第19話:黒角の刃と、燻る王都
第19話:黒角の刃と、燻る王都
夜明けの光が、王都の厚い雲の隙間から白々と射し込み始めた。
初夏の朝の冷気を含んだ微風が石炭街の狭い路地を吹き抜けていくが、ガドのドワーフ工房の周辺だけは、まるで季節が真夏に逆戻りしたかのような濃厚な熱気に包まれていた。
「……ふぅぅぅ……っ」
工房の土間にへたり込んだアルドが、真っ黒に煤けた顔で天を仰ぎ、重い息を吐き出した。
シャツの袖は千切れ、両腕は金床から飛び散った鉄粉と火の粉の跡で無数に黒ずんでいる。徹夜で巨大な鞴を引き絞り続けた太ももと背中の筋肉は、乳酸が限界まで溜まり、指先をピクピクと痙攣させていた。
その隣で、ライルもまた工房の壁に背中を預け、泥と油で汚れた自分の両手を見つめていた。一晩中、炉の通気口へ向けて極小の風魔法を途切れることなく送り続けた代償として、体内の魔力残量は底をつきかけ、こめかみの奥がジリジリと熱を帯びて痛んでいた。
だが、疲労困憊の少年たちの視線の先――工房の中央にある巨大な冷却油の樽から、ジュウゥゥッ! という凄まじい蒸気とともに引き上げられた「二振りの刃」を見た瞬間、その疲労は一瞬にして歓喜へと塗り替えられた。
「……よし、上がったぜ」
革エプロンを汗でぐっしょりと濡らしたガドが、太い二の腕に浮かぶ血管を波打たせながら、巨大なトングで挟んだ刃を薄暗い工房の陽光にかざした。
一振りは、アルドの『鋼鉄の直剣』。
だが、昨夜までの無骨な銀色の刀身とは、まるで別物に生まれ変わっていた。
『双角の大角兎』の漆黒の二本の角――その外殻を粉砕し、高温の火床で浸炭焼き入れされた刀身の峰側は、深淵の闇を塗り込めたような鈍い黒鉄色に染まり、刃先へ向かって美しい波紋のようなグラデーションを描いている。角が秘めていた強靭な魔力が鋼の分子の隙間に焼き締められたことで、重量はわずかに増したものの、手にした瞬間に骨まで響くような圧倒的な『剛性』を宿していた。
「おい、アルド。受け取りな」
ガドが冷やした直剣の柄を、無造作にアルドへ放り投げた。
「おわっ!」
アルドは慌てて両手でキャッチした。
ずしり、と掌に伝わる馴染み深い重量。だが、重心を確かめるように軽く振ってみると、刃のブレが完全に消え去っていた。
「……すげえ。峰がガッチリ詰まってやがる」
アルドが息を呑み、黒く染まった刀身を指先でなぞった。
「前の剣は、大角兎の首を叩き割った時に刀身がビビるような嫌な振動が腕に来てたんだ。でもこいつは……まるで一枚の分厚い鉄板を振ってるみてえに、衝撃を全部相手に叩き返せる気がするぜ」
「当たり前だ。あの化け物の角の骨粉を、限界まで叩き込んで鍛接してあるからな」
ガドは満足げに鼻を鳴らし、パイプに新しい葉を詰めながら言った。
「刃こぼれなんざ逆立ちしても起きねえよ。牙猪の頭蓋骨だろうが、第二層のオークの棍棒だろうが、真っ向から叩き割れる『対魔獣仕様の黒角直剣』だ。大切に使い倒しな」
「へっ、ありがとよ、オヤジ! 最高の相棒だ!」
アルドが白い歯を見せて破顔した。
そしてガドは、もう一振りの細身の刃――ライルの『軽量鋼の片手剣』を布で丁寧に拭い上げ、柄をライルへと差し出した。
「坊主、お前のもだ」
ライルは立ち上がり、両手で恭しくその剣を受け取った。
一見すると、昨夜と変わらない洗練されたドワーフの軽量鋼。だが、鞘から抜いて刃先を光にかざした瞬間、ライルは息を呑んだ。
刃の切っ先から根元に至るまで、髪の毛一本すら滑り落ちるような、冷酷なまでの鏡面研磨が施されていた。それだけではない。ガドの卓越した砥石使いによって、刃の断面がわずかに蛤の殻のような緩やかな曲面を描き、空気を切り裂く際の抵抗が極限まで削ぎ落とされている。
「お前さんの風の魔法……刃の後ろに風を沿わせて加速させる戦い方に合わせて、峰の空気抵抗を少し削って、刃先の抜けを極限まで鋭くしといた」
ガドは煙をふぅと吐き出し、ライルの目を見据えた。
