を開ける。するとますます甘い匂いが漂う。たまらなくなったようにクッキーをパクリ。大きく目を見張った。
「あんた、これ…」
少し離れたところを歩いている人に気がついたのだろう。お婆ちゃんはすぐにクッキーの袋をマジックポーチにしまった。人がいなくなってから、お婆ちゃんは囁いた。
「ヒロヤ。これ、砂糖が使われているよ」
「そうだよ。ハイセイの街のご領主の息子さんや娘さんが、砂糖の産地であるレルナ領のご領主様のところと縁組が整っていてね、ハイセイでは砂糖が手に入りやすいみたいだよ」
砂糖が手に入りやすいと聞いて、お婆ちゃんは目を輝かせた。
「でも、高いんじゃないのかい?」
「高いけど、他の町で買うよりは安いんじゃないかな」
他のといっても遠く離れたセルセラの街のことしか知らないけど。
俺は小腹が空いてきたのでサンドイッチをひとりだけ食べた。お婆ちゃんは周囲を見回し、恐る恐る2枚目のクッキーを食べた。
食べてにっこりするお婆ちゃん、可愛いなあ。いくつになっても、可愛いよね、甘いものを食べた後の笑顔って。
お婆ちゃんは結局、袋に入っていた5枚のクッキーを全て食べても名残惜しそうにしていたので追加でもう一袋渡しておいた。6枚目を食べたところで口をへの字にして、我慢しなきゃと顔に書いてマジックポーチにしまっていたのが妙に可愛かった。
「さて、そろそろ行こうか」
コンロもコップも箱も…全部片づけて、ハイセイの街へ歩いて向かう。
お婆ちゃんのマントには身体強化ちょっぴりのワッペンを張り付け済み。効果が切れる前に親子の再会が果たせるはずだ。
ゆっくり歩いて1時間弱。ハイセイの街に到着した。
「すごい…ねぇ」
俺が初めてここへきた時のように、お婆ちゃんはハイセイの街を見て驚いた。
幅広の河セルネージュが天然の堀の役目をしていて、街に入るためには大きな橋を渡る必要があった。大橋のたもとに関所のような守衛の詰め所があり、街へ入ろうと並んでいる人達の長い列が出来ている。
「これは時間がかかりそうだねぇ」とお婆ちゃんが小声でぼやいたけど、案外早く順番が来た。荷馬車や箱馬車に比べると、歩いて通る人の方が検問処理が早い。
「次。…ギルドカードは?」
「はい。護衛任務で来ました」
門番さんはベテランっぽい。
「ほぅ、その歳でもう紫か」
ギルドカートを見てからざっと俺の全身へ視線を這わせ、小さく頷いた。すぐ隣にいるお婆ちゃんが護衛対象者だと見てとって質問する。
「こちらへは観光ですか?」
「息子がフクロウの止まり木という宿で働いていると連絡が来て、尋ねてきたんだよ」
門番はもちろん、この街でも有名な宿のことは知っていた。
「息子さんが? 失礼だが名前は?」
「キリジャだよ」
彼の母親か、というように大きく頷いて門番はにっこり微笑んだ。
「ようこそ、ハイセイの街へ。申し訳ないが住民登録のない方には大銅貨2枚をいただく決まりになっているのだが」
「かまわないよ。大銅貨2枚だね」
俺は冒険者カードのおかげで無料で通れるが、お婆ちゃんは大銅貨2枚取られてしまった。
「すぐそこの水路から小舟に乗れば宿の近くまで行けるから、利用されることをお勧めする」
「ご親切にどうも」
お婆ちゃんは門番に礼を言って、俺の袖を引いた。
「ヒロヤと同じことを言っていたね」
「そうだね。水路から見る景色が素晴らしいから、小舟に乗るのはおススメなんだよ」
「そうかい。じゃあ乗ろうかね」
大きな橋を渡り切って町に入ると、すぐ近くに水路がある。以前にはなかった観光案内所が出来、多くの観光客がそこで足を止めている。
