お前は、誰だ
幕間を挟んだので、あらすじ置いておきます。
エルフの里にて、風の精霊との対話を試みたルシウス。
彼女から’’他のルシウス’’の膨大な記憶を脳に刻み込まれ、倒れたルシウスは、いろんな’’僕’’を夢で見続けることに。
リクサから分与された加護のおかげで、自我の破綻には至らず、仲間の介抱のおかげで体調を取り戻してきた彼が目を覚ますところから始まります。
ルシウスは、眠る度に夢を見た。
同じ場面、同じ景色、同じ思考、同じ感情を、
幾度も、幾度も幾度も……
現実と夢の境を行ったり来たりし、目が覚めても一瞬、ここがどこだかわからない。そういう状態が続いた。
夢うつつの状態の中にいても、仲間の介抱の甲斐あって、若干体調を回復させることが出来たルシウスは、気にかかっていたあの誤解を解くべくエーレを部屋に呼んだ。
すれ違いにシュトルツとリーベは退室していき、丸テーブルに向かい合って座ったエーレは数妙こちらの体調を量るような沈黙を置いて、ようやく口を開いた。
彼曰く、大体四日ほど眠っていたらしい。
数日前よりも体の調子はかなりマシになっていたけど、気分は優れない。膨大な記憶が原因であることはわかりきっていたが、何か癪然としなかった。
「別に急ぐことじゃねぇだろ」
コップを持ち上げながら、ぶっきら棒にエーレは言った。その中身はエルフたちが好んで飲むお茶のようなものだった。
「わかってますけど……早く言っておかないと、僕が落ち着かなくて……」
何度も繰り返し見た記憶。数を重ねるごとに、早く伝えないといけない、そんな焦燥と不安が募っていき、居ても立ってもいられない気持ちになっていた。
「言わなきゃいけないこと、ってのが何かわかんねぇが、ゆっくり話せ。まだ本調子じゃねぇだろうからな」
この期間、随分と気遣いを見せてくれる彼の気持ちにルシウスは応えて、ぽつりぽつり、ゆっくりと話しだした。
「とりあえず、一番最初に誤解を解いておかないといけません」
ルシウスは、その前置きをして切り出した。
三度目の僕は風の精霊のせいで、生命力を暴走させたんじゃないんです。
二度目の時に、彼女を遠ざけたのを覚えていますか?
加護の付与は、生命力の根本に加護が刻まれる形になる。
先天的加護なら――生まれて間もない赤ちゃんなら、拒絶反応は出ない。でも、もう生命力の形が成り立っている大人の後天的加護付与は、リスクが大きすぎる。
耐えきれず生命力を暴走させたり、順応できずに生命力循環障害や、最悪死ぬ場合だってある。
――二度目、貴方がそう教えてくれたんです。
帝国の玉座についた僕は、彼女の存在に甘えたくないという言い訳を使って、怖くて彼女を遠ざけました。
それから三度目のあの時……。貴方たちが危機に陥っているとき、僕は彼女に願ったんです。
いつか彼女に名前をつけてあげる。つまり加護の付与を受け入れる。その約束をあの時果たすしかない。そう思ったんです。
だから、彼女が境界を侵害して、無理やり僕に同調したわけじゃない。その証拠に、彼女は僕のお願いを嫌だって退けました。
彼女は僕を死なせたくなかった。それでも無理やり彼女の名前を呼んだのは……僕なんです。
あの結果は僕の選択です。彼女が悪いわけでも、貴方たちが悪いわけでもない。
……それを、どうしても言っておかなきゃいけないと思いました。
エーレはただ、じっとルシウスの言葉に耳を澄ましていた。
最後の音の余韻までしっかり聞き逃すまいとするように、彼は深く瞑目したあと。
「その考えに至らなかったわけじゃない」
静かに言葉を紡ぐ。
そう思っていなかったから、彼は風の精霊をあれほど嫌い、自分から遠ざけようとしたのではなかったのか?