「力のない者が、知恵と技術で肉を断つための研ぎ方だ。大角兎の皮下脂肪ごときで刃が止まることは二度とねえ。……ただし、切れ味が鋭すぎる分、相手の骨を斜めに斬りつけると刃が食い込みすぎる。刃筋を立てる意識を忘れるなよ」
「……はい。ありがとうございます、ガドさん」
ライルは真新しい刃を見つめ、静かに胸に抱いた。
ただの道具ではない。職人が命を削って灯した火と、自分たちが泥にまみれて勝ち取った魔石が融合して生まれた、唯一無二の武器。
「さて……夜が完全に明けましたね」
工房の入り口の木陰で、手帳を開いて昨夜の精錬工程の記録を終えたセシルが、静かに立ち上がった。
その左腕は、頑丈な包帯で固定されたままだが、顔色には昨夜のような青白さはなく、商人としての怜悧な光が戻っていた。
「ガドさん、約束の追加報酬です。手入れ用の油二瓶と、携帯砥石の代金として……純銀貨二枚」
セシルが銀貨を差し出すと、ガドは片手を振って制した。
「いらねえよ、そんな小銭」
ドワーフは豪快に笑い飛ばした。
「あの特級の深紅魔石をもらった時点で、銀貨十枚分以上の火種を手に入れたようなもんだ。お前さんたちのおかげで、この工房の炉はあと二日は全開で叩ける。……油も砥石も、俺からの先行投資だ。その代わり、来週もあのクラスの魔石を持ってこいよ? 炉の火を絶やしたら、承知しねえからな」
「……強欲な職人ですね」
セシルは眼鏡を押し上げ、フッと口元を緩めた。
「ええ、望むところです。私たちの補給線を維持するためにも、境界の魔石はすべてこの工房へ優先的に流しますよ」
三人は顔を見合わせ、泥と煤にまみれた顔で笑い合った。
だが、その温かい空気は、工房の外から聞こえてきたざわめきによって、一瞬にして冷や水を浴びせられることとなった。
ガラガラ、と工房の前の路地に荷車が止まる音がした。
続いて、何人もの荒々しい足音と、切羽詰まったような怒号が響いてくる。
「おい、ガドの親方! いるんだろ!?」
「頼む、親方! 炉の火を少しだけでいい、俺たちにも分けてくれ!」
工房の革暖簾を跳ね上げて飛び込んできたのは、近隣の鍛冶屋や刃物工房の親方たちだった。
その誰もが、煤けた作業着を着たまま、目の下に酷い隈を作り、血走った目でガドに縋り付いてきた。
「親方のとこの煙突から、夜通しで火の粉が上がってるのを見たんだ! 嘘じゃねえ、本物の火属性の魔石を焚いてる匂いだ!」
年配の鍛冶職人が、ガドの腕を掴んで懇願する。
「うちの工房、先週から炉が完全に冷えちまって、騎士団から発注された槍の穂先の焼き入れができねえんだ! このまま納期に遅れたら、違約金で工房を潰される! 金なら……金なら、手持ちの銀貨を全部出す! 頼む、火床の端っこを半日だけ貸してくれ!」
「うちもだ! ガラスの溶解炉が固まっちまったら、窯そのものが壊れちまうんだよ!」
工房の中に押し寄せる、切実で生々しい悲鳴。
ガドは苦虫を噛み潰したような顔でパイプを噛み締め、怒鳴りつけた。
「騒ぐんじゃねえ、馬鹿野郎共! 俺の炉が温まったのは、この坊主どもが命懸けで森の深淵から特級の魔石をもぎ取ってきたからだ! お前ら全員の面倒を見られるほど、この火床は広くねえんだよ!」
「そんな……見殺しにする気かよ、親方……!」
職人たちが絶望に顔を歪める。
その光景を、ライルは息を詰まらせて見つめていた。
自分たちが灯した火は、確かにガドの工房を救った。だが、その煙突から上がる煙は、周囲の凍え切った職人たちにとっては、飢えた獣の前にぶら下げられた肉のようなものだったのだ。
王都の魔石不足という巨大な病巣は、たった一つの工房が潤った程度で解決するほど生易しいものではなかった。
「……ガドさん」
セシルが、静かに前に進み出た。
押し寄せる職人たちの視線が、制服を着た眼鏡の少年に集まる。
「親方衆。話を聞かせていただきましょうか」
セシルは手帳を開き、懐からクライン商会の刻印が押された懐中時計を取り出した。
「ガド工房の炉の占有権は、午前中は私たちの武具の調整で埋まっています。ですが、今日の午後から明日の朝にかけてなら、火力の余剰分を時間制で小分けに貸し出すことは可能です」
