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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
3章

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シュトルツ外伝「彼の愛した人」 上

 



 Side アメリ・ヴァレッタ




 とある取引先での商談の帰りだった。



「ねぇ、お姉さん」



 男性にしては少し高めの声。けれど、どこか深みのあって、何かを思い出させるようなそれに、私は無意識に振り返っていた。


 本来なら見上げないといけないだろう長身の彼は、少し腰を屈めて、目だけで上を見れば足りる位置に顔があった。

 真っ赤ではない、夕日のような鮮やかな髪。炎のような瞳は、人懐っこそうに細められている。



「俺と遊ばない?」



 軽く軽く紡がれた言葉。にっこりと微笑まれたその顔に、私は眉を寄せた。

 それを敏感に感じ取ったらしい男は、首を傾げて、きょとんとして見せる。


 図体は大きいくせに、子犬のようなそれについつい、ついていきたいと思う女性はいるかもしれないな、と思いながら、私は胸に小さな違和感を感じていた。



 どこかで見たことがある……?

 沈黙して、まじまじと男の顔を見た私に、何か察したらしい彼が肩をすくめて、一歩下がった。



「待って」



 そのまま踵を返そうとする男を、気が付けば呼び止めていた。



「貴方、どこかで……」



 炎の本質を色濃く表す外見。ここまで顕著に出る人は珍しい。

 一度見たら忘れないはずだ。


 男は首だけ振り向くと「え? 俺たち、もしかして運命?」なんてことを飄々として言ってみせた。


 違和感。胸の中の何かがどんどん大きくなる。

 どこかで知っている。けれど記憶の中から出てこない。



「貴方、お名前は?」


「え? 俺のこと気に入ってくれたの?」



 体ごともう一度こちらを向き直した彼は、名乗ることはせずに嬉しそうに目を開いた。

 そんな彼を今一度、じっくり眺める。

 やっぱり知ってる。



「赤い髪、赤い瞳。貴方、やっぱりどこかで……」



 確かめるように呟いた言葉で、目の前の男の眉が一瞬だけ跳ねたのが見えた。

 しかしそれもすぐに隠されて、彼は大きく首を傾げる。



「え? 俺と君はここで初めて、運命の出会いをしたんだけど?」



 細められた瞳からは何も読み取れない。揺れてもいない。



 その時、「おい、シュトルツ」と不機嫌そうなよく通る声が聞こえてきた。

 途端、彼は素早くその声の方へ振り返ると「あ、エーレさん」と嬉しそうな声をあげる。



「ごーめん、俺の大切な人が呼んでるから行くね」



 再び素早くこちらへ身を翻した男は、両手を顔の前で合わせて、片目を閉じた。


 こんな振る舞いをしていた人は、私の記憶の中にはいない。

 シュトルツなんて聞き慣れない名前も知らない。



 けれど、確実に知っている――

 私は、主人に呼ばれた大型犬のように駆けていくその背をぼんやりと眺めていた。






 ***

 Side シュトルツ





「まーじか」



 首都レギオン、宿の一室。

 シュトルツはベットに寝転がり天井を眺めていた。



 少しだけ時間ができたから、いつものように振られると分かりきっているナンパに出かけていた。


 なんとなく声をかけた女性のあの反応を見たとき、彼の直感が身を引いた方がいいと警告した。

 それはまさに当たっていたようで、彼の記憶の中にはないのに、女性はシュトルツのことを知っていた。


 何故知っていたと言い切れるのか、そんなの簡単だ。

 エーレからもらった隠蔽の魔鉱石を、シュトルツは身に付けていた。


 外見偽装が出来る隠蔽は、人の先入観を利用する特性がある。本来の外見を知っている人には効果がない。

 つまり彼女は、シュトルツの本来の外見を知っているということだった。



 見る限り、隠蔽が相殺される光の精霊の加護を女性が持っていそうでもなかった。

 どうにか誤魔化したし、丁度エーレが呼びかけてくれたから助かったものの……



「誰なんだろう」



 本来のシュトルツ。つまりはヴィンセントを知っている人。

 けれど、記憶の中にはない。


 そもそもエーレの妹であるアイリス王女以外とは、まともに女性と仲良くなったことなんてなかったはずだった。



 貴族の交流会?

 数回だけ顔を出したところにいた女性で、俺のことを見たことがある人?

