表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/12

三日目(一)

 三日目――午後。



 窓から差し込む光が、床に長い影を落としていた。



 その中で、モルテリア・オクルスは静かに立っている。



「……今から、一緒に出かけるぞ」



 いつも通りの声音。



 だが、ほんのわずかに――硬い。



「そうか」



 ノリヒトは頷いた。



 視線を向ける。



 その違和感には気づいている。



 だが、あえて触れない。



「行きつけの店と……教会に行く」



「わかった」



 それ以上は聞かない。



 ただ、並ぶ。


 

 ――家を出る。


 

 森の中の細道。



 風が葉を揺らし、光が揺れる。



 並んで歩く二人。



 会話はない。


 

 だが。


 

 ノリヒトは、横目で一度だけモルテリアを見る。


 

 表情は、いつも通り。



 冷静で、無機質で、隙がない。


 


 ――慣れている顔だ。


 

(……なるほどな)


 

 それだけで、十分だった。


 

 森を抜ける。



 平野を越える。



 やがて、巨大な城壁が姿を現す。


 


 城塞都市――エランズ・ド・モンテ。


 

 門前。



 槍を構えた門番たち。



「止まれ」



 鋭い声。




 だが、その視線は――



 モルテリアに向けられた瞬間、露骨に歪んだ。


 

「……またお前か」



 小さく、だが確実に聞こえる声。



「不吉なものを街に持ち込むな」


 

 吐き捨てる。


 

 ノリヒトの眉が、わずかに動く。


 

 モルテリアは、何も言わない。


 

「……通行手形だ」



 淡々と差し出す。


 

 門番はそれを受け取る。



 確認もそこそこに、雑に返す。


 

「……そっちの男は?」


 

 ノリヒトが仮の通行手形を見せる。


 

 門番はそれを、じっと見る。



 先ほどとは違う。



 今度は――慎重に。



 

 そして。


 

「……行け」


 

 今度は、吐き捨てなかった。


 

 ただ、モルテリアには最後まで目を向けない。


 

 


 門をくぐる。


 

 広がる街。



 人々のざわめき。



 生活の匂い。


 

 だが。


 

 すれ違う視線が、刺さる。


 

 小さな声。



 子供の囁き。


 

「ねえ……あれ」



「見ちゃだめ」


 

 母親が、子供の顔を逸らさせる。


 

 モルテリアは、歩みを止めない。


 

「……行くぞ」


 

 それだけ。


 

 

 教会。


 

 扉を開ける。



 中の空気は冷たい。


 

 修道士が一人。



 こちらを見る。


 

 ――そして。


 

 一歩、後ずさった。


 

 無意識に。


 

 距離を取るように。


 

「……クラウディア・ノタリアに取り次いでもらいたい」



 モルテリアが言う。



「私が来た、と」


 

 修道士は一瞬迷い――



 すぐに頭を下げた。


 

「し、少々お待ちください」


 

 奥へ消える。

 

 

 待合室。


 

 質素な部屋。


 

「出来てるわよ」


 

 クラウディアが現れる。


 

 いつもの笑み。



 だが、その視線は一瞬だけ、モルテリアに向けられ――



 わずかに細まった。


 

 すぐに戻る。


 

「はい」



 書類を差し出す。


 

 そして、ノリヒトの手を取る。


 

 ちくり、と痛み。


 

 手首に浮かぶ紋章。


 

「呪いじゃないわよ」



「目印。それと身分証明」



「教会が保証する」

 


 にこり。


 

「これで自由に動けるわ」



「転移者なら、歓迎よ」


 

 ノリヒトは手首を見る。


 

(……印か)



(位置くらいは追えるな)


 

 軽く指でなぞる。


 

(まあ、外せる)


 

 問題ない。


 

「……すまないな」


 

 モルテリアが言った。


 

 その声は――わずかに低い。

 


「昨日はどうだったのよ?」



 クラウディアがにやりと笑う。



「同じ屋根の下で――」


 

「な、なにもない!」



 モルテリアが即座に返す。


 

「命の恩人だからな」



 ノリヒトが静かに言う。


 

「ふーん?」



 クラウディアが笑う。



「まあ、そういうことにしておくわ」


 


「――次に行くぞ」



 モルテリアが立ち上がる。


 

