最終話 あなたにささげるラブレシピ
「ごちそう様でした。食べてるうちに辛みが強くなってきたというか……少し舌が痺れて、暑くなってきたな。けど、今までリリーナがくれた食べ物の中で一番美味しかった」
完食した魔王様がフォークを置く。
頑張ってよかったと、リリーナは心から思う。
「ごほん。それで、魔王様はどっちの料理が気に入ったんだ? 聞くまでもなさそうだが」
魔王様とリリーナは、2人の世界を作っていたが、ドクターの咳払いで現実に引き戻された。
「リリーナの料理だな。ライラのほうが見た目もいいし、万人受けすると思う。でもこれは……俺だけのために、リリーナがレシピから作ってくれたものだから」
その言葉だけで、リリーナは充分だった。
胸の奥がくすぐったくなる。
「私、お邪魔虫みたいですね……」
「あーそう落ち込むなよライラ! このスープ俺は好きだぜ?」
横では2人の様子に毒気を抜かれたライラを、ロロが慰めていた。
「よかったですわ……まだワタクシは、魔王様と一緒にいられるのですね!」
「まだってなんだよ。何も泣くことないだろ」
感極まって泣き出したリリーナに、魔王様が苦笑する。
ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなかったのに、魔王様はそれを許してはくれなかった。
リリーナの側までくると上を向かせ、満足そうに笑う。
「そんなに、俺がいないと寂し……くっ、あ……?」
「魔王様?」
なんだか魔王様の様子がおかしい。
言葉の途中で苦しそうな顔になり、胸を押さえて倒れてしまった。
「あ……りりぁ……」
床につく前にリリーナがキャッチすれば、とろんとした目で見上げてくる。
どうやら舌が回らないようだ。
異様に体が熱く、息も荒かった。
「魔王様!? どうしたのですか!? しっかりしてください!!」
「あぁ言い忘れていたがな、リリーナ。ソースにつかっていたシビレビレは、普通の者にとっては毒物だ」
慌てたリリーナに、ドクターがくっくっと笑う。
どうやら知っていて止めなかったらしい。
「なんでそんな重要なことを、先に言わないのですか!!」
「面白そうだったからに決まっている。命に別状はないから、安心するといい。時間が経てば治るし、遅効性で痺れと強い媚薬効果があるため、魔族の間でも堕としたい相手によく使われている安全な毒だ。ちなみに滅多に生えないので、高額取引されているんだぞ?」
ドクターは、ニヤニヤ笑いで言い放つ。
こういう奴だと知っていたのに、油断したリリーナが悪かった。
メデューサであるリリーナは、あらゆる毒が効かない。
おかげで、全くシビレビレの毒に気づかなかったのだ。
最初に食べるのは魔王様であるべきだと吹き込まれ、他の人に味見を頼まなかったのが、今になって悔やまれる。
「採取されやすい魔物には、特徴がある。採取する側を利用して増えようとするしたたかなタイプ。自らの命を犠牲にして、次の命を繋げようとする者。そして、シビレビレのような……毒で身を守る者。どうしてそういう生態をしているのか考えると、わくわくするだろう!?」
バサァっと白衣を広げ、ドクターは意気揚々と語り出す。
被り物のくせに、その瞳は少年のようにキラキラと輝いていた。
「どうやら……ドクターには毒がどれくらい怖いものか、その身に教えてあげる必要があるみたいですね。ねぇ、蛇達?」
「わわっ、ちょっと待てリリーナ!! 我輩が悪かった!!」
ドクターが慌てだす。
今更、謝っても遅い。
リリーナは、問答無用でドクターに蛇をけしかけた。
◆◇◆
カフェの2階にある部屋に魔王様を移す。
リリーナは魔王様に、シルヴィアの角を煎じたものを飲ませた。
(これじゃ効かないでしょうけれど……せめてもの気休めですわ)
強い解毒作用があるシルヴィアの角だが、「悪意ある」もしくは「相手を傷つけようとして」使われた毒にしか効かない。
魔王様への悪意や害意など、リリーナの中に微塵も存在するはずがなかった。
(魔王様と2人っきりになったのは、久しぶりですわね)
ベッドに寝かされた魔王様は、間もなく眠ってしまった。
シビレビレの媚薬効果のせいで、魔王様は体の熱が高ぶっているらしい。
汗をかいているし、体を拭いた方がいい。
そう考えてシャツを脱がせたものの、リリーナが触れれば敏感に反応するものだから、少し妙な気分になってきた。
(魔王様って、意外と筋肉があるのですね……それに男の方なのに、妙に色っぽいです)
苦しんでいる魔王様を前に、そんなことを考えるべきではない。
真面目なリリーナは首を横に振り、煩悩を追い出した。
体を清め終わり、新しいシャツに着替えさせる。
「ん……おいていか……ないで……。とうさ……母さん……」
どうやら、魔王様は悪い夢を見ているらしい。
いつもより幼い喋り方。
亡くなった両親の夢を見ているのだろう。
「魔王様、大丈夫です。リリーナが側におります」
リリーナは、そっと魔王様の手を取る。
それからその体に、蛇を優しく絡ませた。
「あ……リリーナ……?」
魔王様が、うっすらと目を開ける。
まだ目はとろんとしているが、喋れる分痺れはよくなったのかもしれない。
「すみません、魔王様。ワタクシがシビレビレなんかを使ったせいで、こんなことになってしまって。ちゃんと誰かに味見をさせるべきでした」
