デウス・エクス・マキナ―――⑤
―――うたかたの思い出①
莉緒。あのね。きっときみは忘れているだろうけど。はじめて手を繋いでくれた時の感触を忘れられないの。あたしの手は、もう人間のかたちに戻ることはないけれど。―――莉緒のきれいな指先は、たくさんのひとにやさしさを届けているのかな?
何年も溺れ続けているから、この耳は音をなくしちゃったみたい。きーんって突っ張ったまま、焼けつくようにじりじり痛いままなの。もう完全に壊れる頃なのかなあ?
なんだか、莉緒の息が皮膚に絡んでいるみたいで、すごくくすぐったいんだけど……。
★★★
あたしは周りの人間になじむことがひどく苦手だった。
特に莉緒と出会った小学生の頃は、学校の休み時間はひとりでお絵描きをして過ごしていた。どんなにきれいな色のクレヨンを使ってもやっぱりへたっぴで、何枚描いても、どんなに時間をかけても上達することはなかった。
それでも、寂しさを紛らわすために。空や虹、貝、かに。くらしの中で身近なものを描いていく。他人に分からなくとも、自分の中で理解できればいい、と画用紙とにらめっこをする日々が続いた。
「いてっ……」
「ごめんねえ、真鈴ちゃん!」
突然、こてっ、と頭のてっぺんにボールが当たる。あたしは小さなころから莉緒とは正反対で。絵が下手なだけじゃなくて、手先が不器用。勉強もうまくできない。何をするのにも失敗ばかりで、うまくできた記憶なんてひとつもない。こうして、目の前に飛んできたボールすらうまく避けることができなかった。
「お絵描きをしているの? 一緒にドッチボールしようよ」
「……ええ? まりん、ドッチボール、へたくそだよ?」
「いいから! 一緒に行こう!」
同級生の中で遊びに誘ってくれるひとがいないわけではなかった。だけど、その輪の中では必ずお荷物になっていた。折角仲間に入れてもらったのに、ものの数分で外野に出されてしまう。同じクラスの誰かと遊ぶ度に、『自分はいなくなったほうがいいんじゃないか』という気持ちがぐるぐると渦巻いていた。あたしが”友達”と呼べる存在が少ない理由は、この考え方が根付いているからだと思う。
『振り返らないでよ、パパに似たその顔で……』
シール帳から剥がれたうさぎのシールみたいに。あの言葉もするりと心や身体から消えてしまえばよかったのに。出来損ないの命でも、呪いを受けていることだけは理解していた。誰かとわかりあおうとする度に、目に見えない痛みが心を傷つけてくる。こうして息を続ける限り、影のようについてくるものだとあきらめていた。
夏休みもひとりぼっちで過ごしていたそんなあたしに、新しい友達ができるらしい。
しかも、その女の子はあたしと同じ部屋で何日かの間を過ごすことになるみたい。
―――折角『とうきょう』から遊びに来てくれるのに。うまく仲良くなれずに、呪いとにらめっこすることになるのか。それとも、今まで過ごしたことのないような楽しい時間になるのか。小さな頭の中ではまったく予想はできなかった。
「こんにちは」
あたしはめめばあちゃんの後ろに隠れながら、声をふり絞る。ただ挨拶をしただけなのに、指先がぐらぐらと揺れていたことを思い出す。その言葉を受け取ってくれたきみは、若草色の瞳であたしを見つめ返した。やらかそうなほっぺにはさんごみたいな色が浮かんでいる。その色がとってもかわいくて、あたしまでどきどきしてしまう。
―――どうにかしちゃったのかな。けど、この気持ちは”痛い”じゃない。はじめてだからびっくりしているだけ。さあ、もじもじしないで。早くこの子を部屋の中に案内しなきゃ。
「……いきましょう。お名前は」
「りお。」
きみのガラスみたいに澄んだ声は、熱い夏の空気に溶けていく。あたしはこの女の子が同じクラスの子たちと違う存在だと感じ取った。目の前のきれいな存在が、どんな顔をして笑うのか。どんな涙を流すのか。どんなことが好きなのか。一秒でも早く、ひとつでも多く。知りたい気持ちが止まらなかった。
「すてきなお名前。……なんでその名前になったのか、わかるようになりたいな」
隠しきれない想いは唇の上を滑り落ちてしまった。こんなことを言ったら、びっくりされてしまうかもしれない。恥ずかしさに思わず口を抑えながら、背中を向けてしまったのに。
きみはぺたぺたと足音を鳴らしながらあたしについてきてくれたよね。
―――はじめての夏も。最期の夏も。莉緒が隣にいる時間が増えるたびに、心の時計はいつもの何十倍もの速さで時を刻んだ。そして、夜空に打ちあがる色とりどり花火のようにあっという間に消えていった。
数年にわたる時間の中で、莉緒があたしにくれた数えきれないほどのささやかな幸せが。いっしょに分け合った色とりどりの思い出が。正体のわからない寂しさに変わったのは、この身体のあちこちがやわらかく丸くなってきた頃だった。
「怖い。このまま大人になってまうのかな」
ブラジャーの針金からはみ出しそうな大きな胸も必要ない。よくきれいと褒められるこの白い肌もいらない。一緒に堤防の上を走り回るのに、このおしりは重く邪魔になるだろう。
中学2年生の夏。はじめて制服姿で莉緒を出迎えたあの日。めめばあちゃんに買ってもらった一面鏡の前で、あたしは下着姿になった自分の身体を眺めながら絶望していた。