 そんなものいちいち覚えていない。



「ま、いっか」



 この広い首都で、同じ女性と早々鉢合わせることなんてない。

 しばらく首都を拠点に動く手筈にはなっているけれど、特に問題はないだろう。

 彼はそう思って、それ以上考えることをやめた。






 ◇◇◇






「げっ」



 レギオンからそれほど遠くないシュトルツお気に入りの武器屋で、彼は今日もそこの店主と武器について話していた。

 ふと店先を見ると、見覚えのある緑が混じったアッシュ色の髪が見えた。



 シュトルツは、咄嗟に店主がいる方のレジカウンターの中に体を潜める。

 誰かの気配と足音が色濃くなって、体を奥に奥に詰め込んだ。



「やぁ、嬢ちゃん。どうしたんだ?」


「お久しぶりです、おじさん。ここに背の高くて、かるーい雰囲気の赤髪の男性きてませんでした?」



 そんな声が聞こえてきて、ちらりと店主がこちらに視線を投げた気配があった。

 シュトルツはは右手だけ出して、否定の意味で振る。



「赤髪? そんな目立つやつはここに来たことないなぁ」


「そうですか。見かけたらご連絡ください。お邪魔してすみません」



 足音と気配が完全に消えてから、シュトルツは顔だけ出して、店主を見上げた。

 すると店主は怪訝そうで、困ったような顔をして、



「お前さんのことか? 赤髪だって言ってたから別人かもだが」



 店主にはしっかり隠蔽が効いている。



「いや、うーん、どうなんだろうねぇ」



 彼は押し込んだ体をゆっくり出して、立ち上がっては伸びをして答えた。



「長身で軽い雰囲気はどう考えてもお前さんだが。何かしでかしたんじゃないだろうなぁ?

 あのヴァレッタ商会のお嬢さんが探すなんてよっぽどだぞ」


「ヴァレッタ商会?」


「なんだ、知らないのか? 首都で一、二位を争う大商会じゃないか」


「いや、勿論知ってはいるけど」



 ヴァレッタ商会? そこの娘?

 そこでようやくシュトルツは忘れていた記憶をぼんやりと思い出した。



「え、あの子今何歳なの?」



 すると店主は「うーん」と唸る。



「多分そろそろ二十か二十一くらいじゃねえか? 詳しくは知らんが」



 同年代。輪郭がどんどんはっきりしていく感覚があった。



「もしかして貴族院に通ってた?」



 すると店主は手を打って「あ〜!」と大きく声をあげた。

 シュトルツは咄嗟に店先を見る。



「それはここらじゃ有名な話だ!

