第4話 助けたからといって
「降りてこい! 話がある!」
二階の窓の下から飛んできた声は、怒鳴り声というより“命令”に近かった。
短髪の女――さっき一瞬だけ見えた、五人の中心にいたやつ。あいつが言っている。
ユウは窓枠を握ったまま、しばらく動けなかった。
外はまだ危険だ。
盗賊は逃げたが、逃げただけだ。戻ってくるかもしれない。
モンスターは、倒れた盗賊の方へ行った。だが、腹を満たしたからといって消える保証なんてない。
そして何より――“人間”が怖い。
盗賊は敵だと分かる。モンスターは脅威だと分かる。
でも、助けた相手はどうだ? 味方か? そう決めるのは、相手の自由だ。
「……落ち着け」
ユウは自分に言い聞かせて、拳銃のマガジンを抜いた。
残弾の数は把握できない。けれど空ではない。
戻して、スライドをいじる真似をして、深呼吸する。
――まず、逃げ道。
二階には窓が複数ある。飛び降りられる高さではないが、建物の裏手に回れば瓦礫を伝って降りられそうな場所もある。
下は薬局のフロア。バリケード。弾薬箱。回復薬。
ここは拠点になり得る。だからこそ、“奪われる”可能性もある。
ユウは床を這うように移動し、二階の隅へ行った。
壁の崩れた隙間に、回復薬の瓶を三本だけ差し込む。手が震えて、瓶同士が小さく当たった。
(保険)
この世界では、保険は自分で作るしかない。
弾薬箱も一つ、空箱の陰にずらす。
誰かに見つけられない程度。自分が思い出せる程度。
それから、ゆっくり階段へ向かった。
「来るなら早くしろ!」
下の声が焦れている。
ユウは階段の途中で一度止まった。
ここを降りた瞬間、状況は変わる。
“助けた側”ではなく、ただの“少年”になる。
銃を持っている少年。
回復薬を持っている少年。
――狙われる。
ユウは拳銃を利き手で持ち、銃口を床に向けたまま降りていく。
引き金には指をかけない。かけたら、たぶん戻れなくなる。
一階に降りると、五人が入口付近に固まっていた。
近くで見ると、全員がボロボロだった。
服は汚れ、靴底はすり減り、髪には砂が絡んでいる。
それでも、目が死んでいない。
武器も持っている。
鉄パイプ、ナイフ、壊れかけのスタンロッドみたいな棒。
銃は――一丁だけ。短髪の女が持っている。
「止まれ」
短髪の女が言った。
声は低く、刃物みたいに鋭い。
「その銃、置け。床に滑らせろ」
ユウは一瞬、反射で拒否しかけた。
銃を置いたら、無防備になる。
相手が盗賊だったら終わりだ。
でも、相手はさっき助けた五人だ。
――助けたからって、信用していい理由にはならない。
逆に、助けたからこそ“奪う理由”が生まれることもある。
ユウは喉を鳴らして、銃を少しだけ下げた。
「……置かない」
短髪の女の眉が動く。
空気が張る。
他の女たちが一歩、前に出そうになる。
ユウは続けた。
「でも、撃つつもりもない。銃口は下。指も引き金に置かない」
自分の声が、思ったより落ち着いていた。
怖いのに、頭の中だけが冷たい。
短髪の女は数秒、ユウを見て――手で他を制した。
「……いい。そこから動くな」
それから、息を吐く。
「助けてくれたのは、あんたで間違いないな?」
「……そうだ」
「名前は?」
ユウは一瞬迷った。
本当の名前は分からない。
でも“ユウ”は、今の自分にとって鎖みたいなものだ。切れたら、また空っぽになる。
「ユウ」
短髪の女は頷いた。
