バレンタイン番外「唯一無二の価値を」
「はーい、エーレさん。これ」
とある朝、レギオン支部のエントランスホールに降りてきたエーレへと、シュトルツが綺麗に包装された平べったい箱を差し出した。
「ん? ああ、あれか」
それが何なのか、すぐに検討がついたらしいエーレは、「ん」とだけ頷いて受け取る。
その様子を見ていたルシウスは、怪訝そうに首を傾げた。
シュトルツはいつも以上に上機嫌で、軽い足取りでこちらまでやってくると。
「はい、おこちゃまも。リーベはおまけ」
エーレより少し小さめの、同じような箱を渡してきた。
「え、なんですか? これ」
「おこちゃま、知らないの? 今日は特別な日だってこと」
困惑しながらも受け取ったルシウスに、シュトルツは得意気に言いやる。
「ただの商業行事だろう」
隣で苦笑したリーベの声で、彼はやっと今日が何の日あるか思い出した。
「そういえばバレンタイン、でしたっけ?」
そんなイベントがあることを、最近知った。
「そう呼ばれている。起源を辿れば、豊穣を祈る祭りだったり、場所によっては殉教者を悼む記念日ーー」
そう説明したリーベは、シュトルツを一瞥する。
「まぁ、それらが変質して今は商業行事になっているんだが」
「なんかさっきから、リーベの視線が冷たいんだけど! 甘いのが嫌いなのは知ってるけどさ!」
リーベの説明にひとり納得したルシウスは、手の中の箱とエーレを見た。
箱の丁寧に括りつけられたリボンを外してみる。すると中には、高級菓子店に売っていそうなチョコレートが六つ綺麗に並んでいた。
「え」
思わず絶句する。チョコレートは高価だ。貴族でも頻繁に食べることはない。
高位貴族や城付きのシェフならまだしも、実際にチョコレートを、これだけ綺麗に作れる人がこの国に何人いるだろうか。
「こ、これ……本当にシュトルツが作ったんですか?」
にわかには信じられなかった。
「え? 当たり前じゃん。せっかくのバレンタインなんだから、手作りにするでしょ」
「いや、そうじゃなくて。こんな高級なもの、どこでいつ……」
「昨日、レギオンの厨房借りたんだよねぇ」
そういえば昨日、シュトルツの姿を見かけなかった。まさか、こんなものを作っていただなんて。
「チョコレートの扱い方なんて知ってたんですか?」
そもそもルシウスは一度くらいしか食べたことがない。
皇太子なのにおかしいと思われそうだけど、余計なものだと、あまり食べさせてもらえなかったのだ。
「まぁ、ほら? 俺ってこう見えてなんでもできるから?」
そう答えたシュトルツは何故か目を逸らして、声を若干浮かせた。
そこにリーベの苦笑が入り込む。
「そういえばお前。あの頃――」
「ちょ、言わないでよ!」
珍しく、やいやいと言い合いを始めた二人に、ルシウスは今一度、手の中のチョコレートを見た。
「もしかして、エーレは毎回もらってるんですか?」
今日は珈琲の気分らしいエーレは、いつの間にかテーブルを挟んだ正面に座っていた。彼はカップを口元に運んでいる。
「あ? こいつが勝手に渡してくるんだから、しょうがねぇだろ」
「なんて贅沢な……」
「贅沢も何も、昔からなんだよ」
彼らのいう昔とはつまり。
「十代からってことですか?」
ルシウスの問いに、エーレはリーベと同じように苦笑をこぼした。
「こいつは、小遣い叩いてチョコレート仕入れては、作り方練習してた頃があってな」
「ちょ! なんで言っちゃうの! 恰好つかないからやめてよ!」
リーベを口止めてしている隙に、エーレの口から出てきた昔話。
シュトルツは、バツ悪そうにしながらも、「まぁ」とエーレの前にある箱に目を落とした。
「そういう頃もあったよね」
彼が何かを作ることが、得意なのは知っていた。
チョコレートをこんな宝石のように作る方法を、ルシウスは知らない。
「無駄に凝っていたからな」
同じく箱を開けていたリーベが、何かを思い出したように、再び小さく笑った。
