夏の終わり
三巻が発売されます!
設定が少し変わっています。たぬきさんがいなくなりました。ハーティの名前が「デイビット君」に変更されています。
今年の夏は普段よりも賑やかで長いように感じられた。……どんな物事にも終わりがある。研究室に置かれた花瓶にはコスモスの花が咲いていた。
「……十年分の研究が進んでしまいましたね」
私は自分の心を見ないようにしていた。研究室の実験魔導釜の前で数値を計算しているピオネを見ながら私は思わず呟いていた。
たった一ヶ月、されど一ヶ月。彼女はこの一ヶ月で私の技術の大半を吸収したと言ってもいいだろう。知識に至っては、私の全てを伝授出来たと確信している。
ピオネが私の視線に気がついて手を振ってきた。
私は一瞬だけためらったが、ぎこちなく手を上げてそれに答える。……私もルアンみたいに軽率にウィンクできる人間だったらどれほど良かったか。この夏休みで何度も思った。
――心の中で自分を罵倒する。私にとって、ピオネは妹のような存在だ。しかし、私にとって妹は……トラウマとして心の中を巣食っている。
「愛する妹……ですか……」
そんなことを考えながらも机の資料を整理する。今後、ピオネが帝国で必要であろう資料をまとめたものだ。学園で論文を書くときに役に立つだろう。
一体、私の心はどうしてしまったのだろうか? 初めてピオネを見た時、私はリノアの幼少期の頃を思い出してしまった。あの時のリノアが正しく成長した姿。年が離れた令嬢なのに、私は……息を飲んでしまった。
外面がリノアに似ていようが、ただ美しいだけなら、私は何も感じなかったはずだ。そんな私の鉄の理性を打ち破るほどの魅力が彼女にはあった。一緒に研究して、魔法剣士の特訓をして、徐々に惹かれていくのは理解していた。それを認識しなければ大丈夫だとも思った。しかし、あの『お兄様』という一言が……私の心をの壁を壊そうとしたんだ。
私は首を振る。この想いは一生胸に抑え込めばいい。私だけが知っている秘密だ。人間は本当に不便だ。あのリノアの感情破壊スキルのように、その部分の感情だけを消せば辛くない。
「先生、どうしたんですか」
考え事をしている私に近づくピオネ。跳ね上がりそうになる心臓を理性で抑える。
「……君は先生を驚かせるのが好きなのですか?」
「そんなことないですよ! 先生、胸を抑えて苦しそうでしたから……、魔法使いますか?」
「いや、問題ありません。それより、アリスの所へ行きましょう。ウェディングドレスの直しが終わったと聞きました」
胸を抑えないと苦しくて仕方ない。女神よ、なぜ人は恋をするという「呪い」をかけたのだろうか? こんな気持ちを知らなければ……、リノアの時も私は苦しくならなかっただろう。
「うわぁ、楽しみですね! リオナ先生、行きましょう!」
「ええ、廊下を走らないでくださいね」
――眩しかった。
暗く、重く、薄汚い、自分の人生にこんな光輝く存在が現れるとは思いもしなかった。
――今なら、女帝マリアの気持ちもよくわかります。……あなたも、ハヤトの幸せを願って、恋心を殺していたんですね。
私は、仮面を被りピオネの後を追った。
今日も今日とてセイヤはルアンと特訓をしている。二階の廊下から中庭の訓練所の様子がよく見える。セイヤは自己評価が低かった。それでも以前よりはマシになったようだ。そもそもルアンと特訓できる時点で天才の枠組みの中にいる。私は絶対にルアンとなんて特訓をしたくない。あれは規格外の人間だ。女神の最も近いとされている。まあ、弱点もある。不意打ちの状態異常には対応できない。この世界に完璧な人間なんていない。人間はどこかに必ず弱い部分があるものなのだ。
「わぁ、セイヤ様頑張れ!」
恋というものを自覚して思考して、私はピオネとセイヤが心底愛し合っているのを理解することが出来た。これは私にとってすごい発見だ。いつも、私はルアンに恋をする令嬢の気持ちなんて全然わからなかった。だが、今ならわかる。あの子たちも真剣にルアンに恋をし、真っ向から挑んでいたのだ。敬意に値するものだ。
私はもう大人だ。きっとこの恋心は違う何かに昇華されていくのだろう。……そもそも年上の私が高等部の少女に恋をしたなんて、口を裂けても言えない。アリスに知られたら私がおじいさんになるまで誂われるだろうな。
「えっと、倉庫はこっちであっていますか?」
「……大丈夫です。あちらの廊下を先に……? この気配は……、もしかして……」
明らかにおかしい気配があった。
私はピオネを下がらせて、廊下の先を急いだ。女神の守護者たるアリス君がいるはずの倉庫に侵入者などありえない。そもそもこの屋敷は今、世界有数の実力者が揃っている。そんな屋敷に――