「私はナギ」
それから、指を動かして残りの四人を示す。
「ミサ。アキ。レン。フウ」
呼ばれた四人が、それぞれ短く頷く。
ミサは落ち着いた目をしている。肩に古い医療バッグみたいなものを提げている。
アキは目つきが鋭く、拳を握っている。怒りが抜けていない。
レンは一番年上に見えた。髪に白いものが混じり、動きが静かだ。
フウは一番小柄で、口数が少ない。だが視線がよく動く。周囲を見張っている。
「……子ども?」
アキが吐き捨てるように言った。
「子どもじゃない」
ユウは反射で言い返した。
でも声が若い。自分でも分かる。
ナギは言った。
「年齢の話は後だ。今は状況確認」
ナギの視線が、ユウの手元――拳銃に落ちる。
「その銃、撃てるのか」
ユウは嘘をつくか迷って、やめた。
「……今日が初めてだ」
一瞬、五人の空気が変わった。
ミサが小さく息を呑み、レンがユウを見直す。
アキが信じられないって顔をする。
「初めてで、あの距離を当てたの?」
フウが小さく言った。
声が意外と澄んでいる。
ユウは答えなかった。
当てた、という言葉が重い。
当てた=弾が当たった=人に当たった。
ナギは、視線をユウから外し、外の通りへ向けた。
あのモンスターがいた方向だ。
「……盗賊は引いた。モンスターは……今は見えない」
「今は、だろ」
レンが低く言う。
「腹を満たしたら、次を探す。こいつらはそういう動きをする」
こいつら。
この世界では、モンスターが“珍しい存在”じゃないような言い方だった。
ナギが続ける。
「ここ、薬局だな」
ユウの背中が少し固くなる。
「……そうらしい」
「回復薬、ある?」
言い方が、まっすぐだった。
遠回しでもなく、媚びてもいない。
ユウは一拍置いた。
この質問が来るのは分かっていた。
むしろ来ない方が不自然だ。
「……ある」
その瞬間、アキの目が鋭くなる。
「じゃあ出せ。フウがやられてる」
フウが、と言われてユウは視線を向けた。
フウは左腕の袖を押さえている。布の隙間から赤い滲み。
ただの切り傷じゃない。引っかかれたような、深い線が見える。
「噛まれたの?」
ユウが聞くと、ミサが首を振った。
「噛まれてない。引っかかれただけ。……でも、厄介」
「厄介?」
ミサは言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「傷が汚れると膿む。感染する。……それだけじゃない時もある」
モンスターの爪。
何か“別のもの”を持っている可能性。
ユウは喉が乾くのを感じた。
アキが一歩前に出る。
「出せよ。命がかかってるんだ」
ユウは、無意識にリュックの位置を意識した。
背中に詰めた回復薬。ぎっちぎちに詰め込んだ瓶。
あれを見せた瞬間、状況は変わる。
奪われるかもしれない。
いや、奪われる可能性は高い。
でも。
自分は、あの時――助けた。
助けたのに、ここで見殺しにしたら、何のために撃ったんだ。
ユウは唇を噛んだ。
「……全部は出せない」
アキの顔が歪む。
「は?」
ユウは続けた。
「俺も生きる。回復薬がないと死ぬかもしれない」
「ケチかよ!」
アキが怒鳴る。
「死にかけてる仲間にそれ言う!?」
ユウは一歩も引かなかった。引けなかった。
引いたら、次から全部奪われる。
ナギが手を上げる。
「アキ、黙れ」
アキが歯を噛みしめて下がる。
ナギはユウを見る。
「……何本なら出せる」
