第5話 男を連れ出すなんて(NSD)
薬局を出て、路地へ入ってからも、ユウの耳はずっと外の音を拾っていた。
足音。
瓦礫の擦れる音。
遠くで鳴く、あの“モンスター”の低い声。
ナギは先頭を歩き、短い指示を小声で飛ばす。
ミサがフウの腕を支え、レンが後ろを振り返って警戒する。
アキは苛立ちを噛み殺したまま、ユウを時々横目で見た。
ユウはその視線が気になって仕方がなかった。
助けた。
助けたはずだ。
でも、助けた瞬間に「仲間」になるわけじゃない。
むしろ、助けたせいで“価値”を持った。銃を撃てる。回復薬を持っている。体内端末がない。――全部が、今この場では危険な情報になる。
「……送信って、どうなったんだ?」
ユウが小声で聞くと、ミサが首を振った。
「完全には止められてない。ローカルネットに繋がってる時点で、記録は残る」
ナギが吐き捨てるように言う。
「“弊社”は、こういうのだけはしぶとい」
その言い方に、ユウは喉を鳴らした。
“弊社”。
企業が残ってる世界。国が消えてる世界。
なのに、会社だけは、まだ笑顔で“サービス”を売ってくる。
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保護対象。
安全度。
確率。
全部、同じ匂いだ。
路地を抜けて、少し開けた場所に出た。
崩れた高架の下、半分埋まった車の群れ。遠くに見えるのは、形が残った建物の影。そこに拠点があるのか、と思った瞬間、ナギが手を上げた。
「止まる」
全員が止まった。
ナギが顎で通りの方を示す。
「……あそこ」
ユウも目を凝らす。
さっきの戦場の通りだ。
倒れた盗賊が一人、まだそこに横たわっている。モンスターが食い散らかした方じゃない。ユウが脚を撃って、動けなくした男――と、ユウが思っていたやつ。
ナギは短く言った。
「確認する。置いていった弾と、奪われると困るものがある」
「弾薬?」
レンが頷く。
「盗賊は、弾が尽きたら別の手で奪いに来る。ここに残ってるなら回収したい」
ミサがフウに囁く。
「歩ける?」
「……まだ痛いけど、大丈夫」
フウは腕を一度動かし、表情を強くした。回復薬が効いているのは確かだ。効きすぎるほどに。
ナギがユウを見る。
「お前はどうする」
どうする、って。
ここまで来たら、単独行動は危険だ。
でも通りに戻るのも危険だ。
ユウは拳銃を握り直した。
「……行く。俺が撃った相手だ」
その言葉に、アキの目が一瞬だけ鋭くなった。
責めるような視線ではない。確認するような目だ。
――お前は何者だ。
――どこまでやれる。
――どこまでやる。
ユウは、答えられないまま歩き出した。
通りに近づくと、空気の匂いが変わった。
血の匂い。
鉄の匂い。
そして、焼けた火薬の匂い。
ユウの胃が、ひゅっと縮む。
倒れている“盗賊”は、全身を布で覆っていた。
フード、マスク、手袋。肌がほとんど見えない。顔も見えない。身体のラインも分からない。
あの場では、男だと思った。
声が低かった。
動きが荒かった。
そして、あの瞬間――“男に見えた”。
ナギが近づき、足元の銃を拾った。
落ちているのは安物の拳銃。古い。擦り傷が多い。
「……弾、残ってる」
レンが周囲を見て、瓦礫の陰に落ちたマガジンを見つける。
ミサは足元の血痕を見て、眉をひそめた。
「この傷、私たちのじゃない」
フウが小さく呟く。
「……あいつの血」
ユウは、その布の塊から目が離せなかった。
自分が撃った。自分が当てた。自分のせいで、ここに倒れている。
アキが鼻で笑った。
「ほら、言った通り。甘いことするからこうなる」
「……うるさい」
ユウの声が低くなった。自分でも驚いた。
怒りではない。怖さが怒りに見えるだけだ。
ナギがアキを黙らせるように手を上げて、倒れている相手の前にしゃがんだ。
「顔、確認する」
ユウの背中が硬くなる。
「……やるの?」
「やる」
ナギの声に迷いがなかった。
「身元、所属、端末の有無。全部“生存”に関わる」
ナギは手袋越しにフードの縁を掴み、ゆっくり引く。
布がずるりと剥がれた。
マスクの下から、顔が現れる。
ユウは息を止めた。
――女性だった。
若い。二十代くらいかもしれない。頬にそばかす。口元に乾いた血。
目は半開きで、焦点のないまま空を見ている。
「……え」
声が漏れた。
男だと思っていた。
でも、男じゃない。
ナギが淡々と言う。
「ほらな」
レンが短く頷く。
