やさしい新緑の芽吹き―――⑦
「この心電図って本当に必要?加算泥棒か?不正請求って事務長に訴えるからな」
あたしは医療部のベットの上で目を覚ました。どうにかして若葉さんの処置を終わらせたけれど、その代わりにあたし自身の手をざっくりと切ってしまった。
「おい! 起きたかバカ!」
「この管なんだけど。どうしてか知ってるか?」
「気を失ったからじゃねえか、アホチンが。さっき加算泥棒って聞こえたけど、そもそも業務中の怪我だから労災だっての」
「嫌なんだけど。とって」
「医者じゃないつぎはぎ屋が口突っ込むんじゃねえ。検査の結果が出るまでおとなしくしてろ」
あたしはカレンの言うことを聞き、起こした上体を再び横にする。子どものころから勉強も読書も嫌いではなかったけれど、安静にしろと言われるとついつい気が散ってしまう。
「まさか、その手で縫合の練習をするとか考えてないだろうな」
「うん」
「ミトンはしばらく外せないみてえだぞ。」
そうか。細菌感染を起こすリスクがあるので、しばらくこの手は自由に動かせないだろう。利き手ではない右手を使えば、食事や更衣などの日常生活は時間をかけてできそう。
……だけれど、いつも使っている左手で仕事や細かい作業ができない期間が続くみたいだ。
「何してればいい?」
「口の中でさくらんぼの枝を結ぶ練習でもしてろよ」
「は? セクハラのつもりか?」
「ノリで言っただけだけど。あんたって、何気に思い込みが激しいんだよなあ」
「たしかに」
器用と健康だけが自慢なあたし。入院をするのは、入職時の検査以来だ。しばらくな安静という空虚な時間が続くと思うだけで頭を抱えてしまう。テレビを見ても外国の戦争の映像ばかりだし、最近のお笑い番組はおもしろくないし、音楽はあまり聴かない。
「疲れたから、あたしと同じ名前のロールケーキでも買ってきて」
「はあ~ん?今日は持ち込み物は食べれないからな。そんなのわかってるはずだろ」
「おふくろさんみたいだな。カレンは」
日ごろから物言いが悪すぎるけども、世話焼きなあたしの同僚。運ばれてからも付き添ってくれたのか、顔面には疲労と書かれたシールが貼られているかのように見える。
「ひとりでゆっくりしてるから、カレンはしっし!」
「なんだその邪魔者扱いのような手つきは!」
「はいはい帰った帰った」
「水だけは買ってくるからな」
「医療部のひとに頼むからいいよ」
「うっせえ!」
カレンは白衣の中でおしりをぷりぷりと振りながら病室を後にする。このままじゃあ、先日めめばあちゃんから届いたシーグラスや数枚のはぎれも全て宝の持ち腐れだ。常に何かしていないと落ち着かないあたしの心は、幼き頃訪れた水族館で泳いでいたマグロのように思えてくる。
ーーーーおかしなの。どうしてあたしの生きる時間はどうしてこんなに早く過ぎるようになったのだろう。子供の頃からせっかちと言われることは時々あったけれど。
「暇すぎる」
怪我をした左手の指の付け根は、知らない間にうまく動かせなくなっていた。検査が終わり、自宅に帰ってもしばらくは休職を言い渡されるかもしれない。かすかな懸念がベットの下から這い寄ってきた。
★★★
あたしは真っ白なシーツに身体を沈ませながら、カレンを待っていた。病室のドアの向こうで、親父と医官の声が聞こえる。あたしの怪我の話? ベットの上で仰向けになりながら、そっと静かに聞き耳をたてる。
「どれぐらいお休みになるんでしょうか?」
「うーん、傷口の具合で長くて1ヶ月ぐらいでしょうか。莉緒さんの業務の代行ができる方は12課や医療部にはいらっしゃいませんか?」
「抗体のない人間がリスクを負いながらやることは難しいだろう·····神崎は感染症内科だし·····」
「十分な感染対策を施し、外科の先生に訓練を詰ませるとか。莉緒さんがいないと、週平均4名、少なく見積っても計16名の感染症例が命を落とすか、身体の機能を失うことになる」
「それは私もわかっています」
「莉緒さんの復帰を早めることはできますか」
「本人と主治医に相談してくださいと言いたいところですが··········今回の失神は、過労やストレスよりメンタルの要因が関わっているのではないのでしょうか」
「莉緒さんは医療部のエースでもあるんです。娘さんを大事に思うお気持ちは理解できますが、どうか。」
あたしとしては、技術が戻るのならいつだって復帰はできる。あたしは自分自身を『つぎはぎをする機械』のように解釈していて、ほかには何も無い奴だから。そもそも、メンタルなんて言葉自体が話に沿わない。
「おい、おっさんども」
「莉緒!?」
「莉緒さん··········」
一日でも早く復帰するしかない。思いを扉の向こうにぶつけるように叫んだ。父親は額に脂汗を流しながら、病室の扉を開ける。医長も親父の隣であたしの顔を覗き込んできた。
「一日でも早く戻れるようにするから、そこんとよろしく。あとは、すみません。」
「莉緒、無理しちゃいけないからな」
「無茶を言って申し訳ありません」
ふたりは、色んなものに繋がれながら、背中を丸めたあたしを眺めている。心電図や点滴やらは大袈裟な小道具で、明日には外れるだろうけど。
ふたり揃って世界が終わったみたいな顔をしている。あたしの怪我はパソコンがバグを起こした程度の出来事だ。
もし、あたしの代行のできる人物の手配が難しいとしたら。
感染によりなくなる命や希望を指折り数えることになる。不安じゃないと言ったら嘘だけれど。あたしは止まれない。この胸の中にきみがいるから。ーーどんな絶望が待ち受けていても、隣にいて欲しいんだ。
「迷惑をおかけします」
あくまでも仕事の場面なので、穏便な言葉にひそやかな誓いを込めた。けれど、表情は上手く隠すことが出来なくて、まるであたしが逆ギレをしているように見えるだろう。鋭く睨みつけているように思われるかもしれないけど、構わなかった。
おじさんふたりにじっと見つめられていると、なんとも言えない気分になる。
あたしは、病室に流れる空気をカレンが切り裂いてくれる瞬間をじっと待っていた。