過去のシュトルツは、王城のシェフにまで作り方を請いにいったらしい。遂に頭がおかしくなったのか、と陰で噂が飛び交っていたこともあったそうだ。
王家の剣の嫡男が、お菓子作りに小遣いを叩き、シェフにまで指導を請う。
たしかにそう思われてもおかしくない。
「そんなに難しいんですか?」
ルシウスのそれに答えたのはシュトルツだった。
「普通に溶かして固めるだけなら、誰でも出来るよ。
でもほら? エーレさんに食べてもらうなら、それだけじゃ足りないから?」
全力を尽くさないものをエーレに渡すなんて言語同断。そういうように、胸を張ったシュトルツに、「そうですか」とルシウスはエーレを一瞥した。
彼はさっそく一粒、口に入れたところだった。
結局ルシウスは勿体なくて、すぐに食べることはできなかった。
寒い時期だ。部屋に置いておいても大丈夫だろう。
そういえば今日は、恋人同士の日だとか、好きな人にお菓子を贈る日らしい。
勿論市政ではチョコレートではなく、焼き菓子や揚げ菓子らしく、王国首都の大通りもその商業戦争に混ざって、あらゆる屋台が出ていた。
これじゃひとつの祭りだ。
ルシウスはエーレに頼まれたお遣いの最中、行き交う人を見ながら思った。
どこを見ても恋人だらけ。
この分だと、この国の人口もしばらく大丈夫だろうなぁ。そんな思考が遠くに過る。
「まぁ、僕には関係のないことだし……」
羨ましくなんかない。絶対にない。
恋もしたことがないし、恋愛もわからないし、そもそも異性を好きになったことも……ない。
好かれたこともないと思う。
城にいた頃は、異性との接触も限られていた。
今はある意味、自由ではあるけど……
「好きってなんだろう」
視界に入る恋人たちは、みんな幸せそうだ。
異性と思いが通じ合うというのは、そんなに幸せなことなのだろうか。
思わず、重い溜息が出た時、目的の魔鉱商についた。
そこで用を済ませたルシウスが、さっさと帰ろうと踵を返した時だった。
街にいる人々が霞むほど輝く金髪が目を焼く。
その人物は、ルシウスが彼女を認識するよりもはやくに振り返った。
「あ、いいところにいるじゃない!」
ミレイユだった。隣の人は……
「イレーネさん!」
首都にやってくるとき以来の顔に、ルシウスは表情を明るくした。
「お久しぶりです」
相変わらず、消え入りそうな声で頭を下げてきた彼女に、ルシウスはすぐに同じように挨拶をする。
「ちょっと、私に挨拶はないわけ?」
「あ、えっと。お久しぶりです、ミレイユさん」
「まぁ、いいわ。ちょっと付き合いなさい」
「え、ちょ……!」
こちらの意思関係なく、いきなり手を引っ張られ声をあげても、勿論あのミレイユが離すわけもなく。
「エーレにお遣い頼まれてるんですよ! 早く戻らないと怒られ――」
「こっちから伝達送っておくから。今、それどころじゃないから!」
鬼気迫る雰囲気、競歩でどこかで向かう彼女の様子に、それ以上食い下がれずに、黙ってついて行くしかなかった。
着いたところは、とある大きな店の前。
すでに大勢の人が、列をなして並んでいた。その中には貴族の使いだろうという風貌の人もいる。
「間に合ったわね」
「何があるんですか?」
早速最後列に並んだミレイユは、うきうきとした様子で、隣にいるイレーネもどこか嬉しそうだ。
「今日限定の焼き菓子があるのよ! ひとり二箱しか買えないの!」
なるほど、ルシウスは口の中で呟く。
その二箱要因として、自分は拉致らされたのか。
そうしてエレウシス第一刻(十一時)の開店とともに、どうにか計六箱を獲得したミレイユは、上機嫌で店を出た。
一方、人込み(ほとんど女性)に押しに押されまくったルシウスは、たった半刻足らずで満身創痍に陥っていた。
「助かったわ」
「よかったです……」
市政では買い物が戦争のように行われることがある。という事実を学んだルシウスは、げっそりしながらも、ミレイユが嬉しいならそれでいいかと息をつく。
六箱もどうするんだろうか?