「外で暴れてるのは、ほとんど女だ」
ミサが小さく息を吐いた。
「……だから言ったでしょ。男なんて簡単に連れ歩けない」
ユウは頭が追いつかなかった。
「待って。じゃあ、さっきの三人も……」
アキが吐き捨てる。
「そう。女。男みたいに見えた? それはあんたの“昔の常識”がそう見せたんだよ」
昔の常識。
ユウは喉が乾くのを感じた。
自分の常識が、もう通用しない。
けれど――それなら、なおさら疑問が強くなる。
「……なんで?」
ユウは言った。
「なんで、女が外で盗賊みたいなことしてる? いや、そうじゃなくて……」
言葉が絡まる。
「旅するの、危ないだろ。五人とも女なんだろ? さっきだって、盗賊に襲われた。普通、護衛とか……男を連れて――」
そこまで言った瞬間、五人が同時に固まった。
え?
本気でそう言ってるの?
そんな顔。
アキが先に口を開いた。
「……は?」
ミサが信じられないものを見る目で言う。
「護衛の……男?」
レンが小さく笑った。笑ったというより、呆れた息だ。
「お前、いつの世界から来た」
ユウは反射で言い返す。
「いやいや、こんなところで旅なんて危ないだろ! いくらなんでも! 俺も記憶がないから常識は分からないけどさ、警察もいないところで旅するなら、護衛で男性を連れないと、ああいうことが――」
ナギが、低い声で遮った。
「男なんて、連れ出せるわけない」
ユウの口が止まる。
ナギは続ける。
「企業や都市の上層部の許可なく、男を護衛で連れ出すなんてできるわけないじゃない」
ミサが補足するように言う。
「男は“個人”じゃない。資産に近い」
「……資産」
ユウは唖然とした。
「どういうことだよ。男だけ外出できないってことか?」
アキが吐き捨てる。
「できない、じゃない」
レンが静かに言った。
「出す意味がない。出したら死ぬ」
ユウの背中に冷たいものが走った。
「死ぬ……?」
ナギが、倒れた盗賊の女の顔を戻すように布をかけながら言った。
「知らないの?」
ユウは首を振った。振ることしかできない。
「記憶喪失だ。だから教えてくれ。なんで男が外に出られない。なんで許可がいる。なんで……資産なんだ」
五人の空気が変わった。
さっきまでの警戒とは違う。
もっと根っこの、嫌なものに触れたときの空気。
ミサが、言葉を探すようにゆっくり言う。
「文明が滅びたあと……例の現象が起きた」
「例の現象?」
レンが引き継ぐ。
「世界中で、男が突然死する」
ユウは、理解できないまま固まった。
「……は?」
アキが、当たり前のことみたいに言う。
「そうそう。ネットワークを発展させると、男だけ突然死するやつ」
ユウの頭の中で、言葉が何度も跳ね返る。
ネットワーク。
発展。
男だけ。
突然死。
「……何、それ」
ナギが吐き捨てるように言った。
「全ての元凶だよ」
フウが小さく続ける。
「ネットワーク不審死事件」
ミサが言う。
「通称……NSD事件」
その略称が、やけに現実味を持って胸に落ちた。
事件名がある。通称がある。社会問題として扱われている。
つまり、作り話じゃない。
ユウは喉を鳴らした。
「男が死ぬせいで……ネットが発展できない?」
レンが頷く。
「進めば進むほど、男が死ぬ。だから止めた。止めざるを得なかった」
「じゃあ、女は?」
ユウの問いに、ミサが肩をすくめる。
「女は死なない。少なくとも、同じ条件では」
アキが苛立ったように言う。
「だから男は管理される。都市や企業の“内側”に置かれる。ネットに触れさせない。外に出さない。許可が必要。……分かる?」
分からない。
分からないのに、筋だけは見えてしまう。
男が死ぬ。
だから男は守られる。
守られる代わりに、閉じ込められる。
資産として扱われる。
「……それ、何が原因なんだ?」
ユウが聞くと、ナギは首を振った。
「誰も分からない。だから怖い」
ここで、ユウの頭の中に、別の思考が走り始めた。
――ネットワークの発展。
2030年の記憶の中で、ネットは当たり前だった。
Wi-Fi。クラウド。AI。
端末は手の中にあって、身体の中になんて入っていない。
でもこの世界では、端末は体内にあるのが普通で、薬すら認証を求める。
だったら、ネットワークの形そのものが違う。
発展しすぎて、人体への影響が考慮されない方向に進んだ可能性がある。
例えば――
生体通信。
体内端末が常時送受信する電磁的な負荷。
それがある閾値を超えると、男性の何か――ホルモン? 免疫? 脳の構造?