その水路の端に何槽もの小舟が停まっていて、近付いていくとすぐに声を掛けられた。
「そこのお二人さん、乗って行かないかい?」
水夫帽をかぶった水夫に「フクロウの止まり木という宿まで」と応じて銅貨4枚を出すと「すまない、今は5銅貨になっているんだ」と言われた。
「以前より観光客が増えたみたいだね」
「そうなのさ。ありがたいことだ」
しゃべりながら舟へと渡る足場板を掛けてくれている。そしてお婆ちゃんに向かって手を差し伸べた。
エスコートされるのに一瞬戸惑ったみたいだが、お婆ちゃんはすぐに水夫の手を取って一歩を踏み出し、舟に乗った。
俺は自分でささっと乗らせてもらった。
「真ん中が一番揺れにくい。…岸から離れるときだけ少し揺れるからな」
いつか聞いたのと同じ注意をしてから、水夫は舟を水路へ滑らせるように進めた。
水路には綺麗な青い旗がアーチを作り、その下を何艘もの小舟が進んでいく。一方通行にした方が水路が混み合わないとアドバイスしたことが生かされていて、片側通行になっていた。
「初めて見る光景だねぇ」
楽しそうに、お婆ちゃんが旗のアーチを見上げる。
複数の人達が乗っている舟もあれば荷物を載せた舟もあるから、観光客以外も通っているかもしれない。
「この水路の両側も見ておくれ。綺麗な花でお客さんを出迎えているんだ」
「ホントだねぇ。綺麗な花が並んでいる」
「時期によって黄色や赤、色鮮やかな花が並んでいるから、それはもう綺麗なんだよ」
うん、花の色を揃えるというアイデアもいいね。
「この街がますます観光客に愛される街になったのは、風の賢者様のおかげなんだよ」
思わず、挙動不審になってしまいそうになった。
「風の賢者様?」
「そうさ。これから案内する【フクロウの止まり木】と領主様のところは風の賢者様が訪れた場所だって、新たな名所になっているんだよ」
…女将さん……商魂逞しすぎるよ。なんだよ、新名所って、聖地巡礼じゃあるまいし…ますます顔を出しずらいじゃないか。いや、絶対に行かない。
「【フクロウの止まり木】が新名所…」
知らん顔をして、景色に見とれているフリをする。やがて、舟は岸に着いた。
「ここで降りて、通りをまっすぐ行くとパン屋がある。角を左に折れてしばらく歩くと【フクロウの止まり木】に着く。…気をつけてな」
舟を岸へ着け、踏み板を掛けてくれる。
お婆ちゃんから先に舟から降りてもらい、あとに続く。
「お婆ちゃん、着いたよ」
【フクロウの止まり木】は3階建てのレンガ造りの建物だ。両隣が2階建てなので頭一つ飛び出した感じだ。
「ヒロヤ…」
「ありがとう、お婆ちゃん」
エミナルお婆ちゃんと出会えたこと、忘れないよ。
「ヒロヤ、こちらこそ…ありがとう。随分と、世話になったねぇ」
お婆ちゃんの瞳がうるんできて、焦る。ここで泣かれたら、立ち去りにくくなる。すぐそこに危険な人たちがいるのだ。気が気じゃない。
「息子さんに早く会いに行っておいでよ。お嫁さんにも会わせてもらわないと、ね?」
離れていた寂しさを早く埋めて欲しい。すぐそこに、これまで足りなかった家族というピースがある。欠けた心の隙間はすぐに埋まるだろう。
「ヒロヤ…」
お婆ちゃんは俺に抱きついてきた。
「血の繋がらない、私の息子。そんな風に思ってしまうのを許しておくれよ」
「エミナルお婆ちゃん…」
「ありがとうね、ヒロヤ。これで…多分お別れだね」
残念だけど、再会をはっきり約束できない。
「………」
「いいんだよ。でも、ヒロヤ…元気でね。死ぬんじゃないよ。少なくとも、私より先に…死ぬんじゃないからね」
「お婆ちゃん…」
そのくらいは、約束してもいいかな。約束できるかな。
