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第10話 旧型ウィンドウと禁じられた雲

アルテックの朝は、拠点の朝より静かだった。


静かで、整っていて、妙に匂いがない。

油の匂いも、血の匂いも、湿った瓦礫の匂いも薄い。代わりに、洗浄剤と金属と、どこか乾いた空気が鼻に刺さる。


ユウは門の内側に立っていた。

昨日の面接で「外縁の居住区を与える」と言われ、紙に署名し、規約に同意し、仮契約という首輪を受け取った。

住所――というにはまだ頼りないが、少なくとも「今夜眠る場所」が保証された。


でもその保証の裏側に、監査ログと常時監視が付いてくる。

「保護」と同じ匂いのする言葉だ。


門をくぐると、誘導表示が浮かび上がった。


《入社式会場:第3講堂》

《経路:A》

《進行に遅れないでください》


目の前にウィンドウが浮いている――わけではない。

まだ、何もない。

ただ、壁面の小型パネルが光って、矢印が床に投影されている。現実側の誘導。


ユウはその矢印に従って歩いた。


アルテックの施設は「街」だった。

一つの建物ではなく、複数の棟が橋でつながり、通路が格子状に走り、人が流れる。

しかも流れが綺麗だ。誰もぶつからない。止まらない。

拠点の人混みは必死の“生活”だったが、ここは“システム”だ。


講堂に近づくほど、人が増える。


ほとんど女。

それが普通だと分かっていても、ユウは無意識に肩をすくめた。

自分の声、歩き方、姿勢。全部が目立つ気がする。


(俺は“お姉さん”だ)


ルカにそう呼ばれたとき、笑って誤魔化した。

ここでも誤魔化さないといけない。

男だとバレた瞬間、世界のルールが変わる。


講堂の前で、係員が受験者の列を作っていた。

制服の女。端末板。笑顔。


「仮契約者の方はこちらへ。識別と配布物の受け取りをお願いします」


ユウは列に並び、首の仮IDタグを触った。

タグが冷たい。冷たいまま、胸の上で揺れる。


順番が来た。


「仮IDを提示してください」


ユウはタグを差し出す。

係員の端末板が光る。


ピッ。


係員の目が、一瞬だけ止まる。

その一瞬で、ユウの胃が縮んだ。


「……未確定識別。特例枠。オフライン復旧班」


係員は淡々と呟き、別の箱を取り出した。


「こちらをお渡しします。旧型ウィンドウです」


ユウは息を飲んだ。


箱の中に入っていたのは、サングラスに似た装置だった。

レンズは透明に近い。フレームは薄く、こめかみのあたりに小さな端子とセンサーのような突起がある。


「……眼鏡?」


ユウが思わず言うと、係員が微笑んだ。


「ウィンドウです。体内端末を持たない方のための外付け端末。視界投影型AR。最低限の同期と、業務案内が可能になります」


最低限の同期。


その言い方が嫌だった。

最低限でも同期は同期だ。ログは残る。繋がる。


係員は続ける。


「本日から試用期間中は常時装着を推奨します。紛失・改造・無断解除は規約違反です」


規約違反。

その響きに、背中が冷える。


ユウは箱を受け取った。

軽い。軽いのに重い。首輪の重さがする。


「装着方法を説明します」


係員は手早く説明した。

耳に掛け、こめかみの端子を皮膚に密着させる。

起動すると、半透明のウィンドウが視界に重なる。

操作は指で空中をなぞるか、音声(ただしログが残る)か、視線で選択するか。


「……視線で?」


ユウの喉が鳴る。


係員が当然のように言う。


「はい。視線入力は効率的ですし、両手が塞がりません。端末がない方ほど便利です」


便利。

便利な言葉は怖い。


(視線ログが取れるってことだろ)


どこを見たか、どれだけ見たか。

何を読み、何に反応し、どこで迷ったか。


自分の頭の中を、外側から覗かれる気がした。


係員が最後に言った。


「本日中に規約への同意をお願いします。未同意の場合、機能制限がかかります」


また同意。

同意の連続だ。人生が利用規約に分解されていく。


ユウは頷いて、講堂へ入った。


講堂は広く、椅子が整列し、前方に壇上がある。

壇上には会社のロゴ――《ALTEC》が光っていた。


「入社式」と言われても、ユウの想像する“社会人の式”とは違った。

スーツの男が並ぶこともない。拍手の雰囲気もない。

ここは、企業都市の“登録儀式”に近い。


ユウは端の席に座った。

隣に座った女が、ちらりとユウの箱を見て小さく眉を上げた。


「旧型ウィンドウ?」


ユウは曖昧に頷く。


「……はい」


女は少し気まずそうに言う。


「体内端末、ないの?」


ユウの喉が詰まる。


(来た)


