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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
4章

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"僕"を守るものたちの

 



 見慣れない部屋、でも‘’僕‘’にとってはもう、そこは普段使いの執務室だった。



「では、()()。私は一度失礼します」



 背に受けたそんな声も、あれから嫌になるほど聞いている男の声。

 窓の外には皇都が広がっているが、活気とは程遠い。


 荒れた国を立て直すのは、大変なんて言葉じゃ足りなさすぎた。

 心身共に疲弊する中で、仲間たちと――未だ目を覚まさない彼女だけが、’僕‘’の支えだった。



「エーレ、もういいですよ」



 隠蔽で身を隠したまま、部屋に留まっている仲間へ声をかける。

 彼は執務机に置かれた書類の山から一束取ると、うんざりしたような息を吐きだした。



「少し休め。お前、寝てないだろ」



 そんな声を聞き流して、彼の手から書類をさっと取り上げる。



「おい、人の話を聞け」


「ああ、そうだ」



 険しい顔の彼を見て、ふと思い出した。



「僕、風の精霊(彼女)を遠ざけました」


「は?」


「加護の付与を提案されたんです」



 仲間一度沈黙を選び、「で? それと遠ざける繋がりは?」と声を落とす。



「このまま彼女に甘えていたら、僕は崩れてしまうでしょう。

 それに……貴女たちのように権能を持つわけでもなく、他の加護もない僕が後天的加護の付与に耐えられるとは思いません」


「――そうか」





 § § §





 爽やかな風が吹き抜ける。‘’僕‘’は緑豊かな高原を眺めていた。


 目視は出来ない、温もりも感じない。それでも、たしかな息遣いを隣に感じる。



 ――どうして貴方は、そんなによくしてくれるんですか?――



 ‘’僕‘’はいつものように、彼女に問いかけた。



 ――いつも君は、おかしなことばっかりいう――



 少し不満そうで、でも楽しそうな声が響いた。

 他の精霊とは違う、汲み取ろうと耳を澄まさずともわかる、輪郭のはっきりとした言葉。



 ――だって、こうやって僕に伝わりやすい言葉も覚えてくれたじゃないですか――


 ――こっちの方が楽しいから。風の精霊()たち退屈を嫌うの――



 彼女は笑った。本心を隠す笑いだった。

 感情に反した言葉を使う。まるで人間のようだと思った。





 § § §





 何も見えない。声だけが頭に響いてる。硝煙と血と悲鳴で、何も見ることが出来ない。



「エーレたちが……! このままじゃ……!」



 声帯が潰れる。喉が焼き切れる。それでも‘’僕‘’は(うた)った。



 ――君、死んじゃうよ?――



 返ってきた声は、こんな状況でもいつもと同じ軽やかなものだった。

 その余裕が、‘’僕‘’を苛立たせた。



 ――お願いだから……力を貸して!――



 あの日、彼女と交わした約束が、頭にぽつりと浮かび上がった。



 ――あの子たちには、クロノスがいるじゃない。私はいや。君が死ぬのはいや――



 絶対に譲らないという強い意思の返答。それを覆すには――仲間を助けるためにはもう、あれしかない。

 いつか、彼女に渡すと言ったもの。



 ――‘’ヴィン‘’ お願い――



 風がぴたりと止んだ。舞い上がった硝煙が地に落ちてくる。

 その中で、彼女が泣いているような声だけがした。



 ――人間って本当に……馬鹿な生き物――








 ◇◇◇







 吸い込んだ息の音が嫌な音を立てて、喉を滑り落ちた。


 ――悪夢、じゃない。これは夢なんかじゃない。起きてしまったことだ。



 鮮明に海馬に刻まれた記憶に、ルシウスは確信した。


 開いた視界に、木目が飛び込んでくる。不規則な模様の中に、記憶の断片を掬いあげようとした時、酷い頭痛に襲われた。


 ルシウスはベッドに深く体を預け、深い息を短く吐き出す。



 風の精霊から渡された膨大な記憶。


 エーレたちの回帰で言う、二度目のルシウス()も、三度目ルシウス()もそこにいた。


 どうして彼女がそんなことをしたのか……彼にはわかってしまった。

 ルシウスは事実を反芻させ、居ても立ってもいられず勢いよく体を起こす。頭が割れるように痛んだ。



「誤解を解かないと……」



 頭を抱えながらどうにかベッドから這い出て、立ちあがった時、視界が揺れる。

 成すすべなく重心を失くした体は、床に投げ出され、痛みを感じる前に、激しい吐き気が込み上がってきた。



「おい……!」



 暗く濁った視界に黒い靴が映る。ルシウスはその正体を認識できずに顔を上げようとするが――吐き気を抑えきれず、黄色い液体だけが床に散らばった。