「な、本当か!?」
職人たちの目が色めき立つ。
「ただし、タダではありません」
セシルの声音が、絶対零度の商人の冷徹さを帯びた。
「代金は銀貨ではなく、あなた方の工房にある『余剰の鋼材』、あるいは『解毒薬の原料となる乾燥薬草』での物納とします。相場の二割安で換算させていただきますが……文句はありますか?」
「ない! 文句なんざあるわけねえ! 炉の火が使えるなら、鉄屑だろうが薬草だろうがいくらでも持ってくる!」
「よし、交渉成立です。では、受付順に納品スケジュールを組みます。……ガドさん、炉の管理料として、集まった物資の四割を工房に納めます。異論は?」
ガドは目を丸くし、やがて呆れたように頭を掻いた。
「……ガハッ! 抜け目のねえ商売人め。俺の炉を使って、自分のパーティの消耗品を買い叩く気かよ。いいぜ、乗った! てめえら、セシルの坊主の言う通りに並びやがれ!」
工房の前が一瞬にして仮設の取引所へと変貌していく。
絶望に沈んでいた職人たちの顔に、微かな生気が戻り、慌ただしく物資を運ぶ足音が石炭街に響き始めた。
「……セシル」
ライルが感嘆の声を漏らすと、セシルは眼鏡を直しながら小声で耳打ちしてきた。
「感傷に浸っている場合ではありませんよ、ライル。彼らを救うためではありません。私たちの装備を維持するための『鉄』と、森で生き残るための『薬草』を、市場価格が暴騰している今、最安値でかき集めるための合理的な取引です」
セシルはそう言ってそっぽを向いたが、その口元には、街の破滅をギリギリのところで押し留めたことに対する、確かな矜持が浮かんでいた。
昼前。
ベルクンド王立貴族階級学校の正門をくぐった三人は、預かり所で大急ぎで泥と煤を洗い流し、シワを伸ばした制服に身を包んでいた。
徹夜の疲労はピークに達しており、アルドなどは歩きながらあくびを噛み殺し、膝をカクカクと揺らしている。
だが、校舎の中に足を踏み入れた瞬間、三人の神経は再び張り詰めた。
「おい、聞いたか? 昨夜、石炭街の一角で、突然大掛かりな炉の火が灯ったらしいぞ」
「ああ。第一騎士団が慌てて査察に入ったそうだが……冒険者ギルドの正規の指定納品枠だと突っぱねられて、手出しができなかったとか」
「下町の平民どもが、魔石を隠匿しているんじゃないのか? ギリウス殿下の魔法演習のために供出を拒んだ不逞の輩だ、厳罰に処すべきだという声も上がっている」
廊下を行き交う上級生たちが、昨夜のガド工房の火を巡って、ヒソヒソと噂話を交わし合っていた。
その会話の端々に、第一王子ギリウス派の貴族たちの傲慢な苛立ちが透けて見えている。彼らにとって、自分たちが支配する王都の中で、管理外の「火」が灯ること自体が許しがたい越権行為なのだ。
「……ライル」
アルドが声を潜めて耳打ちしてくる。
「騎士団がギルドにまで嗅ぎ回りに来てるらしいぜ。俺たちのこと、バレてねえだろうな?」
「大丈夫です」
セシルが平然とした顔で前を見据えたまま答える。
「ギルドの規約上、納品した冒険者の個人情報は、犯罪行為がない限り国家権力に対しても非公開です。あの無愛想な受付嬢も、貴族の鼻を明かすのが大好きな性格のようですからね。書類の辻褄は完璧に合わせてあります」
その時だった。
「――おや、ライルではないか」
前方から、よく通る冷ややかな声が響いた。
生徒たちがサッと左右に道を空け、恭しく頭を下げる。
廊下の向こうから歩いてきたのは、豪奢な青のマントを羽織り、胸元に銀の百合の勲章をつけた青年――次兄、グリードだった。
その背後には、武門貴族の子息たちで構成された私兵団の幹部生徒たちが、軍靴の音を響かせて従っている。
「グリード兄上」
ライルは咄嗟に「無能で大人しい三男」の愛想笑いを浮かべ、深々と頭を下げた。
アルドとセシルも、身分を弁えた下級貴族と平民商人の礼をとって直立する。
グリードはライルの前で足を止め、その鋭い灰色の瞳で、ライルの全身を値踏みするように舐め回した。
ライルの心臓が、トクンと跳ねる。
(徹夜の気配……魔力の枯渇が、見抜かれたか……?)