ユウは、昨日から作っている嘘を口にした。


「……焼損で。復旧中です」


女は「ああ」と頷いた。

それ以上聞かない。聞かないことが、この世界の優しさなのか、規約なのか分からない。


壇上に、役職者が並ぶ。

ほぼ女。年齢は様々だが、全員が同じ空気を纏っている。

清潔で、冷たい。生存より規約が先にある顔。


代表者が話し始める。


「本日より、皆さんはアルテックの一員です――」


ユウの耳には、言葉が半分しか入ってこなかった。


一員。

一員になれば、住所が手に入る。居場所ができる。

でも一員になった瞬間、個人ではなくなる。


代表者は続ける。


「我々の使命は、秩序と復旧です。旧文明の遺産を、再び人類の手に戻すこと――」


復旧。

その言葉はユウの仕事に直結する。

オフライン復旧班。レガシー解析。


ユウは、ふと自分の強みを思い出した。


2030年の記憶。

クラウド。AI。ネットワーク。

趣味でプログラミングをいじっていた。

その知識は、この世界で“遺産”になるかもしれない。


でも、同時に“禁忌”になるかもしれない。


代表者が締める。


「規約は皆さんを守ります。規約は社会を守ります。規約は未来を守ります」


ユウは心の中で呟いた。


(規約は会社を守る)


それを口にしたら、たぶん生きられない。


拍手が起きた。

拍手が揃っている。揃っている拍手は怖い。


式が終わると、各部署ごとに誘導が始まった。

ユウのウィンドウがまだ起動していないのに、床に矢印が投影される。

人の流れが一斉に動く。


ユウはオフライン復旧班の列へ並ぶ。

列は短い。例外は少ない。


案内係が言う。


「オフライン復旧班の皆さまは、まず機材の受け取りと規定説明を行います」


規定説明。

初日の仕事が規定説明。

それは安心すべきことなのか、恐れるべきことなのか。


ユウは歩きながら、箱を開け、旧型ウィンドウを手に取った。


(使うしかない)


使わないと浮く。

浮けば目立つ。

目立てば嗅ぎつけられる。


ユウはウィンドウを装着した。


こめかみに、ひやりとした感触。

微かな振動。

視界が一瞬だけ暗くなり――半透明の枠が浮かび上がった。


《ALTEC WINDOW / LEGACY》

《同期:最小》

《規約:未同意》

《機能制限:あり》


枠の隅に小さく、常時点灯する文字。


《監査ログ:ON》


ユウの背筋が冷える。


(やっぱりな)


ウィンドウが、視界の右上に通知を出す。


《本日の予定》

・規定説明

・業務マニュアル閲覧

・現場見学(任意)

・紙ログ提出(必須)


紙ログ提出。


自分の仕事は、端末社会の中で“紙”に回帰している。

それが皮肉で、少しだけ安心した。


オフライン復旧班の部屋は、小さかった。


大部屋ではない。

隔離に近い。

壁に防音材。扉に二重ロック。窓は小さい。


そして、入口に表示。


《外部同期禁止》

《機密保持》

《ログ持ち出し禁止》


部屋の中にいたのは、昨日ユウを面接した女だった。

目が冷たい。制度の冷たさ。


「座って」


ユウは席に座る。

机の上に、分厚い紙の束が置かれていた。


「本日の業務は簡単だ。規定を読む。マニュアルを読む。理解したら署名する」


ユウは紙束を見た。

文字が細かい。ページ数が多い。

それだけで胃が痛い。


女が言う。


「ウィンドウは装着したな。端末がない分、不便だろう。だが、勝手な工夫はするな。規定外の工夫は事故になる」


規定外。

工夫は罪になる。


ユウは頷いて、紙束を開いた。


《オフライン復旧班 規定》

・権限の範囲

・復旧手順

・監査ログ

・紙ログ

・緊急時の報告先

・違反時の保護手順


保護手順が、また出てくる。

保護は檻だ、とユウは心の中で繰り返す。


規定の文章は硬く、同じ言葉が何度も出てくる。


《同期禁止》

《搬出禁止》

《閲覧は許可された者のみ》

《ログは保存される》

《虚偽申告は重大違反》


ユウはページをめくりながら、ふと違和感を覚えた。


(“クラウド”って単語がない)


探す。

目で追う。

見つからない。


規定にも、マニュアルにも、クラウドがない。


クラウドは、2030年の常識だった。

データはネットの向こうにあり、サーバはどこかにあり、サービスは拡張できて、冗長化できて、スケールできて――


それがない。


代わりに出てくる単語は、全部“箱”だった。


《認証箱》

《監査箱》

《地図箱》

《ログ箱》

《復旧箱》

《ルータ箱》


箱。箱。箱。


ユウは読みながら理解する。


(ソフトウェアで解決してない)


この世界では、ソフトウェアの更新よりハードウェアの置き換えが優先されている。

既存のプログラムを使い回し、追加は“箱”で足す。

箱を増やして、機能を増やす。

でも箱は重い。維持が大変だ。壊れたら終わる。互換性がない。


(進化する余裕がないんだ)


文明が一度崩壊し、ネットが分断され、NSDで拡張が禁忌になり、

残ったものを保守するだけで手いっぱい。

余計な余裕を持つための進化をする余裕がない。


ユウは、紙束の端を握りしめた。


(じゃあ……もし)


もし、この時代にクラウドを導入したらどうなる?