 背中を擦られる感覚が浮上してきた時に、少し落ち着きを取り戻して顔を上げると、そこには彼らがいた。


 何故かとても懐かしく思えて、安心が心に沈んでいった。

 同時に険しいエーレの表情が、頭の隅を支配する記憶と重なった。



「エーレ、僕」


「しゃべるな。横になってろ」



 一番に体を支えてきたエーレに促され、ベッドに戻った時、シュトルツがハンカチを差し出してくる。彼は自分の口を指で示した。


 口を拭うと、強制的に横にさせられ、真っ先にリーベが部屋を退室していく様子が見えた。



「何か飲み物取ってくる」



 シュトルツがそれに続き、扉が閉まる音を最後に、部屋には静かな沈黙が漂った。



 ルシウスは今更になって酷い倦怠感を自覚して、深く瞑目する。

 気になることが沢山ある。聞きたいことも言いたいことも。



「僕、どれくらい意識失っていま――」



 しかし最後まで言えずに、酷く咳き込んでしまった。


 思っている以上に体が弱っている。焼けるように痛い、喉や肺もどこか他人事のように思った。

 頭がぼんやりする。それでも、今すぐに状況の確認も、言わなきゃいけないことも……


 呼吸を整えて口を開こうとした時、エーレが軽く手を突き出し、制止を求めてきた。



「聞くだけ聞いとけ。話すな」



 ルシウスが意識を失ってから、地上時間ではおおよそ丸三日。彼はそう言った。



「テミスの加護が分与されてたから、どうにかなったが……普通の人間なら神経が焼き切れてる」



 膨大な情報に人間の脳は耐られない。だから普通は防衛として、そのほとんどを記憶しない。

 しかし、風の精霊はルシウスにそれを許さず、強制的に脳に記憶を刻み込んだ。


 普通なら、神経回路や脳が壊れてもおかしくない。



 淡々とした説明を並べた彼の声色には、怒りが滲んでいた。



「いいか? あと最低でもあと三日は安静にしとけ。そこから動くな。用があれば呼べ」



 エーレの言う通り、返答を返すことなく、頷くだけに留めた時、シュトルツとリーベが戻ってきた。


 木のお盆に乗せられた飲み物とスープを渡され、シュトルツがベッドサイドに椅子を引っ張ってくる。

 それらの様子を見守っていたエーレは、さっと踵を返した。



「ああ」 そこで彼は思い出したように、振り返る。


「記憶に惑わされんな。お前はお前でしかない。よく覚えとけ」



 彼は最後にそれだけを残して退室した。






◇◇◇






病人にするようにシュトルツが介抱してくれたおかげで、水を飲み、温かいスープも半分は食べられた。


食器を回収した彼が椅子から立ち上がりながら。何か思い出したように笑った。



「俺、エーレさんの機嫌でも取ってくるかなぁ」



今から機嫌を取りにいく人間だとは思えない楽しそうな彼に、ルシウスは肩を竦ませかけるも、リーベに促されるまま、大人しく横になることにした。



「そうだ、シュトルツ」



これだけは言っておいてもらわなければいけなかった。



「エーレに伝えてください。話したいこと――いや、話さないといけないことがあるって」



がちゃり、との開閉音に、僅かな沈黙が挟まれた。

怪訝に思ってそちらを見たが、彼は肩の上で手を振りながら、「了解~」と出て行ってしまった。



先ほどまでシュトルツが座っていた椅子に腰かけたリーベは、まだ沈黙を守っていた。


ふと見上げた時、その瞳は小さく揺れているのが見えた。



「ご心配おかけしました」



一瞬、瞼が押し上げられ、揺れる茶金色の瞳が鮮明になる。彼は痛みに堪えるように、微笑んで見せた。



「最悪、目を覚まさないことも想定していた」



今度はルシウスが目を見開く番だった。



「そんなに……危険な状態だったんですか?」


「人によっては、自我が破綻することもある」



その言葉に、先ほどエーレが残していった言葉を思い出す。



脳に記憶を刻まれた。その実感はあるにも思えるし、ないようにも思える。


風の精霊(彼女)がルシウスたちと出会った後からの記憶に留まっていたからかもしれない。

それでもたしかに、僕ではない‘’僕‘’の軌跡と感情が、前よりもずっと鮮明に記憶されていた。



「本当に、すみません」



彼にとって、近しい人が目を覚まさないのかもしれないということは、アイリスのことを想起させたに違いない。


普段決して見せようとはしない動揺を露わにした彼。

彼らにとって僕が大切であるという言葉が、本当であることをルシウスは深く痛感した。


それが嬉しいようで、何故か悲しいようにも思えた。



慣れない感情が浮かび上がった直後、その景色を覆い隠すように、ルシウスの視界をリーベの手がやんわりと塞ぐ。



「もうしばらく眠った方がいい」



すぐに瞼に生命力を感じた。冷たく切り落とすのではない――生命を守るため、温度を閉じるように。優しく意識を包む冬のような氷魔法だった。






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