三日目(一)
三日目――午後。
窓から差し込む光が、床に長い影を落としていた。
その中で、モルテリア・オクルスは静かに立っている。
「……今から、一緒に出かけるぞ」
いつも通りの声音。
だが、ほんのわずかに――硬い。
「そうか」
ノリヒトは頷いた。
視線を向ける。
その違和感には気づいている。
だが、あえて触れない。
「行きつけの店と……教会に行く」
「わかった」
それ以上は聞かない。
ただ、並ぶ。
――家を出る。
森の中の細道。
風が葉を揺らし、光が揺れる。
並んで歩く二人。
会話はない。
だが。
ノリヒトは、横目で一度だけモルテリアを見る。
表情は、いつも通り。
冷静で、無機質で、隙がない。
――慣れている顔だ。
(……なるほどな)
それだけで、十分だった。
森を抜ける。
平野を越える。
やがて、巨大な城壁が姿を現す。
城塞都市――エランズ・ド・モンテ。
門前。
槍を構えた門番たち。
「止まれ」
鋭い声。
だが、その視線は――
モルテリアに向けられた瞬間、露骨に歪んだ。
「……またお前か」
小さく、だが確実に聞こえる声。
「不吉なものを街に持ち込むな」
吐き捨てる。
ノリヒトの眉が、わずかに動く。
モルテリアは、何も言わない。
「……通行手形だ」
淡々と差し出す。
門番はそれを受け取る。
確認もそこそこに、雑に返す。
「……そっちの男は?」
ノリヒトが仮の通行手形を見せる。
門番はそれを、じっと見る。
先ほどとは違う。
今度は――慎重に。
そして。
「……行け」
今度は、吐き捨てなかった。
ただ、モルテリアには最後まで目を向けない。
門をくぐる。
広がる街。
人々のざわめき。
生活の匂い。
だが。
すれ違う視線が、刺さる。
小さな声。
子供の囁き。
「ねえ……あれ」
「見ちゃだめ」
母親が、子供の顔を逸らさせる。
モルテリアは、歩みを止めない。
「……行くぞ」
それだけ。
教会。
扉を開ける。
中の空気は冷たい。
修道士が一人。
こちらを見る。
――そして。
一歩、後ずさった。
無意識に。
距離を取るように。
「……クラウディア・ノタリアに取り次いでもらいたい」
モルテリアが言う。
「私が来た、と」
修道士は一瞬迷い――
すぐに頭を下げた。
「し、少々お待ちください」
奥へ消える。
待合室。
質素な部屋。
「出来てるわよ」
クラウディアが現れる。
いつもの笑み。
だが、その視線は一瞬だけ、モルテリアに向けられ――
わずかに細まった。
すぐに戻る。
「はい」
書類を差し出す。
そして、ノリヒトの手を取る。
ちくり、と痛み。
手首に浮かぶ紋章。
「呪いじゃないわよ」
「目印。それと身分証明」
「教会が保証する」
にこり。
「これで自由に動けるわ」
「転移者なら、歓迎よ」
ノリヒトは手首を見る。
(……印か)
(位置くらいは追えるな)
軽く指でなぞる。
(まあ、外せる)
問題ない。
「……すまないな」
モルテリアが言った。
その声は――わずかに低い。
「昨日はどうだったのよ?」
クラウディアがにやりと笑う。
「同じ屋根の下で――」
「な、なにもない!」
モルテリアが即座に返す。
「命の恩人だからな」
ノリヒトが静かに言う。
「ふーん?」
クラウディアが笑う。
「まあ、そういうことにしておくわ」
「――次に行くぞ」
モルテリアが立ち上がる。
教会を出る。
教会を後にし、二人が向かったのはパン屋だった。
だが――表ではない。
回り込むようにして、裏口へ。
トントン、と控えめに扉を叩く。
「あんたか」
軋む音とともに顔を出した店主は、モルテリアを見ると一瞬だけ眉を寄せ――すぐに視線を逸らした。
「……待ってな」
短く言い残し、奥へと引っ込む。
やがて戻ってきた店主は、紙袋に入ったパンを無造作に差し出した。
「ほらよ」
「すまんな」
モルテリアが受け取る。
「……世話にはなってる」
店主がぼそりと呟く。
その声には、感謝とも、遠慮ともつかない色が混じっていた。
「だが……」
言葉が続かない。
視線が、わずかに泳ぐ。
「……代金はいい」
ノリヒトは、そのやり取りを横目で見ていた。
(……なるほどな)
口には出さない。
だが、理解はした。
「明日からは、こいつが来る」
モルテリアが、ノリヒトを親指で示す。
「……あ?」
店主がノリヒトを見る。
「手首を見せてやれ」
ノリヒトは、袖を少し上げた。
刻まれた教会の紋章。
「ああ……わかった」
店主が小さく頷く。
「なら、明日からは表に来てくれ」
その一言で、線引きが変わる。
――そのときだった。
「それと」
モルテリアが、ふと思い出したように言った。
一枚の紙を取り出す。
「注文したいものがあるんだ」
差し出される。
受け取ろうとした、その瞬間。
店主の視線が―― 一瞬だけ、ノリヒトに向いた。
値踏みするような。
確かめるような。
ほんの一瞬。
「……手に入るか?」
モルテリアが紙を開きながら問う。
「うん、まあ……」
店主が顎に手を当てる。
「たまに注文は来るしな……」
そう言いながらも、視線はまだノリヒトに残っている。
何かを測るように。
ノリヒトは、それを受け止める。
(……なんだ?)
だが、何も言わない。
「二日ほど待ってくれ」
「ああ」
モルテリアが頷く。
「こいつに取りに行かせる」
「……ああ、いいぜ」
店主が短く答える。
だが、その声音には――
ほんのわずかに、含みがあった。
――それが、全てだった。
他の店も同じ。
裏口。
短いやり取り。
そして。
ノリヒトは“表”。
夕方。
城門を出る。
静かな道。
「……気づいただろ」
モルテリアが言う。
「出入り禁止、ってわけじゃないな」
ノリヒトが答える。
「……そんな、いいものじゃない」
小さく笑う。
「慣れている」
一言。
それだけで、十分だった。
「期待もしていない」
続ける。
淡々と。
だが――ほんの少しだけ、重い。
「……そうか」
ノリヒトは、それ以上踏み込まない。
「話したくなったら、聞く」
ただ、それだけ。
そして。
「美人の話し相手なら、いつでも歓迎だ」
軽く付け足す。
「……っ」
モルテリアが、目を見開く。
ほんの一瞬。
そして。
「……ふっ」
小さく笑った。
「お前……ほんと、そういうところだぞ」
呆れたように。
「……慣れてないんだ、そういうの」
ぽつりと、漏らす。
「……ずるいな、お前」
気づけば、家の前。
夕陽が、二人の影を長く伸ばす。
モルテリアは、少しだけ足を止めた。
「……私は――」
言いかける。
止まる。
続けない。
「……いや」
小さく首を振る。
「なんでもない」
扉を開ける。
その背を見ながら。
ノリヒトは何も言わない。
ただ、静かに並んで。
一緒に、家へ入った。




