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深淵を貫く光

 



 ユリウスは祈るような思いで、生命力を練り上げた。

 精霊と生命力を同調させて、彼らの力を借りる。



「お願い……力を貸して……」



 自然とこぼれ出た声は、震え掠れていた。

 水の魔法の特性を使い、ユリウスの感情を共有する。


 それで魔物の怒りや興奮を、一時的にでも、鎮めることが出来れば……



 縋るように発動した魔法が、魔物に到達した瞬間だった――



 耳を(つんざ)く魔物の咆哮と共に、脳天を突きぬける衝撃が全身に走った。

 調和の力で同調した魔物の感情が、逆にユリウスの心と体に流れ込み、支配していく。



 内から溢れ、暴れだす感情に呼吸を忘れて、短い息だけが途切れ途切れ、口からこぼれた。

 憎しみ、悲しみ、怒り。

 到底、言葉にできない負の感情が、ユリウスの自我を押しのけ蝕んでいく。



 気付いた時には、膝が崩れ、目の前には地面があった。


 大量の汗が、地面を濡らしていく。

 地につけた両手からは、魔物から流れ込んできた穢れが漂っていた。



 穢れに呑み込まれかけている――圧倒的な恐怖と混乱で、魔法の制御ができない。

 まるで、全身が捻じられているかのように痛くて、ぴくりとも動けなかった。



 再び、魔物の咆哮が、響き渡った。

 しかし、それは膜一枚隔てた世界から、響いてくるように思えた。

 抱えきれない感情に、意識が遠のいていく。



 ――僕はこのまま、こんなところで死ぬのか……



 自分の口からは小さな笑いが溢れたのを遅れて知った。それを聞いて、微かに残っていた視界が暗く染まる。



 ――あの日からもう、何も見えなかったんだ。だから……もう……



 抗う気力は起きず、やってくる死を受け入れようと、目を閉じた――その時だった。




 パリンっとガラスが砕けるような音が、ユリウスの頭の中に鋭く響いた。

 それは絶望を内から引き裂く、激しく眩しい光が落ちたような感覚だった。



「立て」



 低く凛とした声が、闇を貫く。

 先ほどまで感じていた恐怖も痛みも、まるで嘘だったかのよう消えていた。

 そのことに気づき、声を追った先には、ユリウスと魔物の間に立ちはだかる漆黒の背があった。



 月明かりの下に照らされた、闇より深い闇色――それはまるで、深淵の底から這いあがってきた使者のように思えた。



 何が起こったのか理解できず、ただ呆然としていると突然、横から手が差し伸べられた。

 隣には、長身の男が立っていた。月を背にして立つ男の顔は、よく見えない。



「もう大丈夫」



 彼の手に触れた瞬間、重ねた手の隙間から、光が溢れ出してきた。それは、ユリウスの全身へと流れ込んでいく。


 光の――浄化の魔法だ。


 温かな光が、体を蝕んでいた穢れを、内側から浄化していくのを感じた。

 体も心も、羽が生えたように軽い。


 手を引かれて立ち上がると、光の粒子たちが楽しげに体のまわりをくるくると舞った。



「貴方たちは……」



 言葉を投げかけたとき――魔物が怒り狂うような、荒々しい咆哮を轟かせた。



 空気が震え、耳を突きぬけ、体の芯まで伝わってくるそれに、再び恐怖が蘇る。

 咄嗟に、魔物のいる方を見た。

 けれど、視界に入ったのは、漆黒の男の背だった。



「いいか、よく見ておけ」



 咆哮の余韻の中で凛とした声が、ユリウスの恐怖を鎮めるように響いた。



調和(みず)の力ってのは、こう使うんだよ」



 漆黒の男は迷いなく魔物に向かって進んでいく。同時に、彼の生命力を感じた。

 その瞬間、魔物の放つ穢れが、奔流のように彼へ襲い掛かり、その全身を覆いつくした。



 喉の奥から悲鳴が漏れた。

 先ほどユリウスが感じた以上の苦痛を、彼は感じているはずだ――呑まれてしまう!



 咄嗟に歩を踏み出そうとした時、長身の男の腕が、それを阻んだ。

 思わず、何かを訴えようと口を開いた。だが極度の焦燥と緊張に、声はついてこなかった。

 そんなユリウスを見て、長身の男は首を僅かに傾けた。



「大丈夫、よーくご覧」



 長身の男の視線を追った先を見ると、予想とはまるで異なる光景が広がっていた。

 漆黒の男を覆った穢れが、彼の生命力の波動に押し返されていく。



 ――あれは……調和の力だ。


 穢れは彼を呑みこむどころか、彼の生命力に絡めとられそうになって逃げようと藻掻いているようだった。



 穢れの暴走に突き動かされたかの如く、魔物が暴れだす。

 魔物はその巨体を立ち上がらせると、鋭い爪で漆黒の男へと襲い掛かった。



 ユリウスが声をあげるよりも早く、甲高い金属音が、夜空に散った。

 漆黒の男がコートの中に下げていた剣で、魔物の爪を受け止めたのだ。


 繰り出される魔物の爪を、剣で受け止め、払う。その間にも彼の魔法が、徐々に魔物を穢れごと包み込んでいくのがわかった。



 水の魔法ははっきり目で、見えるわけではない。けれど同じ力の使い手として、まるで見えているかのように感じ取れる。

 水の精霊が、彼の意思に同調して、穢れに支配された熊を宥めている。

 怒りに狂い、我を忘れていたはずの熊が、その慰めを受け入れたように急に大人しくなった。



「シュトルツ」



 漆黒の男の呼びかけに、「了解」と長身の男が答えた。


 合図を受け取った瞬間、ユリウスの周りに浮遊していた光の粒子が、穢れのほうへと流れていく。

 目で追ったその光は、魔物のそばでふわりと舞い、まるで子守歌のように穏やかに包み込んでいった。



「ゆっくりお休み」



 長身の男が優しく呟いたのを合図に、あれほど濃く漂っていた穢れが熊から剥がれ、光に誘われようにして、空へと舞い上がっていく。



 それはまるで、光と闇がダンスを踊り、戯れているようだった。

 恐怖と絶望から一変。あまりにも綺麗なその光景が消え去るまで、ユリウスは夜空を見上げていた。




 彼らは一体――


 視線を正面に戻すと、自我を取り戻し、本来の姿に戻った熊が森へと帰っていく様子と、その熊とすれ違うように、森の奥から人影がこちらへやってくるのが見えた。



 まさか……追手?



 焦りが胸を突いたの束の間。急激に全身の力が抜けていく。遠のいていく意識は、もう引きとめることは出来なかった。



 ――逃げないと、出来るだけ遠くに……



 その思考を最後に、ユリウスの意識は闇の中に沈んだ。






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成長/革命/復讐/残酷/皇族/王族/主従/加護/権能/回帰/ダーク/異世界ファンタジー
― 新着の感想 ―
文学方面特有の、物静かな空気感とでもいいましょうか。それを感じられて、個人的には凄く好きです。
『調和の王〜影から継がれたもの〜』は、壮大なファンタジーの世界観と繊細な心理描写が織り交ぜられた、非常に魅力的な物語の幕開けです。プロローグから第1章までの展開は、静かながらも深い余韻を残し、読者を徐…
なるほど、文学寄りのファンタジーとはこういうものですか。 いや、すごいですね。
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