「よう、リオナ先生、俺の屋敷でセイヤたちを掻っ攫った時以来だな。ん? なんでバレたんだって顔してるな。わからないわけねえだろ? 俺様を誰だと思う?」
「ジン皇子……。それに、リノア……」
倉庫に置いてあったソファに腰をかけているジン。その横には――
「ええ、ご機嫌よう。リオナ」
無表情、無感情で俺に優雅な挨拶をするリノア……。
なぜここに? という疑問を消して理性で思考を止めない。
アリスが目を回して倒れていた。目視する限り怪我はないようだ。……アリスが瀕死の怪我でもをしたら、ビビアンが再び魔王になりこの世界を滅ぼしてしまうだろう。そのアリスが倒れるなんて、守護者と同等の存在、もしくはルアンか女神でないと不可能だ。
後ろから駆け足の音が聞こえてきた。まずい、ピオネを下がらせないと。
「ああ、もう遅えよ。この屋敷は俺の私兵で包囲されてるぞ。……いくら武力があろうと、『放浪皇子ルアン』がいようと、お前らは俺に勝てない。鬼ごっこは終わりだ」
ピオネが「アリスさん!」といって駆け寄ろうとしたのを私は腕で制止した。
ジン皇子がピオネに向かって仰々しく頭を下げる。
「さて、俺の目的は変わらねえ。セイヤを叩きのめして、俺の部下にすることだ。……レティ家の呪いのせいで、皇国を出れなくなった俺達は、今しかタイミングがねえんだよ。先生は分かってるだろ?」
ジンの様子がおかしい。ジンは子供の頃から聡明な皇子であった。荒々しさもあったが、理解の範疇に収まっていた。しかし、初等部高学年からは違った。自分のやり方で強引に進めていく。隣には常にリノアがいた。
――リノアは呪われている。……リノアはレティ家当主を殺した。あの魔女は死ぬ間際に強力な呪いをリノアに残して逝った。呪いは、リノアが強大な力を使うたびに、寿命を吸い取るものであった。また、皇国以外の場所に行くと、身体が燃えて灰と化す。どんな高名な呪術使いでも、あのレティ家の魔女の呪いを解くことは出来なかった。そもそもそんな魔女を殺せたこと自体、リノアの恐ろしさを物語っている。
私はコクリと頷く。ジンは満足そうな顔をして話を続けた。
「リオナ先生……俺はあんたには世話になった。先生には迷惑をかけたくない。それでも、セイヤと手に入れるためにこの屋敷を襲おうと思ったんだがな……昨夜、妙な雪を見た。キラキラ、キラキラ……輝いてたんだよな……そうしたら、なぜか俺の気が変わったんだ」
そもそもジンはなぜセイヤにここまでこだわるんだ? 中立地帯であるコバ領地に兵を向けるということは、自由都市皇国最大戦力を誇るコバ領地と戦うことを意味している。領民一人ひとりがカタギではない。常に戦いに備え、牙を研ぎ澄ませている。
ジンはアリスが直したウェディングドレスをそっと触った。
「このドレスを奪って、セイヤを攫って目の前で引きちぎろうとした。あと、そこにいるピオネっていう女もぐちゃぐちゃにしてやろうと思った。……母さんのドレスを着るのなんて、俺が許さねえ。母さんは……。いや、どうでもいい。リオナ先生は不思議に思っているんだろう? 俺がなぜセイヤを追い回すのか」
ジンが立ち上がり、リノアの手を取った。二人は皇子と皇女のように完璧な気品を漂わせていた。リノアが会釈をして一歩前に出た。
「……では、私、公爵令嬢リノアから説明いたしますわ。――私の『未来予測』では、セイヤはこの先皇帝になる確率がとても高い。ジンが生き残った場合と同程度の数値ですわ。ふふっ、私たちはセイヤという人材を確保したいのです。皇国がさらなる発展をするために」
「ま、っというわけだ。使える奴は身体の芯まで叩きのめして、言う事を聞かせる。それだけのことだ。だから、大人しくセイヤを渡してくれれば、そこのピオネにも何もしねえ。先生にも迷惑かけねえ」
私は即答した。私はわかる。凡人であるからこそ、わかることがあるんだ。
「――半分嘘ですね。……ジン君。君は私と一緒です。……『凡人』が天才に憧れているだけです。あなたの根底にあるのは――コンプレックスです。凡人である私にはそれがわかります」
空気が凍りついた。ジンが静かに怒りを滾らせる。そう、人間は本心が変わるものではない。リノアが感情を失くしたとしても、悪意が透けて見えるように。ジンが変わったと言っても、全てを信じることはできない。
「……すごいな、リオナ先生は……。なんでもお見通しだ。……そうだな、コンプレックスか……、ははっ、そりゃそうだ、俺が死の恐怖を感じたのはセイヤが初めてだった。……叩きのめしたいに決まってんだろ――なあ、セイヤ?」
セイヤが息を弾ませながら、倉庫へと飛び込んできた――