だが、グリードが口元に浮かべたのは、見下すような嘲笑だった。
「酷い顔色だな、ライル。目の下に隈を作り、足元がふらついているぞ。……また図書室の埃っぽい書物に埋もれて、無駄な夜更かしでもしていたのか?」
「……はい。古代帝国の農業水利制度についての文献を読んでおりましたら、つい時間を忘れてしまいまして」
ライルは情けない声を装って頭を掻いた。
「ふん、相変わらず役に立たぬゴミを溜め込むのが好きな男だ」
グリードは鼻を鳴らし、ライルの肩を通り過ぎざまに軽く小突いた。
「第一層の休耕地と同じだな。どれだけ耕したところで、実るものなど何一つない。……ギリウス兄上の見栄の演習のせいで、王都の空気は日に日に荒れている。無能なら無能らしく、自室の温室に鍵をかけて震えていることだな」
「ご忠告、心に刻みます」
ライルが再び頭を下げると、グリードと取り巻きたちは、嘲笑の混ざった足音を響かせながら去っていった。
グリードの背中が見えなくなった瞬間、アルドがギリリと奥歯を噛み締めた。
「……クソが。相変わらず鼻持ちならねえ野郎だぜ」
「いいんだ、アルド」
ライルは顔を上げ、静かに息を吐き出した。
その瞳の奥には、先ほどまでの卑屈な笑みは微塵も残っていなかった。
「兄上たちが僕を『無害なゴミ』だと思ってくれている間は、僕たちは自由に動ける。……この泥にまみれた手で、兄上たちの足元を少しずつ切り崩していけばいい」
ライルの言葉に、セシルも静かに頷いた。
「その通りです。グリード殿下は、兄の失政を突いて私兵団を拡大することに夢中で、足元の平民や職人たちの本当の苦しみに目を向けていない。……彼らが見下している『泥』こそが、いずれ彼らの豪華な馬車を立ち往生させる泥濘になるのです」
三人は顔を見合わせ、無言のまま頷き合った。
王宮の巨大な権力者たちが、目先の玉座を巡って互いに牙を剥き合っている間に。
自分たちは、大地に根を張り、本物の力を蓄える。
その日の放課後。
睡眠不足の重い身体を引きずりながらも、三人は再び王都南門を抜け、魔物の森、第一層最深部の『境界エリア』へと戻ってきていた。
境界エリアの湿った空気。
西の『第二層』から吹き下ろしてくる冷たい風を浴びた瞬間、徹夜の眠気は嘘のように吹き飛んだ。
「……よし。試運転といこうか、アルド」
ライルが腰の軽量鋼の片手剣を抜き放ち、澄み切った切っ先を構えた。
ガドの手によって極限まで研ぎ澄まされた刃は、森の木漏れ日を吸い込み、青白い光を帯びている。
「応よッ! この黒角直剣の初陣だ!」
アルドが背中から引き抜いた直剣の峰が、鈍い漆黒の輝きを放つ。
ガサリッ!