クラウドは、効率化の象徴だ。

箱を減らし、柔軟にし、冗長化し、復旧を速くする。

旧文明の遺産を扱うなら、クラウド的な発想は有利だ。


でも、この世界にはNSDがある。


ネットワークを発展させると男が死ぬ。

それが社会問題。禁忌。タブー。


クラウドは、ネットワークの拡張そのものだ。

分散。同期。スケール。

つまり――NSDを再点火する可能性がある。


ユウの背中に冷たい汗が流れた。


(だから無いのか)


無いのは、できないからじゃない。

やったら死ぬから。

あるいは、死ぬ“かもしれない”から。


ユウは、ページの最後の方に差し掛かったところで、目を止めた。


《禁止事項》

・無許可の分散処理基盤の構築

・無許可の仮想化環境の立ち上げ

・外部同期を伴う大規模ネットワーク拡張

・旧文明規格のクラスタリング行為


クラスタリング。

仮想化。分散処理。


――クラウドの言い換えだ。


ユウの喉が鳴った。


(禁止されてる)


禁止されているから、マニュアルに“クラウド”と書けない。

書いた瞬間、それは欲望を呼ぶ。やりたくなる。広めたくなる。

だから単語ごと消している。


女がユウを見ていた。

視線を感じて、ユウは慌てて紙に戻るふりをした。


「……どうだ。理解したか」


女が聞く。


ユウは頷いた。


「はい……」


声が少し震えた。

震えた理由が、疲れなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。


女は淡々と言う。


「署名」


ユウは署名欄にペンを走らせた。

自分の名前を書きながら思う。


(俺は、今、首輪にサインしてる)


でも、サインしないと住めない。

住めないと死ぬ。


女が署名を確認し、紙束を回収する。


「よし。次は業務マニュアルだ。読むだけでいい」


別の紙束が置かれる。


《旧ログ解析 基本手順》

《オフライン復旧 チェックリスト》

《紙ログ記録例》

《緊急停止時の連絡》


ユウはページをめくりながら、さらに確信を深めた。


この世界は、進化を止めている。

止めているというより、止めざるを得ない。


止めないと、男が死ぬから。

あるいは、社会が崩れるから。


だから、箱を積み上げて延命している。

文明の骨組みだけ残して、少しずつ修理している。


ユウは、自分の中で何かが決まる感覚を覚えた。


(俺がクラウドを持ち込んだら)


この世界は、どうなる?


良くなるかもしれない。

復旧が速くなる。情報が広がる。旧文明の遺産を再利用できる。

探索者も助かる。拠点も助かる。企業都市も助かる。


でも――


NSDが悪化する可能性がある。

男がもっと死ぬかもしれない。

あるいは、クラウドの拡張が“男を殺すトリガー”そのものかもしれない。


ユウは、紙束の上に手を置いた。


(知りたい)


知りたい、という欲望が湧く。

IT好きだった自分が、確かにそこにいる。


そして、その欲望は危険だ。


女が言った。


「今日はここまで。現場見学は任意だが、行くなら今。……ウィンドウの規約同意は忘れるな」


ユウは頷き、立ち上がった。


部屋を出ると、通路の壁に小さな掲示があった。


《NSD対策規定》

《ネットワーク拡張行為は重大違反》

《違反者は保護手順の対象》


ユウは、その文字を見て止まった。


(なるほど)


クラウドが“便利”だから禁止されてるんじゃない。


この世界じゃ、“死ぬ”から禁止されてる。


ユウは喉の奥で、静かに呟いた。


「……じゃあ、もし“死なないクラウド”を作れたら」


それは文明復興の鍵になる。

そして、自分の居場所を確固たるものにできる。

協力者も得られる。記憶の手掛かりも得られる。

何より――自分が“ありえない存在”である理由を、逆手に取れるかもしれない。


ユウのウィンドウに、通知が浮かんだ。


《規約同意:未完了》

《機能制限:継続》

《監査ログ:ON》


監査ログ。

常時点灯。消えない。


ユウは目を細めた。


(見られてる)


見られていても、考えることまでは止められない。

止められないからこそ、危険だ。


ユウは歩き出した。


首輪を付けたまま、禁じられた雲の形を想像しながら。


(つづく)

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