デウス・エクス・マキナ―――⑩
ひとしきりの捜索が終わり、あたしは『ひとりになりたい』とだけ、親父とカレンに伝えた。出発まで十分時間が残されていることもあり、引き留められることはなかった。
全員が必死で収集した事実も根拠も、何もかもちぐはぐなまま。そして、親父の表情が次第に曇っていく様子が、部下として、娘としても気がかりだった。
「どうして期待しているんだろう……」
今、真鈴を忘れずに生きているのは、あの夏に取り残されたあたしと、めめばあちゃんのふたり。数か月に及ぶ捜査は、単なる遺留品集めにすぎない。死因は判明しているし、生存の可能性を見つけていくなんて、小説や映画の中でしか成立しないエピソードだ。
「なんで置いていったの? 真鈴」
薄れかかる記憶の中で、ともに笑いあっていたはずの少女に尋ねた。
子どもの頃にタイムスリップして、次の夏を迎えに行くことさえできず、立ち尽くしたまま。瑠璃色の地平線に、ひとりごとは溶けていく。あたしの前髪は、潮風を受けながらさらさらと吹き抜ける。いつの間にか顔を出した夕日が、広大な空を橙色に染めながら滑り落ちていく。
突然吹き抜けた強い風に身体が煽られ、思わず街の景色に向かって振り返る。
乾いた瞳で街の景色を眺めていると、ともに歩いた海岸線が広がっている。日没を前にして灯るあかりの数々。駄菓子屋の店主が店じまいをしている。最寄駅からのバスはもう来ないだろう。悲しくなるほど、この街の景色は幼き頃の記憶のすがたのままだった。
「会いたいよ……」
止まることなき膨大な時間の中で、きみだけがいなくなった。その事実を、街を訪れる度に突きつけ続けられるだろう。大人になったあたしはそれなりに毎日を過ごしているし、淋しいというのは間違っている。この胸を叩きつけるのは悲しみだということは理解している。切ないとかいうのは性格に合わない。ただ、涙が流れる感覚を数年ぶりに思い出した―――……。
★★★
「もう莉緒は帰ったのかね。なかなか電話がつながらなくて」
「お話合いをしているのじゃないのでしょうか。車はまだ止まっていますよ」
「面会ができなくとも、ちっとの小遣いを渡したくてね」
「ちょっと! 無理に身体を起こさないでください。私が消灯台から取り出しますから」
「ほれ、1万円じゃ足りないだろう」
「多額の現金はお預かりできませんよ! ああ、お札につばはつけちゃダメです!」
看護師と老婆は、病室の中で他愛のない会話をしていた。数年間にわたる長き闘病生活で、老婆の体力は著しく低下している。小柄な身体はやせ細るばかりだが、日に焼けた肌と豪快な笑顔が変わることはない。
「……はい、今回は1万円だけですよ? 大好きなんですね。お孫さんのこと」
「あいつは孫じゃない。遠い親戚の子どもだが、私が預かっていた孫と大親友だった」
「この写真の女の子ですか?」
総人口が100人に満たない離島で独居をしている老婆が、数年前に孫とふたりで暮らしていたこと。そして、彼女を幼いうちに亡くしてしまったこと。そして、生前のおだやかな暮らしに思いを馳せ続けていることが、日々の会話の中で明らかになっている。
「お辛かったんですね」
「うん……もうここにはいないはずなのに、まだどこかに生きている気がするんだ」
「そうですか。また会いたいんですね」
鎮痛剤の量も増えていくばかり。きっと薬剤性の妄想に加えて、年相応の認知能力の低下。さらに、ひとりきりで過ごす入院生活においてのさみしさの現れだと看護師は考えていた。ラウンドに訪れる度にこの話題ばかりを聞かされ、傾聴することに疲弊しきっているが、会話の内容をカルテに記載するために簡単なメモを取った。
「真鈴と莉緒を引き合わせてあげるまで、私はまだ死ねないんだよ」
「……まだ迷惑をおかけすると思うが、よろしくな。がはは」
その片割れがこの街を訪れたこともあり、精神的な落ち込みは見られない。老婆はさわやかな笑顔を浮かべて、上体をふたたびベットに倒した。看護師は『面会ができない』ことを心残りに思いながらも、預かった1万円を丁寧に封筒に入れる。
「もし連絡が取れましたら、ロビーで受け取ってもらえるように手配します」
「おぉ! わかった。助かるよ」
「また見回りに来ますね。板垣さん」
緊急連絡先として、刑事の携帯番号を登録している。老婆の携帯電話からではなく、病院の電話番号ならすぐ応対してくれるはず、と看護師は企んだ。ワゴンに現金とメモを置いて、ナースステーションに踵を向けた、その時だった。
「エメラルドのネックレスがない!!」
「えっ……」
「家から引き払った時に、宝石類は持ち帰ったのだけど……おかしいなあ」
老婆は枕元のアクセサリーケースをかすかな力で探りながら、困惑していた。バタバタと忙しい看護師には聞こえないふりをするという手段もあったが、『病院のスタッフが盗んだ』という話題にならないかと注意を向けつつ、まだら模様の不穏に耳を傾けていく。
「莉緒にお金と一緒に渡そうと思ったんじゃが」
「あれれ? この箱の中にはありませんねえ」
「ううん……真鈴に渡した? もう全然わからないなあ」
「じゃあ、また夜に一緒に探してみましょうね」
小ぶりなジュエリーボックスの中には、ルビーの指輪。真珠のピアス。アクアマリンのブレスレット。じゃらじゃらと音を立てながら、ふたつの手で探しても見つからない。
他の患者のケアが終わってからでも、一緒に探すという行為が信頼関係の構築につながるだろう、と感じた看護師は、老婆にそう言い残して病室を後にする。
「あれ! こんなメモ、あったっけ……」
看護師が扉を閉めると、ワゴンに付箋が張り付いていることに気が付いた。小さな紙の四隅は破れかけ、ボールペンの字の滲みから、数年の年季が入っていることがわかる。老婆の書いたものかと確認するために、内容に目を通す。
『2015年 6月 真鈴にエメラルドのネックレス。宝石言葉は、幸福。愛情。友情。
皮膚のぼつぼつがよく治る様に。お守りとして身に付けると言った』
―――看護師はマスクの向こうではっ、と息を漏らした。また部屋に戻って、老婆に事実の確認をするか。それとも、捜索の手掛かりになりそうな情報として、先に刑事に伝えるか。狼狽えているうちに、胸ポケットのナースウォッチは淡々と時を刻む。
きっと、もう時間は残されていない。
看護師は突如として溢れ出す女の勘に突き動かされ、ナースステーションに走った。