 

 教会を出る。



 教会を後にし、二人が向かったのはパン屋だった。



 だが――表ではない。



 回り込むようにして、裏口へ。



 トントン、と控えめに扉を叩く。



「あんたか」



 軋む音とともに顔を出した店主は、モルテリアを見ると一瞬だけ眉を寄せ――すぐに視線を逸らした。



「……待ってな」



 短く言い残し、奥へと引っ込む。


 

 やがて戻ってきた店主は、紙袋に入ったパンを無造作に差し出した。



「ほらよ」


 

「すまんな」



 モルテリアが受け取る。


 

「……世話にはなってる」



 店主がぼそりと呟く。



 その声には、感謝とも、遠慮ともつかない色が混じっていた。



「だが……」



 言葉が続かない。



 視線が、わずかに泳ぐ。


 

「……代金はいい」


 

 ノリヒトは、そのやり取りを横目で見ていた。


 

(……なるほどな)


 

 口には出さない。



 だが、理解はした。


 

「明日からは、こいつが来る」



 モルテリアが、ノリヒトを親指で示す。


 


「……あ?」



 店主がノリヒトを見る。


 

「手首を見せてやれ」


 

 ノリヒトは、袖を少し上げた。



 刻まれた教会の紋章。

 


「ああ……わかった」



 店主が小さく頷く。



「なら、明日からは表に来てくれ」


 

 その一言で、線引きが変わる。



 

 ――そのときだった。


 

「それと」



 モルテリアが、ふと思い出したように言った。



 一枚の紙を取り出す。


 

「注文したいものがあるんだ」


 

 差し出される。


 

 受け取ろうとした、その瞬間。


 

 店主の視線が―― 一瞬だけ、ノリヒトに向いた。


 

 値踏みするような。



 確かめるような。


 


 ほんの一瞬。


 

「……手に入るか?」



 モルテリアが紙を開きながら問う。


 

「うん、まあ……」



 店主が顎に手を当てる。


 

「たまに注文は来るしな……」


 

 そう言いながらも、視線はまだノリヒトに残っている。


 


 何かを測るように。


 

 ノリヒトは、それを受け止める。


 

(……なんだ?)


 

 だが、何も言わない。


 


「二日ほど待ってくれ」


 

「ああ」



 モルテリアが頷く。


 

「こいつに取りに行かせる」


 

「……ああ、いいぜ」


 

 店主が短く答える。


 

 だが、その声音には――



 ほんのわずかに、含みがあった。


 

 

 ――それが、全てだった。

 

 


 他の店も同じ。


 

 裏口。



 短いやり取り。


 

 そして。


 

 ノリヒトは“表”。


 

 

 夕方。


 

 城門を出る。


 

 静かな道。


 


「……気づいただろ」



 モルテリアが言う。


 


「出入り禁止、ってわけじゃないな」



 ノリヒトが答える。


 

「……そんな、いいものじゃない」


 

 小さく笑う。



 

「慣れている」



 

 一言。


 

 それだけで、十分だった。


 

「期待もしていない」


 

 続ける。


 

 淡々と。


 

 だが――ほんの少しだけ、重い。


 

 


「……そうか」


 

 ノリヒトは、それ以上踏み込まない。


 

「話したくなったら、聞く」


 

 ただ、それだけ。


 

 そして。


 

「美人の話し相手なら、いつでも歓迎だ」


 

 軽く付け足す。


 

 

「……っ」


 

 モルテリアが、目を見開く。


 

 ほんの一瞬。


 

 そして。


 

「……ふっ」


 

 小さく笑った。


 

「お前……ほんと、そういうところだぞ」


 

 呆れたように。


 


「……慣れてないんだ、そういうの」


 

 ぽつりと、漏らす。



 

「……ずるいな、お前」

 

 

 気づけば、家の前。


 

 夕陽が、二人の影を長く伸ばす。

 


 

 モルテリアは、少しだけ足を止めた。


 

「……私は――」


 

 言いかける。


 

 止まる。


 

 続けない。



 

「……いや」


 

 小さく首を振る。


 

「なんでもない」


 

 扉を開ける。

 

 

 その背を見ながら。


 

 ノリヒトは何も言わない。


 

 ただ、静かに並んで。


 

 一緒に、家へ入った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