9. 夜中の出来事
うむむむむ。
眠れない。
別に異世界に初めて来て興奮したからではないのだ。
かゆい。
体が痒い。
なんか虫が居る。
虫刺されで痒い。
ああ、この不便さがファンタジー、ご飯が美味くても行水場で体が清潔でも、虫がいっぱいでは文明度が高いとはいえない。
日本とは比べものにならない後進さなのだ。
ざまあみろ。
これがファンタジーの醍醐味!
などとやせ我慢しても痒いものは痒い。
ぽりぽり。
しくしく。
もう一度行水場にいって、水浴びして、女将さんに塗り薬が無いか聞いて見ようかなあ。
まだ、女将さんは起きてるだろうか、結構、夜更けのような気がする。
突き上げの戸を開けて外を見ると、空には赤と黄色の月が二つ。
おお異世界ファンタジー、知っている星座が一つもありません。
ぽりぽり、かゆい。
かゆぽり。
こんこん。
と、ノックの音がした。
「ゲンキ、起きてる」
「起きてるけど、ど、どうしたのオッドちゃん」
こんな夜中に、ど、どういうことなんだろう。
部屋の鍵を開けて、ドアを開く。
外には寝間着のオッドちゃん。
クリーム色の厚手の生地のゆったりとしたネグリジェで、とても可愛い。
お人形のような整った顔に、ご自慢のオッドアイはちょっととろんとして眠そう。
あ、なんか凄い良い匂いがする。甘いような薔薇みたいな、いい匂い。
「どどど、どうしたの?」
「ちょっとすることを忘れて、入っていい?」
「い、いいよお、いいともお」
な、なんだ、忘れたすることって、お休みのキスとか、そういうナイス習慣が異世界にはあるとか、いやいやそんな。
「シェイプレン」
は?
オッドちゃんは部屋に入ると謎の言葉を発して、両手を上にあげた。
小さな火の粉のような物が部屋中に飛び回り、パチンパチンと音をたててはじける。
なんだかそれはとても幻想的で、螢が飛び交うように綺麗で。
ぽかんとして僕はその火を見つめていた。
「なにこれ?」
「殺虫魔法」
ぬわーーー、この満天の星のように幻想的にはじける一つ一つが害虫ですかっ!
どんだけ沢山いるんだよっ。
もの凄く綺麗だけど浪漫もへったくれもない超実用魔法だよっ。
でも、とりあえずとても助かります。
「アヤメにゲンキも困ってるだろうからって、お願いされたのよ」
「そうだったのか、ありがたいです、ありがとう」
僕は、ぱちぱちと、あちこちではぜる火の粉を見ていた。
火魔法なのかな。
「魔法使えない人は、こういう場合どうするの」
「我慢」
「ふえー、でも助かったよ、痒くて痒くて眠れなかったんだ」
「後ろをむきなさい」
なんだか解らないが、とりあえず後ろを向いた。
とん、とうなじ辺りにオッドちゃんの冷たい指があたった。
「【我は爽快な風を求め】【緩やかに皮膚の熱き被れを静め】【さやさやと夕べに心を融き解さん】」
ふわっとライムグリーンの光が輝き、ふわふわと、痒いところに、すっとなでられるような感触が走り、ハッカみたいなさわやかな匂いがして、全身のかゆみが止まった。
「それなに?」
「痒みを取る風魔法よ」
「なんで殺虫魔法と詠唱の長さがちがうの?」
「呪文を設計した人が違うからよ」
「?」
「魔法というのは細かい部品みたいな物で出来てるの。同じ馬車でも高い馬車と安い馬車だと作りがちがうでしょ? そんな感じで設計が上手い人が組んでいくと、短くなるし、あまり使われないような魔法だと改良もされないので詠唱も長くなるわ」
「人が組んだ魔法を覚えていくのが魔法なんだね」
「最初はね、熟練していくと、だんだんと魔法を自分で組めるようになるわ」
「へえ、僕にも簡単に覚えられる魔法はない?」
「無いわよ、適当に覚えると破裂とかして危険よ。魔法の初級科で、年に二三人は暴走破裂して死ぬのよ」
なんだそれコワイ。魔法超危ない。
「じゃ、おやすみなさい、ゲンキ」
「うん、おやすみオッドちゃん、ありがとう」
柔らかく笑って、オッドちゃんは部屋を出て行った。
なるほどねえ、この世界の人でも簡単に魔法使いにはなれない訳だ。
魔法はコンピューターのソフトウエアみたいな物なんだな、命令を沢山構築して大きな効果を出すのか。
細かい命令にあたる部分をしっかり覚えて、回路みたいに組んでいく感じなのかな。
キルコゲールを操縦してる時に、魔力が動く感じが解るから、僕も細かい部分をしっかりやれば魔法も使えるのだろうけど、きっとすごく長い時間がかかるんだろうなあ。
どっちの世界でも、物事は簡単にはいかない物なんだなあ。
しかし、オッドちゃんの怪力はどうなっているのだろう。魔法で身体強化してんのかな。
うーむ謎だ。
謎と言えば、あんな魔法も使える上に、超怪力な、一人軍隊みたいなオッドちゃんが、どうして僕たちを召喚しに来たのだろう。
棍棒攻撃時にも、僕らはなにも役立ってないような気がするし。
魔王の前に出た時になんかあるのかな。
最終決戦の時に僕らの秘められた力が解放されるとか。
……。
でも僕らは、彼女が元々呼ぼうとした人間と違うしみたいだしなあ。
色々考えてしまうよ。
今は観光旅行だから良いけど、危険な闘いになったら困るし。
あやめちゃんが怪我とかしたら、僕は逆上し発狂して大暴れする自信があるね。
そう考えると、やっぱり早めに日本に送り返してもらうのが良いと思うな。
しかし、魔王と闘うというのに、なんでオッドちゃんは一人なんだろう。
仲間とか居ないのかな。
ボッチなの?
勇者とかは居ないのかな。
謎は深まるばかりだよ。
異世界の初めての夜。ぼくはそんな事を考えながら眠りについた。