「分かった。約束する。エミナルお婆ちゃんより長生きするよ。お婆ちゃんもひとつ約束して。一日でも長く、生きていて欲しい。息子さんや新しい家族と一緒に、笑って過ごしてね」
どうか、素敵な毎日を。セルセラの街で一人ぼっちで過ごした夜はもう訪れないのだから。
家族といっぱい話して、いっぱい笑って…穏やかに過ごして欲しい。
「さよなら、ヒロヤ」
「さようなら…エミナルお婆ちゃん」
そっと身を引いて離れる。お婆ちゃんも一歩下がって俺から離れた。
大きく深呼吸して、背を向ける。見送ってくれるお婆ちゃんには悪いが人波に隠れるようにして認識阻害スキルを発動する。
…ああ、終わった。
ハイセイへの旅が。
そして、セルセラで生まれた冒険者ヒロヤが…姿を消す時が来た。
ほとぼりが冷めた頃に再び冒険者ヒロヤとして活動する日が来るかもしれない。
でもしばらくは…そっと封印しておこう。
出会いの数だけ別れがあった。
しばらくは…ひとりで気ままに、のんびり過ごしたい気分だ。そう、ひとりで…周りのことを気にせず、静かに暮らしたい気分だ。
……と、自分的にはカッコよく決めて立ち去ったのだが、はたっと気が付いたよ。うっかりミス、に。
迷ったのはほんのしばらくの間だけ。溜息ひとつついて、立ち止まった。
…さて、どうするか。このまま心残りとして持ち帰るわけにはいかない。誰かに頼む…のもなぁ。預ける物が物だ。マジックバックごと持ち去られてしまっては困る。
仕方がない。隠密モードでこっそり置いてくるか。
認識阻害をかけたまま引き返し、しばらく様子を伺う。物陰でマジックポーチを巾着袋のひとつに入れ、持ち主が分かるようにエミナルお婆ちゃんの名前を書いた布を分かりやすく縫い付けた。
話し声がしたため宿の裏手に回ると、勝手口に洗濯済みのシーツなどを詰めた箱を配達しにきた男とジルハ少年が話している。これ幸いと隠密モードで近付いて、箱のひとつに…名前をわざと下向きにした袋を静かに載せて置いてみた。袋にはそれぞれ部屋番号らしき数字が書いてあり、偶然にも大きさが似ている。
俺のしていることは気が付かれなかったようで、配達人は受け取りのサインをもらうとすぐに帰っていった。少し離れたところからなおも様子を伺っていると、下働きに新たに雇い入れられたのか成人して間もないような年頃の少年が現れて、勝手口から荷物を次々と運び入れていく。
「……」
問題なく中に運び入れられたことを確認し、そっとその場から離れると今度こそハイセイを後にする。
「おーい、待ってくれー」
突然。そんな声が後ろから消えてきて、驚き立ち止まった。
「ランチボックス2つー!」
…な、なんだ。俺じゃなかったのか。そうだよな。万が一を考えて認識阻害したまま歩いていたんだものな。
「いつもありがとうございます!」
ランチボックス売りをしている女の子が嬉しそうに、水路に舟を寄せてとめた水夫に笑いかけている。以前はなかった光景だったが、今はもうなんでもない日常に変わっているのかもしれない。
「ありがとうございましたー!」
「おう、こちらこそありがとよ!」
活気づいたハイセイの街に元気な声が響く。日常の足だった舟が新たに観光客を乗せて水路を行き交い、地元の人たちが育てた花や笑顔が訪れた人々を暖かく迎え入れる。
エミナルお婆ちゃんも、きっと笑顔いっぱいの毎日を過ごすことだろう。
ハイセイを巡る水路を吹き抜ける風が遊ぶようにマントの裾をそっと揺らして…すぐにどこかへと消えていった。
END.
第2部これにて終了です。
長らくのお付き合いを頂き、ありがとうございました。




