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背景モブの付き人ですが、推し悪役令嬢をバッドエンドから救ったら王太子殿下に求婚されました  作者: 黒崎隼人


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第2話「推しと歩く魔法植物の園」

 王立セレスティア学院の入学式から1週間が経過した。

 高い天井に描かれたフレスコ画と、大理石の柱が立ち並ぶ荘厳な校舎は、ゲームの背景そのままだ。

 制服の擦れる音、生徒たちの弾むような話し声、そして時折響く靴音が、日常の喧騒を作り出している。

 私はエルヴェティア様の斜め後ろ、きっちり一歩半の距離を保って歩いている。

 すれ違う生徒たちは皆、彼女の完璧な美しさと冷たいオーラに圧倒され、海が割れるように道を開けていく。


『今日もエルヴェティア様の歩き方は優雅で美しい。背筋の伸び具合、スカートの揺れ幅、すべてが計算され尽くした芸術品だ。後ろを歩いているだけで寿命が延びる気がする』


 私は心の中でひたすら推しを讃えながら、周囲の状況を鋭く観察する。

 今日は金曜日。

 放課後の自由時間、エルヴェティア様はいつも一人で学院の裏手にある温室へと向かう。

 そこは彼女にとって、侯爵令嬢という重い鎧を脱ぎ捨てられる唯一の安息の場所だ。

 私は彼女の歩調に合わせながら、廊下の窓から差し込む午後の光の暖かさを肌に感じる。

 石畳を叩く彼女のヒールの音が、リズムよく響く。

 やがて、ガラス張りの巨大なドーム状の建物が見えてくる。

 王立魔法植物温室。

 扉を開けると、むわっとした湿気と、様々な植物が混ざり合った濃密な香りが鼻を突く。

 外の喧騒は分厚いガラスによって遮断され、ここはまるで水底のように静かだ。


「……今日は、誰もいないわね」


 エルヴェティア様が、ぽつりとつぶやく。

 その声には、廊下を歩いていたときの冷たさはなく、年相応の少女の柔らかさが混じっている。

 私は彼女の背中を見つめながら、静かに頷く。


「はい。温室の管理当番も、今日はもう帰られたようです」


 彼女は小さく息を吐き出すと、ゆっくりと温室の奥へと歩き出す。

 私はその後に続く。

 シダ植物の大きな葉が腕をかすめ、色鮮やかな花々が視界を彩る。

 彼女の足取りは軽く、先程までの緊張した様子はどこにもない。


『かわいい。植物を見る時のエルヴェティア様、本当に生き生きしている。この笑顔をずっと守りたい。そのためなら私はどんな汚れ仕事でもする』


 彼女はある一鉢の前で立ち止まる。

 そこには、まだ蕾の固い夜霧草が植えられていた。

 エルヴェティア様はしゃがみ込み、細く白い指先でそっと葉に触れる。


「……響音。これ、夜霧草の苗よ。学院の温室にあるなんて、知らなかったわ」


 私を名前で呼ぶその声は、弾んでいた。

 入学前のあの日から、彼女は私の前でだけ、時折こうして素顔を見せるようになった。

 私は彼女の隣にしゃがみ込み、夜霧草の葉を見つめる。


「本当ですね。まだ小さいですが、葉の形は間違いなく夜霧草です。花が開くのが楽しみですね」

「ええ。月明かりの下でしか咲かない花……実際に咲いているところを、一度でいいから見てみたいわ」


 彼女のサファイアブルーの瞳が、憧れに揺れる。

 その横顔があまりにも無防備で、私の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

 この純粋な少女が、どうしてあんな悲惨な結末を迎えなければならないのか。

 ゲームのシナリオライターに対する怒りが再燃しそうになるのを抑え、私は彼女に微笑みかける。


「きっと見られますよ。私が、エルヴェティア様が見られるように手配いたします」


 彼女は驚いたように私を見る。

 そして、ふっと小さく吹き出す。


「……あなたは本当に、変な付き人ね。夜霧草の開花なんて、誰にも予測できないのに」

「私にはわかるんです。エルヴェティア様の望みなら、なんだって叶えてみせますから」


 私は真剣な顔で言い切る。

 エルヴェティア様は呆れたような顔をして、再び葉に視線を落とす。

 しかし、その口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。


『よし。推しの笑顔、いただきました。今日の任務も順調だ』


 温室の湿った空気が、心地よく私たちの間を流れる。

 この穏やかな時間が、永遠に続けばいいと思う。

 しかし、私の脳裏にはゲームの進行カレンダーが明確に刻まれている。

 もうすぐだ。

 もうすぐ、彼女を破滅へと導く最初の歯車が回り始める。

 私は立ち上がり、エプロンドレスの土を払う。


「エルヴェティア様、そろそろ寮へお戻りになる時間です。お夕食の準備がございますので」

「……ええ。そうね」


 彼女は立ち上がり、再び侯爵令嬢の冷たい仮面を被る。

 温室を出る直前、彼女は一度だけ振り返り、夜霧草の苗を見つめた。

 その視線に込められた未練を、私は絶対に見逃さない。


◆ ◆ ◆


 夜の寮の自室に戻った私は、机の上に広げたノートと睨み合っていた。

 ノートには、ゲームのイベントスケジュールと、それに対する私の介入計画がびっしりと書き込まれている。

 ランプの灯りが、インクの文字をオレンジ色に照らし出す。


『最大の難関は、1ヶ月後の食堂スープ事件だ。ここがすべての分岐点になる』


 ゲームのシナリオ通りなら、明日の昼休み、大食堂でエルヴェティア様は主人公のフロリアと決定的な出会いを果たす。

 熱いスープの入ったトレイを持つフロリアに、エルヴェティア様がわざとぶつかり、スープをこぼさせるという最悪の第一印象イベント。

 ここでヒロインにいじめを働く悪役令嬢としての立ち位置が確定し、周囲のヘイトを一気に集めることになる。

 これを防がなければ、バッドエンドへの道は塞げない。


『エルヴェティア様は、本当はわざとぶつかるような人じゃない。家の重圧と、平民であるフロリアが学院でちやほやされていることへの複雑な感情が、彼女をそうさせてしまうだけだ』


 私はペンを握りしめ、ノートの食堂スープ事件の文字をぐるぐると丸で囲む。

 介入のタイミングは一瞬だ。

 エルヴェティア様が動く前に、私がフロリアの進路を塞ぐか、トレイを奪うか。

 不自然にならないように、かつ確実にスープの落下を防ぐ方法。


『私が転んでフロリアさんにぶつかればいい。それならエルヴェティア様に非は向かない。私がドジな付き人として怒られるだけで済む』


 完璧な計画だ。

 自分の評価などどうでもいい。

 推しの名誉が守られるなら、熱いスープを被るくらい安いものだ。

 私はノートを閉じ、ランプの火を吹き消す。

 暗闇の中で、静かに呼吸を繰り返す。

 明日、すべてが始まる。

 私の推し活の、最初の大きな試練が。

 窓の外から聞こえる風の音が、まるで戦いへのファンファーレのように聞こえた。

 私は布団を頭まで被り、明日のシミュレーションを脳内で繰り返しながら、静かに目を閉じる。

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