前方のシダの茂みを突き破り、通常の大角兎が一頭、猛烈なスピードで突進してきた。
漆黒の角を突き出し、腐葉土を蹴り上げる。
アルドは逃げない。
昨日の反復練習で叩き込んだ、踵を軸にした完璧な重心移動。
突進が鼻先をかすめる直前、アルドは半身を鋭く回転させ、黒角を焼き付けた直剣を、上段から一閃した。
ズバァァァァンッ!!
凄まじい衝撃音が響き渡った。
骨を叩き割る鈍い音ではない。まるで分厚い丸太を鋭利な斧で叩き割ったかのような、圧倒的な破壊力。
大角兎の頑丈な首の骨は、黒角直剣の重厚な一撃によって抵抗なくへし折られ、巨体が地面をバウンドして絶命した。
「……うおっ!?」
アルドが自らの一撃の威力に目を丸くした。
「手に……手のひらに、全然衝撃が跳ね返ってこねえ! 峰の黒角が、相手の骨の反動を全部押し潰しやがった!」
「素晴らしい剛性ですね」
後方で手帳を開いていたセシルが、満足そうに頷いた。
「これなら、大角兎の首を連続で叩き割っても、刀身の歪みは生じません。前衛の突破力は、昨日の倍以上に跳ね上がりましたよ」
その時だった。
「ライル、頭上だ!」
アルドが叫んだ。
一頭目の影に隠れるようにして、木の上からもう一頭の大角兎が、ライルの頭上へ向けて落下するように跳躍してきたのだ。
不意打ちの奇襲。通常なら体勢を崩される間合い。
だが、ライルの心は氷のように静まり返っていた。
(……風を、刃筋に沿わせる)
ライルは恐怖で目を逸らすことなく、前へと半歩踏み込んだ。
研ぎ直された軽量鋼の剣を、下から上へと滑らかに振り上げる。
「生活魔法――『風』」
刃の峰の後ろへ、極小の気流を解放する。
シュンッ――!
空気抵抗を削ぎ落とされた刃先が、風の加速を得て、目にも留まらぬ速度で大角兎の胴体を下から切り上げた。
ズバッ!
抵抗が、全くなかった。
まるで柔らかな水引を撫で切ったかのような手応え。
大角兎の強靭な毛皮も、分厚い皮下脂肪も、ガドの研ぎ澄ました刃の前には紙切れ同然だった。
空中で真っ二つに両断された大角兎が、血の雨を降らせながら地面に激突し、沈黙した。
「……すごい」
ライルは剣を構えたまま、自らの刃を見つめた。
刃こぼれ一つない。血すらも、滑らかな鏡面の刀身の上を玉のように転がり落ちていく。
「二人とも、完璧ですね」
セシルが歩み寄り、二頭の魔石を手早く抉り出した。
「ガド工房の強化と研ぎ直しは、大成功です。私たちの戦闘能力は、この境界エリアにおいて、完全に『狩る側』へと定着しました」
夕暮れの光が、深い森の木々の隙間から差し込んでくる。
足元には、二頭の獲物の魔石。
これで今日もまた、ガドの工房の火を灯し、職人街の誰かの生活を支えることができる。
だが、ライルは剣を鞘に収めると、西の空を見つめた。
暗緑の領域――第二層の深淵。
そこから吹き抜けてくる風は、昨日よりもさらに冷たく、不気味な獣の気配を孕んでいた。
「……アルド、セシル」
ライルが静かに呟いた。
「なんだい、ライル」
「僕たちの足場は、もう完全に固まった。……次は、あそこだ」
ライルの指差す先。
太陽の光を完全に拒絶する、真っ黒な巨木たちの壁。
森狼の群れが蠢き、オークの足音が響く、本当の死線。
「おうよ」
アルドが黒角直剣を肩に担ぎ、獰猛に笑った。
「この剣と、お前たちの魔法があれば……今度こそ、あの狼どもの喉笛を叩き割ってやれるぜ」
「ええ。セシルの左腕の完治を待って、万全の準備で挑みましょう」
セシルもまた、眼鏡の奥で静かに闘志を燃やした。
泥まみれの放課後。
王宮の誰も知らない場所で、少年たちは確実に、深淵の扉を開けるための鍵を手に入れつつあった。
冷え切った王都の底で灯された小さな火種は、やがて巨大な嵐となって、王国を揺るがすことになる。その予兆を胸に、三人は確かな足取りで、夕闇迫る森を歩き出した。
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