デウス・エクス・マキナ―――①
この部屋は、『会いたい病』を発症した患者家族に医療スタッフが病状の説明する場所。
日々、扉の向こうでは泣き叫ぶ声や。自分を責め立てるような声。怒号のような大きな声が聞こえることが多々あった。古ぼけたソファーに、親父と向かい合わせで座った。
「で、親父は疲れすぎじゃないの? 精神疾患も重篤化すると大変なことは知っているよな? それとも男性の更年期か? しかるべき職種に相談――……」
「違う」
あたしを見つめる親父のまなざしは、豪雪の中を走り抜ける狼のようであった。
ごくりと、あたしがつばを飲む音だけが静かな部屋に響く。なかなか次の言葉を見つけられず、子どもの頃のようにもごもごと口を動かした。
「でも、莉緒には話せない理由があったんだ。その理由は最後に告げる。きみの心を考えた選択だったということを許してほしい」
「はい」
「……ははっ、随分あっさりしてるじゃないか。でも、そんなところが莉緒のいいところなんだけどな」
その一言とともに、親父の張りつめた表情は徐々に崩れていった。いつもの柔和な笑顔でいるかと思うと、両目の端に涙を貯めている。――――情緒不安定? さっきから会話の内容が支離滅裂だし。やはり、なんだか様子がおかしい。
「汐見ケ丘に災害が続いてることは知っているかい」
「さっきテレビで見たよ。めめばあちゃんも電話で魚がたくさん死んでるって言ってた」
「芽衣子さん……」
「でも、わざわざテレビの取材が入るってことは、”うち”の案件じゃないよね?」
「……いや」
親父がファイルから取り出した写真をテーブルに広げた。10年近い時が過ぎても、色褪せないその景色。あたしと真鈴が何度も足跡を付けたあの道路。昨日もうすでに目を通していたそれに、親父がどんな解説を入れるのかと、そっと耳を澄ませた。
「そうとは言い切れない、ということが現状だ」
「あんな田舎街で、誰かに会いたいなんて願う人間がいるってこと?」
「それがね。」
太い皺が入った手の中に、新しい写真が隠されていた。深い海の底では、色とりどりのイソギンチャクが列を成していた。フィルムの中心には、一か所だけ瑠璃色に変色した部分が映し出されている。―――その色に、心が痛くなるほど鮮明な見覚えがあった。
「仮説の段階ではあるけれど、真鈴ちゃんはこの海の底に生きているのかもしれない」
「……生きているというよりか、身体の大部分が残されているかもしれない、と今の時点では言ったほうがいいのかな」
「はあ」
夢のようなことは起こりはしない。真鈴が隣にいないから、あたしは『つぎはぎ』の道を選んだわけで。あの日、かけらほどに散らばった心が掻き消されることが怖いから、最悪の状況を想定しておく。あたしは白衣の上で拳を握りしめながら、ただ黙り込んでいた。
「莉緒は真鈴ちゃんに会いたいか? 原型を留めず、遺体の損傷が激しかったとしても」
「……わからない」
「そうか。そうだよな」
親父は窓の外の景色を仰いだ。そう、彼も最愛のひとを喪っているからだ。 絆とか愛とか、かたちのない言葉はあまり好きじゃないけど。親父の言葉が”薄っぺらい共感”でないことはしっかりと理解できた。
「こういう質問はしたくない。でも、莉緒にこの先を選んでもらうために。聞かなきゃいけない」
「真鈴ちゃんが生前の頃と同じ姿で隠れているとしたら、会いに行きたかいか?」
「ごめん、想像ができない。難しい」
「急がなくていいんだ。―――現時点では、海上保安庁が確認した内容で、遺体である確率が50%、何らかの方法で生存している可能性が50%。どちらかの裏付けを進めていく」
「そうか」
あたしは淡々と親父の話を聞いていた。でも、やっぱり夢なんじゃないかと思う。こっそり両手を背中の後ろに持っていき、ヘアゴムで手の甲をはじいた。―――ちゃんと痛かった。聞き入れれば聞き入れる程、その言葉のひとつひとつが現実味を帯びだした。
「けどな、真鈴ちゃんの身体を回収できるのは、莉緒しかいないだ。」
「……抗体の問題か?」
「そうだ。だけど、真鈴ちゃんの命を残すそれらは、どういった毒があるかはわからない。莉緒が泳ぎが得意じゃないものあるから、海難事故に遭う確率もある」
「つまり真鈴は助けられるかもしれないけど、あたしが死ぬかもしれないってこと?」
「残念ながらそうだ」
親父はあたしと同じポーズをして、地面を眺めるようにうつむいた。あたしは誰かの命を救ってはいるけど、自分自身の命の大切さは理解できていない。真鈴と母親が『止まるな』というから、ただ走っているだけ。ここでもし、あたしが『死ぬ』を選択したところで、父親は止めに入るだろう。
「本当なら、俺が命をかけても真鈴ちゃんを助けに行きたい。莉緒のたいせつなひとを。
だけど……なんで……ちくしょうっ……」
「あたし自身は別に死んだって構わないよ。でも、親父は望んでないよな」
「そんな言葉を言わせてしまう自分は職務も、親としての役割を全うできてない」
「ううん。そういう言葉は今求めてない。もう少し時間をちょうだい」
「わかった。莉緒と真鈴ちゃんが一緒にいられる最善の方法を考える」
情報量が多すぎて、頭の整理が付いてこない。それに、不思議と甘いものも食べたくならない。幼少の頃に砕け散った心が、再び命を取り戻したようで。
あたしは何かから逃げ出すように、面談室を飛び出した。
「おう! つれない顔してるじゃねえか! あたしの歌でも聞いて元気に―――」
「ごめん。カレン、あとにして」
「あれ?どうしたんだあいつ。オンコールか? あたしも連れていけっ!」
「おやすみ、また明日。」
「まだ昼だぞ? ついに腹時計が狂っちまったんじゃねえか」
普段だったら、おしゃべりなカレンにツッコミを入れる。じゃないと永遠にしゃべり続けるから。だけど、あたしにそんな力は残されてなかった。それが声なのか、音なのかも区別がつかないぐらい。感覚を得る器官が破壊されたかのように。
「はあっ、はあっ……」
誰にも追いかけられてないはずなのに、一秒でも早く自室に閉じこもりたかった。玄関の扉に鍵を掛け、力をなくしてもたれかかる。あの日と同じように、早まる鼓動を黙らせるように手の甲で強く押した。
「……っ、こんな時に電話かよ……」
ポケットに入ったスマートフォンからけたたましく着信音が鳴る。手首の根元から震えている手で取り出すと、画面には『めめばあちゃん』と映し出されていた。くだらない世間話を聞き続ける余裕はない。―――でも、その中に真鈴に『会う』ための手掛かりがあるとしたら。ぜえぜえと息を切らしながら、『電話に出る』ボタンを押した。
めめばあちゃんから、『真鈴の本当の家族』について語られた。




