031 理性に縛られるという典型的な例
遠征先に行くまでの道中、チビとパコは隣同士に座って話し合いをしていた。そして、会話内容はチビが何故ヒットが打てないのかという話しから始まっている。
「ヒットが打てない理由を自問自答した事があるのかい?」
「それが無いんだ。今までやってきた努力が否定されるのが怖くて考える事も出来ない」
そう、チビは自分の長所を捨ててしまっているというのだ。それではヒットなど打てる筈も無い。チビは先人達の言葉を自分流にアレンジして使う事が出来るという才能を持っている。これは他の一般人には無い感覚だ。他の者は有名人の言葉を胸に秘めて生きようとするがチビは違う。有名人の言葉を理解した上で、さらに自分流のアレンジを付け加えて人生の糧にしている。それを放棄してしまっているのでは、スランプになって当たり前だ。それは考える事を放棄してしまっている事に等しいのだから。
「自問自答はチビ君の専売特許でしょ。それを捨てちゃ駄目だよ」
パコはそうだと言うのだ。自問自答こそがチビの長所であり、最大の強みであると。それを欠いてしまえば選手として活躍するのは皆無に等しいのだと。
「でも、今までやってきた努力が無駄だと分かれば立ちあがる自信は無いよ」
「何を言ってるんだい。君の精神力は凄まじいじゃないか。現実と向き合う方が得策だと僕は思うけどな」
パコはそうだと言うのだった。今のチビには自分を客観的に見るのが足りていないのだと。そして、ヒットが打てないと文句を言うだけで行動に移してもいないのだと。
「……そうだね。パコ君の言う通りだよ、僕はなんで今まで逃げていたんだろう」
人間的感覚(知性)が目覚めた事によって、良いことも悪いこともあると言うのだ。それによって、あまり理性に頼り過ぎるのもどうかと思われる。