まさか全部ミレイユと側近で食べるのかな……そう思っていた時、
「おい」
ここにいないはずの声が後ろからした。
驚いて振り返ると、何故かエーレがいた。
「あら、保護者のお迎え? 早かったわね」
「てめぇが意味不明な伝達送ってくるからだろ。何かと思えば……」
エーレはルシウスたちが今しがた出てきた店と、ミレイユの手にある袋を見て、ため息を吐きだす。
「あんたに用があったのよ、お迎えも出来て一石二鳥でしょ?」
そう言いながらミレイユは、買ったばかりのうち四箱をエーレへと突き出す。
「誰にも貰えてないだろう、かわいそーなあんたたちに、私からの義理よ!」
ルシウスは一瞬目を瞬かせて、そっと一歩引くと、隣のイレーネに小声でそっと尋ねる。
「もしかして、最初からこのつもりだったんですか?」
イレーネはちらりと上目遣いで、ミレイユを見ながら頷いた。
「本当は……ミレイユ様が手作りされたんですが、どうもうまくいかなかったようでして……」
光の加護を受ける人が手ずから作ったものには、その加護が乗りやすい。そんな貴重なものではあったが、どうやらミレイユが納得しなかったらしい。
「もしかして、ミレイユさんがずっと持ち歩いてたあれって……」
会った時から、ミレイユはひとつの袋をさげていた。
イレーネはそっと頷く。どうやらあの中身が、ミレイユのお手製のお菓子らしい。
前でやいやいと口喧嘩を始めた二人を見て、ルシウスは先ほどとは違う意味でため息を吐きだした。
好きってなんだろう。何故か、そんな思考を思い出した。
シュトルツのエーレに対しての想いも好きだろうし、僕だって仲間のことは好きだし、ミレイユさんも怖いけど、好きに間違いない。
前で言い合っている二人も、おそらく……
その先に辿り着こうとした瞬間、脳裏にエーレがミレイユに向けた言葉が流れた。
信用はしているけど、信頼はしていない。
――うん、これは好きじゃないのかもしれない。
「好きって難しんですね……」
「はい?」
帰ったら、シュトルツにもらったチョコレートを食べよう。
そう決心したルシウスの頭の中には、あの宝石みたいなチョコが鮮明に浮かんでいた。
なんか今すぐ食べたくなってきた。早くレギオンに戻ろう。
そうして一歩、足を進めたと同時に、エーレが、ミレイユの手にさげた袋を取り上げた。戦闘以外で見かけない素早い動作だった。
彼が手にしたのは、彼女の手作りが入っている方の袋。
「貰うならこっちでいい」
どうやらこちらの小声での会話を、エーレはしっかり聞き取っていたらしい。
「ちょ! それはあげないわよ!」
すぐに取り返そうと詰め寄るミレイユに、エーレは手の中の箱を押し付け、袋を彼女の手の届かないところへ持ち上げる。
「そんな高けぇもん貰えるか。それに……」
エーレは袋の中から、ひとつ、紙で包装されたものを取り出すと、手早くリボンを外して中身を取り出した。
一瞬見えたのは、ドーム状のパン菓子のようなもの。それを、ミレイユが制止するよりも早く、エーレはひと口頬張る。
パン菓子にあるまじき、がりっという音が、ルシウスの耳に届いた。
それにエーレは苦笑しながらも、軽く咀嚼し、ミレイユを見下ろしながら一言。
「お前が作ったんだろ? これで十分なんだよ」
ミレイユはというと、袋を取ろうと背伸びした状態で一瞬、固まっていた。その隙に、エーレはさっさと踵を返してしまう。
ん? ルシウスは首を傾げる。
何かわかりそうになった気がする。なんだろう。
「ミレイユ様、よろしかったのですか?」
心配したイレーネが駆け寄るが、ミレイユは両腕をだらりと脱力させ、沈黙している。振り返ったその眉間には、深い皺が刻まれていた。
それを見たルシウスの脳裏から、ひらめきかけた何かが霧散していく。
「あいつ……今度あったらただじゃおかないんだから……」
先ほどの上機嫌はどこへやら。鬼のように不機嫌になったミレイユは、腕の中の箱を見て、さらに眉を寄せた。
「せっかく買ったんだから、持って帰りなさい!」
怒り心頭の様子で、足音を立てながら彼女はこちらへ歩み寄ってくると、箱を無理矢理押し付けてきた。
ルシウスが拒否する暇もなく、そのままミレイユはイレーネを伴って、挨拶もなくズカズカと去ってしまった。