“お願い”じゃない。
でも“命令”でもない。
取引の言い方だった。
ユウは数を考える。
瓶は多い。
でも、自分が使えるかどうか分からない。
裏面に書いてあった。「端末認証済み個体」。
――自分には体内端末がない。
つまり、回復薬は自分に効かない可能性がある。
そうなら、持っていても意味が薄い。
だが、意味が薄いなら“価値”はある。交換材料になる。
(価値があるものは、命を呼ぶ)
ユウは決めた。
「……二本」
その数字を口にした瞬間、空気がざわついた。
「二本!?」
「ふざけてんの?」
「足りるわけ――」
声が上がるが、ナギが視線だけで黙らせた。
ナギは頷く。
「いい」
「ナギ!」
アキが叫ぶ。
「足りないよ! それ、効くかどうかも――」
「いい」
ナギは繰り返した。
「奪っても、次に続かない。ここで揉めたらモンスターが来る。……それに」
ナギはユウを見る。
「こいつは、ちゃんと“残す”判断をしてる」
ユウは胸の奥がちくりとした。
評価されたからじゃない。
“理解された”気がしたからだ。
ユウはリュックを下ろし、口を開けた。
瓶がぎっしり詰まっている。箱はない。裸の瓶だけが整然と並んでいる。
フウが小さく目を丸くした。
「……すご」
レンが低く笑った。
「箱を捨てて詰めたな。手慣れてる」
「手慣れてない」
ユウは即答した。
「……生きるために、そうしただけ」
ユウは瓶を二本取り出して、ナギへ差し出した。
ナギは受け取る前に、ユウの顔を見た。
「……礼は言う」
その一言が、重い。
ナギが瓶をミサに渡す。
ミサは瓶を手のひらで転がして、ラベルを見る。
「弊社製……第三世代」
ミサは袖を少しだけまくった。
その瞬間、ユウは息を止めた。
手首の内側――皮膚の下に、薄く光るラインがある。
傷じゃない。刺青でもない。
光が皮膚の内側で、淡く脈打っている。
「……体内端末」
思わず声が漏れた。
ミサは驚かなかった。むしろ、ユウが驚いたことに少し驚いた。
「あなた、ないの?」
ユウは首を振る。
「ない。……“未実装”って言われた」
ミサの目が細くなる。
「未実装……生の人間?」
アキが吐き捨てる。
「そんなの、いるわけ――」
レンが低く言った。
「いる。噂でな」
ナギがユウを見る。
「……どこの区域の人間だ」
区域。
国じゃない。県でも市でもない。
区域。
ユウは答えられない。
「分からない。記憶がない」
五人の目が一斉に鋭くなる。
疑い。警戒。
当然だ。
ユウは言葉を続ける。
「でも、北海道って言った。……それしかない」
五人が、同時に沈黙した。
「ホッカイドウ……?」
フウが小さく復唱する。
ミサが首を傾げる。
「聞いたことない」
レンも言う。
「地名だろうが……この辺りの地図には無いな」
ナギは短く息を吐いた。
「……未登録エリアの外の言葉、か」
その言い方が引っかかった。
未登録エリアの外。
この世界には“登録された内側”がある。
ミサは瓶の底を手首のラインに当てた。
すると、瓶のラベルが一瞬だけ淡く光った。
《認証:完了》
《投与記録:保持》
《送信待機:ON》
ミサは顔をしかめた。
「送信待機……」
ナギが舌打ちする。
「くそ。ローカルに繋がってる」
ユウは眉を寄せる。
「送信って、どこに」
ナギは短く言った。
「ここが“薬局”だった頃のネットだ。生きてる部分がある。下手に使うと、見つかる」
“見つかる”。
誰に?