「いや、それは……別にいい。あれを食べたのは、俺だけなんだよな?」
魔王様が上半身を起こしたので、リリーナはその背にクッションを挟む。
どうやら魔王様は、他に被害が及んでいないかが心配らしい。
そうリリーナは解釈した。
「はい。ですが次からは、ちゃんと他の者に味見させますね」
「ダメだ。そんなことしたら……他の奴らが勘違いする」
「しかし魔王様、それではまた今回のように……」
「平気だ。俺は元人間でも魔王だし、そう簡単に死んだりしない。だから味見も他の奴にさせなくていい」
魔王様は頑なだ。
理解しないリリーナに対して、怒っている。
媚薬の影響か、魔王様は感情豊かだった。
普段はけだるげなポーズで隠してしまう感情が、そのまま表に出ているみたいだとリリーナは気づく。
「リリーナから食べ物をもらうのは……俺だけでいい。他の男に渡すのはダメだ」
ここまで魔王様がこだわるのは、珍しい。
基本的には、何においても感心が薄い人なのだ。
しかし、御身に危険が及ぶのなら、リリーナも引くわけにはいかない。
味見役は必要だと食い下がれば、魔王様の機嫌は目に見えて悪くなった。
「……魔族にとって食べ物をプレゼントするのは、求婚の意味があるんだろ? リリーナは他の奴に求婚したいのか?」
魔王様から読み取れるのは、あからさまな執着とわかりやすい嫉妬。
リリーナはようやく、不機嫌の理由に気づいた。
そんなふうに思っていたなんて知らなくて、嬉しいのと同時に混乱する。
「魔王様……それを知っていたのですか!? その味見にそんな深い意味はありませんし、あくまでワタクシは魔王様のためを思って……!」
「どうだろうな。前々から思ってたんだが、どうしてリリーナは、俺を他の奴と結婚させようとするんだ? 俺はこんなにもリリーナが他の奴と仲良くするのが嫌なのに……リリーナはそうじゃないのか?」
わからないという顔を、魔王様はしていた。
ずっと悩ませてしまっていたのだと、ようやくリリーナは気づく。
「……いつか魔王様は、ワタクシの側を離れてしまうんじゃないかって、ずっと不安だったんです。人間に奪われたくなくて、妻がいれば――魔王様は国にずっといてくれると思いました」
魔王様が腹を割って話してくれているのだから、自分もきちんと話すべきだ。
リリーナは心の内側に燻っていた気持ちを、ゆっくりと言葉にする。
魔王様は、リリーナがそんなことを考えていたとは思ってもみなかったのか、黙りこんでしまった。
リリーナのズルい部分を知って、幻滅したのかもしれない。
そう思えば、心は沈んだ。
「国のためだなんて、本当は建前でした。どうしたら、魔王様がずっと私の側にいてくれるのか……そればかり考えていたんです。魔王様がどうしたいのかを、本当は考えるべきだったのに」
強引だったという自覚はあった。
――これは国のために重要なことだから。
そう自分さえも欺き、魔王補佐という立場をリリーナは利用していたのだ。
魔王様の顔が見られなくて、俯く。
「魔王様が結婚に乗り気でないなら、する必要はありません。ですができることなら……いつまでも国にいてください。魔王様に満足していただけるよう、料理も頑張りますから……!」
お願いをしたところで、リリーナは1つ重要なことに気づいてしまった。
「そういえば……魔王様は毒で倒れてしまいましたが、もう勝敗は決まった後ですし、取り消したりはしませんわよね? 帰ってきて……くれますよね?」
魔王様の顔色を窺い、尋ねる。
卑怯だとは思ったが、リリーナも必死だった。
「リリーナは、魔王様じゃなくて、俺に帰ってきてほしいんだよな?」
俺という部分を強調して、魔王様がリリーナに問いかけてくる。
――名前で呼べ。
そう催促された気がした。
「ソータに……帰ってきてほしい、です……」
名前を呼ぶことが、こんなにも恥ずかしいとリリーナは知らなかった。
ちゃんと言葉にすれば、魔王様――ソータが頭を撫でてくる。
「それなら帰る」
「……魔王様っ!」
思わず感情が高ぶって抱きつけば、ソータも抱きしめ返してくれた。
「魔王様じゃなくて、ソータだろ? まぁ、そう簡単にくせは直らないか」
ソータは少し体を離して、リリーナの目を見つめてくる。
「なぁ、リリーナ。ずっと俺と一緒にいられる簡単な方法があるんだが、知りたくないか?」
「知りたいです!」
即答すれば、ソータがクスッと笑う。
その顔が近づいてきたかと思えば、互いの唇が軽く触れあった。
「なっ、なっ……!?」
「他の誰かじゃなくて、リリーナが俺と結婚すればいい。家族になってくれるって、最初に約束しただろ?」
混乱のあまり頭がついていけないリリーナに、ソータがまた口づけをしてくる。
腕をぐっと引いてくる力は強くて、先ほどよりも長く深いキスだった。
◆◇◆
こうして気持ちを確かめあった2人は、皆に祝福されながら魔王城へと戻った。
しかし、意識がもうろうとしていたソータは、シビレビレを食べた後のことを、自分に都合がいい夢を見たと思いこんでいて。
……また一騒動あったりしたのだが、これはまた別のお話。
ようやく完結しました!
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!