ルシウスは未だ目を閉じたままのエーレを見つめていた。
漆黒の瞳がおもむろにこちらの視線に応えた。ただ目の前のルシウスを見つめる、雑念の入り込む余地のない色だった。
数秒、両者の間に沈黙が漂う。
目前にある眉間に皺が刻まれ、それらは痛みに耐えるように歪められていく。
しばらく考えあぐねるようにテーブルを見つめた彼は、重く深い息を吐きだした。
「三度目のルシウスがそう望んでいる。そう言いたいのか?」
三度目の僕は、エーレにもシュトルツにもリーベにも傷ついてほしくなかった。死んでほしくなかった。出来るなら、一緒に最後まで目的を成し遂げたかった。
自分が死んだことでエーレが責任と負い目を感じることなんて、絶対に嫌だった。
「はい」
ルシウスは肯いた。
それでも彼は、そこまで追い詰めたのが自分だという、根本的な責任を譲るつもりはないのかもしれない。
口を閉じて返答を待ったルシウスの予想に反して、彼は困ったように首を振る。その口元は歪められたままで、僅かに釣り上げられていた。
「わかった」 瞳が真っすぐ向けられる。
「あの結果を、あいつの選択として受け入れる」
「エーレ……」「だが――」
その応えに目を見開いた時、エーレの言葉が滑り込んだ。
彼は手に持ったままだったコップをテーブルに置くと、椅子に深く背を預けて脚を組みながら、一息。沈黙を挟んで続ける。
「風がお前にとって危険であることは変わらない。対処を考えなきゃいけないのも同じだ」
この空間へやってきた本来の目的の浮上に、視線を自然とテーブル上の二つのコップへと視線を落とした時、その中身が揺れたような気がした。
言葉にはし難い小さな違和感を持て余したルシウスは、コップを手に取り、口に運ぶことにした。
その間、エーレは急かすことなく、同じように飲み物を飲んでいた。
「ひとつ」
半分にまで減ったコップの中身を自然と見つめながら、たどり着いた思考の端を先に口にする。
鼻の奥にまで通った爽やかな香りが、妙に煩わしかった。
「提案があるんですけど、いいですか?」
目だけでエーレを捉えると、彼は舌打ちの後、「不味くて飲めたもんじゃねぇと」コップを睨みながら、顎をしゃくってきた。
「大体予想はつくが言ってみろ。聞いてやる」
「テミスの加護が分与されてる今なら、彼女の加護の付与にも耐えられるんじゃないかなって」
「ないよりは、可能性は高くなる」
すんなり肯定を得て、ルシウスが続けようとした時、「――が」と彼が厳しい視線を向けてきた。
「あいつの加護がどうしても必要か? どうして付与してほしいと思うんだ」
「それは……」
「付与が危険なことを知っていて、それでも受け入れたいと思うのはどうしてだって聞いてる」
ルシウスは押し黙った。テーブルの木目へと視線を落とした時、夢でみた記憶の数々が脳裏に流れていく感覚がした。
「この先、どんな危険があるかわかりません。出来るだけ力をつけたい」
「それだけじゃ理由として弱い」
自分が思ったよりも口から出たのは弱弱しい声だった。それを見抜いたようなエーレの強い言葉は、隙を与えなかった。
「また三度目と同じように、彼女に付与を求める時がくるかもしれない。
その時よりも、今の方がまだ安全だからです」
正当な理由。ルシウスにはその確信を持って、負けじと強く続けた。
風の精霊を遠ざけることが叶わないなら、どこかでまた同じことが起きるかもしれない。
それなら彼女と親しくなって、力を得る方が余程安全だ。
その理由を聞いても、エーレは怪訝そうな表情をするばかりか、じっとこちらを見つめてきた。
彼は組んでいた足を解き、椅子に座りなおすと、更に視線を注いでくる。心の底を見透かそうとするようなその仕草の果てで――ついに、その口が開かれた。
「今、話しているお前は、誰だ?」
「……え?」
コトンと衝突音が聞こえて、コップが手からすり抜けたことを知った。幸いコップは垂直に落下して、中のお茶が飛び散っただけだった。
テーブルにこぼれた液体を目に留めた後、ルシウスはエーレを見る。
彼の言葉の意味がわからなかった。
正面の彼は目を細め、数瞬沈黙する。
「お前のその気持ちは、お前自身のものなのか? それとも二度目、三度目のルシウスなのか?」
「これは僕自身のっ――!」
ルシウスは最後まで言い切れず、声を閉じざるを得なかった。
あれ……僕は何もない状態で加護を受けるのが怖くて……
城の執務室の窓が、目に浮かんだ。
もう、生命力を暴走させたくない。エーレたちを悲しませたくない。
戦場での硝煙の香りと、悲鳴が蘇った。
あれ……僕は……どれが、どこからが‘’僕‘’なんだ……?
同じ旅路を通ってきた三度の記憶が、重なり、ブレる。
似たような景色、似たような会話もある。でも、全部違う。どの記憶が、‘’僕‘’の記憶だ……?
吸い上げた呼吸が喉に詰まった。
手が、体が震え出して、それすら自分のものではないような気がした。
――怖い、怖い、怖い、怖い、怖い……!
「ルシウス」
ふと、背中に温もりを感じた先。隣にエーレがいた。
震えた顎と喉では、上手く声に出来なくて、掠れた息は声にはならない。
名前を……今、彼の名前を呼ばないと――
わけがわからなくなる。自分がどこにいるかわからなくなる。
恐怖を上回る恐怖に弾かれて、喉でつっかえた声を必死で押し出した。
「エーレ……!」
険しい表情のエーレがぼやけて見える。それが涙だと知った瞬間、視界が覆われた。
「一旦、意識落とすぞ」
その言葉にルシウスは、反射的に手を掴んで拒みながら必死で首を振る。
「眠ったら……夢が……!」
寝たらまた夢を見る。色んな僕の夢を。僕が僕を見失う。
怖い、耐えられない。
「ああっ!」
真横から聞こえた癇癪染みた声と同時に、気づけば体は持ち上げられ、ベッドに寝かされていた。
焦点が揺らぐ視界に、仲間をどうにか捉える努力をする。
あらゆるものが頭と体の内を錯綜していて、ただ目の前の彼を認識していないと、自分がどこかへ消えてしまいそうだった。
「落ち着け。何も考えるな」
深呼吸を促してきた彼の言う通り、息を繰り返す。
仲間の声、その指示に僅かな着地感を得て、恐怖が少しばかり和らいでいく感覚があった。
「どうにかする。待ってろ。それまで自分をしっかり留めておけよ」
被せられた布団に蹲ったルシウスは、ただ頷くことしかできなかった。