そこにだけ致命的に刺さる。
あるいは――
端末が“侵入”する過程。
埋め込み手術。
認証。
薬の投与。
ネットワークとの接続。
その経路を通して、ネットワーク経由で感染するウイルスが生まれた可能性もある。
ウイルス。
ソフトウェアの。
でも、ここでは“生体”に刺さる。
端末が身体の一部なら、ネット上の感染は体内の感染になる。
そういう世界なら、男だけが死ぬ“バグ”が存在してもおかしくない。
ユウは背中が冷えた。
(どれくらいの人が埋め込んでる?)
体内端末を持つのが“普通”。
つまり大多数は埋め込んでいる。
でも、薬局の貼り紙には「端末停止中は投与禁止」とあった。
停止できる。停止する人がいる。つまり、全員が常時接続じゃない。
都市の上層部だけがフル機能を使っているのか。
企業区域の中だけが高密度ネットなのか。
三つに分断されたネットのうち、どれが危ないのか。
分からない。
分からないのに――自分は、ここにいる。
体内端末がない。
ミオに「未実装」と言われた。
(だから俺は生きてる?)
そう考えた瞬間、喉が詰まった。
もし「端末がある男が死ぬ」なら、未実装の自分は例外になる。
例外は、必ず狙われる。
実験される。
管理される。
閉じ込められる。
利用される。
ユウは無意識に一歩、後ろへ下がっていた。
ナギがそれに気づいたのか、視線を鋭くする。
「……ユウ」
「……何」
ナギは一瞬だけ黙ってから、低く言った。
「この話は、外でするもんじゃない」
レンが周囲を見回す。
「聞かれてたら、詰む」
アキが不機嫌そうに付け足す。
「男が歩いてるってだけで詰むのにね」
ユウの胸が痛い。
「……じゃあ、俺は」
言いかけて、止めた。
答えは分かってしまう。
ここで答えを聞いたら、もう戻れない。
ナギが短く言う。
「動く。今すぐ拠点へ」
ミサがユウを見た。
その視線は、さっきまでより少しだけ柔らかい。
同情ではない。観察だ。
“珍しいもの”を見る目ではなく、“危険なもの”を見る目でもない。
もっと現実的な――生き残るために必要なものを見る目。
フウが小さく呟いた。
「……だから、男なんて外に出ない。出せない。……出たら終わりなんだよ」
ユウは拳銃を握り直した。
手の震えが戻ってくる。
世界は一度滅んだ。
それでも人は生きている。
でも、ネットを進めると男が死ぬ。
進めるべき文明が、進められない。
そして――
自分は、未実装の男。
その事実が、喉に刺さったまま抜けない。
ナギが歩き出す。
五人がそれに続く。
ユウも、遅れないように歩き出した。
背中のリュックで、回復薬の瓶が小さく鳴った。
無料の代金は、いつも後から来る。
ミオの笑顔が、脳裏でちらつく。
そしてナギが、振り返らずに言った。
「……ネットワーク不審死事件――通称NSD。
男が死ぬせいで、文明は二度目の崩壊を恐れて前に進めない。
……だから“未実装の男”が外を歩いてるなんて、ありえないの」
ユウの足が、一瞬だけ止まりかけた。
ありえない。
ありえない存在。
そう言われた瞬間、世界がまた少しだけ遠くなった。
(つづく)