ユウが問い返す前に、ミサがフウの傷に瓶を当てた。
今度はフウの腕の内側が淡く光る。
端末が反応しているのが分かる。
瓶のキャップが自動で開くように回り、フウが液体を口に含む。
「……にが」
フウが顔をしかめた。
次の瞬間、傷の周りの赤みが薄れる。
血が止まり、裂け目がじわじわと寄っていく。
ユウは息を呑んだ。
「……本当に回復してる」
現実に起きると、怖い。
都合が良すぎる。
フウが腕を動かす。痛みが抜けていくのが表情で分かる。
「……助かった」
フウが小さく言う。
その言葉が、ユウの胸の奥に沈んだ。
自分は二本しか出していない。
それでも“助かった”と言われると、逆に重い。
ミサが瓶の表示を確認して、眉を寄せた。
《投与記録:送信準備》
《未払い:請求保留》
「……請求」
ミサが呟く。
ナギが即座に言う。
「その表示、消せる?」
「端末を切れば――」
ミサが言いかけて、ユウを見る。
「あなた、端末ないのに、どうやって生きてたの?」
ユウは答えられない。
生きていた記憶がない。目覚めたらここにいた。
レンが低く言った。
「企業の廃棄か、実験体か、輸送の事故か」
言葉が物騒すぎて、ユウはぞっとする。
ナギはユウの顔を真っ直ぐ見た。
「ユウ。ここにいると、戻ってきた盗賊に殺される。モンスターにも食われる。……それだけじゃない」
ナギはミサの端末表示を指で示す。
「回復薬を使った。記録が残った。送信待機が立ってる。ここがどこかに繋がってるなら、“誰か”が来る」
ユウの喉が鳴った。
「誰かって」
ナギは答えなかった。
答えたくないのか、答えれば面倒が増えるのか。
代わりに、ナギは言う。
「私たちは南へ行く。拠点がある。安全度はここより高い」
ユウはその言い方に、ミオを思い出した。
確率。安全度。
この世界では、生きることが“数値”に近い。
「拠点って……街?」
「街、ってほどじゃない。……でも、帰る場所」
ナギの言葉に、少しだけ温度があった。
それが意外だった。
アキが苛立ちを吐き出す。
「こいつ、連れてくの? 未実装だよ? トラブルの匂いしかしない」
レンが静かに言う。
「トラブルがあるから、今生きてる」
アキが黙る。
ナギが言う。
「ユウ。来るか」
選択を押し付けない言い方だった。
でも、拒否したら置いていかれる。
ユウは頭の中で、目的を確認する。
記憶を取り戻す。
北海道という言葉の意味を知る。
生き残る。
一人だと詰む確率が高い。
集団に入れば、別の意味で詰む可能性がある。
でも、今は情報が欲しい。生き残る手段が欲しい。
ユウは、少しだけ息を吐いた。
「……ずっとじゃない」
ナギが眉を上げる。
「少しだけ、同行する」
ナギは短く頷いた。
「それでいい」
ミサがリュックをちらりと見る。
「回復薬、まだある?」
ユウは即答しなかった。
見せたら終わる気がした。
でも、ナギがそれを止める。
「今はいい。欲張ると死ぬ」
その言葉が、この世界のルールみたいだった。
外で、低い鳴き声がした。
全員が一斉に体を固くする。
「……来る」
レンが呟く。
ナギが即座に指示を出す。
「動く。路地から抜ける。足音、出すな」
ミサがフウの腕を軽く叩く。
「歩ける?」
「……うん。さっきより全然」
フウの声に、安堵が混じる。
ユウはリュックを背負い直した。
回復薬の瓶が、背中で小さく鳴る。
それが今は“命の音”に聞こえる。
ナギがユウを見る。
「ユウ、その銃――」
「分かってる」
ユウは言った。
「撃つときは、迷わない方がいい。……迷うと死ぬ」
自分の口から出た言葉に、自分が少し驚いた。
いつの間にそんなことを言えるようになった。
ナギが、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……その通りだ」
五人と一人。
即席の集団が、薬局を出る準備をする。
その瞬間。
ミサの腕――体内端末のラインが、淡く点滅した。
《送信開始》
ミサの顔が青ざめる。
「……まずい、勝手に――」
ナギが歯を食いしばる。
「走るぞ。今すぐだ」
ユウの背中が冷える。
送信。
記録。
誰かに見つかる。
“無料ダウンロード”の言葉が、頭の奥で反響した。
無料の代金は、いつも後から来る。
(つづく)