逆方向へ行ってしまった両者。
ルシウスは抱えた箱と、エーレから頼まれた魔鉱石を見て、深いため息と吐き出し、レギオンへ戻ることにした。
レギオンの大きな鉄扉を潜った先には、仲間の誰もおらず、エーレの部屋にも彼らはいなかった。
仕方なく、自分に割り当てた部屋に戻ると――
「どうしてここにいるんですか……」
ルシウスは机の上に置いたままにしていたチョコレートが無事か、咄嗟に確認する。
どうやらそのままのようだ。それもそうか。
「待ってたに決まってんだろ」
机の前の椅子に座っていたエーレは、そのままちょいちょいと指を曲げてきた。
ルシウスは魔鉱石と箱を渡しながらも、ベッドに座っているシュトルツと窓際に立っているリーベを一瞥すると、何故か彼らの手に、ミレイユが作った焼き菓子があった。
「よかったんですか? ミレイユさん嫌がってましたけど」
嫌がるどころではない。今から人を殺しに行きそうな顔をしていた。
「あ?」
エーレは先ほどそのミレイユから取り上げた袋から、ひとつ、紙で包装された焼き菓子を放り投げてきた。
「ちょうど四人分あった。本当に嫌なら持ち歩かねぇだろ」
「それは、そうですけど……」
ルシウスは手のひらに収まった小さな包装紙を解く。
やはりパン菓子だ。見た目は、綺麗にできているように見える。
そう思って一口、頬張ろうとしたとき、パン菓子とは思えない硬い触感が歯を襲いーー
同時にシュトルツの笑い声が響いた。
「焼きすぎたんだろうねぇ」
「甘すぎなくて、私は食べやすかったが」
リーベの手には、いつのまにか焼き菓子がなくなっていた。
たしかに僕でも、この出来だと納得できないかもしれない。
プライドの高いミレイユなら尚更だろう。
リーベの言ったように、焼き菓子はそれほど甘くなく、硬いことを除けば、味は美味しかった。
しばらくの沈黙に、リーベ以外が焼き菓子を咀嚼する音だけが響いた。
その中で、最後の一口を食べ終えたエーレが、包装されていた紙へ視線を落とし、何かを思い出すように小さく笑った。
「別に出来なんてどうでもいいんだよ。そいつが作ったことに意味があんだろ」
同じく食べ終えたルシウスは、ふとこれを作っているミレイユを想像してみた。
彼女は多忙を極めている。今日のように街に降りて、出かける暇もほとんど取れないのだろう。
それなのに、時間を捻出したばかりか、慣れないのだろうお菓子を作った。
そこには、唯一無二の価値があった。
「あいつが恰好つけたかったことなんて、俺には関係ねぇからな」
そう言いながらも、エーレはミレイユが押し付けてきた焼き菓子の箱を開け始める。
「僕、シュトルツのチョコレートいただいてもいいですか?」
あの宝石のようなチョコレートを作れるようになるまでにも、彼はお金と時間を割き、技術を身に着けたのだ。
それがエーレためで、おまけだとしても、こうして食べられるのは有難い。
「どうぞ? エーレさんからは、もっとこうしろああしろって言われたけど……出来なんて関係ないしね?」
箱を開ける。装飾品のようなチョコレート。これにケチをつけるエーレ……
言ってることと、やってることが矛盾している。
ルシウスは、綺麗な縦線が入った四角いチョコを頬張った。
口の中に溶けていく甘味。中には少し違う種類の味がした。それらは一つになって、至福が舌に広がっていく。
「すごい……すごい美味しいです」
「それはよかった」
当然と言わんばかりに軽く笑ったシュトルツは、エーレの空けた箱から焼き菓子を取っていく。
「やはり、市販のものは甘くて仕方ない」
それに倣ったリーベは一口齧ったあと、残りをシュトルツの口に押し付けていた。
「俺が作ったチョコは食べてたじゃん」
「私のものだけ、甘さが控えめになってたことなんてわかっている」
「え? 俺そんなことしてませーん」
なんのことでしょー? と、お菓子をぼりぼり食べ始めたシュトルツ。
エーレはそんな彼を見て、さっと別のひと箱をキープしていた。
ルシウスは手の中のチョコレートを、もう一つ摘まみ上げる。
異性を好きになるとか、恋愛というものはまだわからないけど――
僕はこの時間が好きだな。
彼はそれを深く感じながら、表面がとげとげした丸いチョコレートを頬張った。