 あのお嬢さんは風魔法の適性が高くてな! その上、あのヴァレッタ商会の一人娘だ。

 貴族院でいい成績を残して、一時期は褒賞代わりにどこかいいところに嫁に出されるって話すらあったもんだ」


「あったってことは、そうはならなかったってこと?」



 すると再び店主は腕を組んで唸った。



「商会を継ぐから断ったって話だが。それがなぁ。学院で惚れた男がいたとかなんとか。

 でもそいつは途中でいなくなっちまって、その男が忘れられなくて断ったとか。

 あの子が暗い色の服を好んできてるところから、恋人に先立たれたんじゃないかなんて話もある。

 全部噂が一人歩きしてるだけだけどなぁ」



 シュトルツの頭の中にピンととある女性が浮かんだ。

 思わず、表情を崩しそうなのをグッと堪えて、大袈裟に肩をすくめてみる。



「もしそれが本当なら、罪な男だねぇ」



 店主は頷いて、大きなため息と共に言った。



「全くだ。あんないい子を置いてくなんて、馬鹿な男もいるもんだ」



 シュトルツは賛同の意を示すために笑い声をあげようとしたが、うまく笑えず、乾いた声が漏れ出た。





  ◇◇◇





「どうかしたのか?」



 レギオン支部のエントランスホールでリーベと食事をしていた。



「え?」



 そんな声をかけられて、思わず素っ頓狂な声で応えた。



「お前が食欲がないなんて珍しい。拾い食いでもしたか?」



 そう言われて、ハッと目の前に並べられたら大量の料理のことをシュトルツは思い出した。

 仲間の皮肉も頭に入ってきたものの、言い返すタイミングを逃した自分の現状を認識して、眉を寄せる。



「ねぇ、リーベ」



 気づけば前の仲間を呼びかけていた。



「アメリって覚えてる?」



 料理に視線をとどめたまま問うと「ファミリーネームは?」と平坦な声が返ってきた。



「ヴァレッタ。アメリ・ヴァレッタ」


「ああ、彼女か。覚えてるが、彼女がどうし……お前まさか――」



 一瞬息を呑んで、途端責めるような色を帯びた彼の声に、シュトルツは顔を上げて即座に首を振った。



「いやいやいや、故意にでなくて!」



 その慌てぶりを見たリーベは、ジーっと疑いの目を向けてきた。

 長い付き合いの前の男に嘘は通用しない。



 シュトルツは観念して、事の流れを説明した。

 前からの呆れ返ったような大きなため息に、自然と身が縮こまる。



「首都にいれば、私たちを知っている人もいるだろう。偶然顔を合わせてしまうなら仕方はない。だが……」



 落とした視線をそっと上げると、半眼でこちらを見てくる彼。



「お前は本当に馬鹿だな」



 珍しく彼は強いアクセントをつけた語調で吐き出すように言った。



「反省してます」



 もちろん、反省はしてる。不覚だった。

 そう言葉に出してみたものの、前の彼の説教は終わらないらしい。



「そもそもで言うと。お前がその似合わない道化のような振る舞いをやめて、女性に声をかけなければ、リスクは最小限に抑えられただろう」


「え、無理だよ。もうこれは俺のアイデンティティの一部みたいなもんだし。というか似合ってない?」



 言われたことが心外でシュトルツは目を見開いた。



「本来のお前を知ってる側からしたら違和感でしかない。

 アメリ・ヴァレッタは、よくお前だと気づいたな」


「あー」そう言われて、彼女とのやりとりを思い返した。


「いや、どうなんだろう。俺だって確信はなさそうだったけど」



 おそらくヴィンセントであるとは気づいていないはずだ。あの反応を見る限りでは。



「で、さー」



 武器屋の店主に言われたことを思い出す。噂の数々。ぽつりぽつりとそれをリーベに伝えると「で?」とだけ返された。

 何が言いたいのかわからず、前の男の綺麗な茶金色の瞳を見る。



「それを聞いてお前はどう思って、何を考えた?」



 揺るがない少し強めで、しかし冷静、客観的な口調。



「どうって言われても……」



 説教の地続きのような――犯した罪の真相を問いただされているような居心地の悪さを感じながらも、シュトルツは頭を捻った。



(それ)が本当なら申し訳ないなぁ……みたいな」



 僅かに、僅かだけリーベの整った眉が潜められた。



「その真偽がどうであれ、ヴィンセントはもういない。

 シュトルツである(今の)お前が、アメリ・ヴァレッタにしてやれることは何もない」



 いつもと変わらない淡々とした声色のはずなのに、それを聞いて何故か心に硬いもので蓋をされたような感覚になった。



「まぁ、そうだよねぇ……」



 そんな違和感のせいか、歯切れの悪い答えが口から漏れ出たシュトルツは、ふと視線を落とす。

 そこには冷めてしまった料理があるだけだった。





 ***





 思い出したキッカケは、彼から感じた生命力だった。


 私の後天本質と同じ炎の香り。夏の日差しのような暑苦しくて、それでいて懐かしいような――

 記憶の奥底にある井戸から汲み上げた水の中に、彼の面影を見て、衝撃が走った。

 天啓を受けたような感覚。



 短い夕日のような髪に、燃えるような真っすぐな瞳。

 彼ほど背は高くなかった。それに彼と過ごしたのはたったの三か月。


 ヴィンセント・エルンスト・グライフェン。

 突然、貴族院に編入してきて、あっという間に学年トップに上り詰めた秀才。

 一学年下であった私の耳にも、彼の噂はすぐに届いた。



 けれど、ヴィンセントとあの男性は似ても似つかない。

 ヴィンセントは炎の本質にふさわしく、愚直なほど真っすぐで、曲がったことを嫌う男の子だった。

 シュトルツと呼ばれていた彼のような、あんな振る舞いは絶対に許さないような男の子。



 なのに私はモヤモヤを抱えたまま、街を歩くときはずっと彼を探していた。


 赤髪を見かけること自体稀だから、長身の男性だったり、少し高めの声を聞くと咄嗟に振り返る。

 けれど、シルエットから彼ではないことを知って、小さな落胆を覚える。

 どうしてこんな気持ちになっているのか私にもわからないまま、気づけば一週間過ぎようとしていた。




 その日も商談の帰りだった。

 ヴァレッタ紹介は王国で一,二位を争う大きな商会。けれど、今まで気にも留めていなかった中規模商会がみるみる成長を見せていて、このままではいけないと新しい取引先を開拓している最中だった。


 手ごたえをいまいち感じられず、自然と石畳へと視線を落としながら歩いていた。

 すん、と鼻に通り抜けた夏の陽の香り。ハッと顔を上げると、視界の右端に見覚えのあるシルエットが通り過ぎていった。



 黒のコートにフードを被っていたけれど、間違いない。

 考えるより先に足が動いていた。

 彼が消えた角を曲がるとその背を見つけた。彼は一件の服飾店に入っていく。



【ヴェールノワール】



 首都で有名な店だ。

 紹介制で、店主に認められた客しか受け入れないという噂もあるが、本当のところはそうではない。


 私は彼を追って、その店の入り口に立った。

 男性を追って、店に入ったなんて、ヴァレッタ紹介の一人娘としての面目が立たない。

 けれど……



 私は意を決して、正面の豪奢な扉へと手をかけた。

 軽やかなドアベルが頭上でなったあと、しばらくして「いらっしゃいませ」という耳に心地良い女性の声が奥から聞こえてきた。


 髪を後ろで丁寧に結い上げた女性は、にっこりと微笑むと綺麗な所作でお辞儀をする。



「ご来店ありがとうございます。当店にお越しいただくのは初めてでしょうか?

 オーダーメイドも承っております。どうぞ、ごゆっくり御覧ください」



 上品な飴玉が転がるような声が私へ言った。


 店内には素晴らしい服が並んであった。思わず目を奪われる。

 けれど、店内のどこにも彼はいない。

 確かにこの店に入ったはず。オーダーメイドも出来るなら、その服の確認で奥にいるのかもしれない。

 視界に入った奥へと繋がる扉を見て、そう思った。



 服を選ぶふりをして、しばらく待つしかない。

 そうして店内を眺めていると、ふりどころか本当に気に入ってしまう服が数点あって、どれを買うか悩む羽目になってしまった。



「すみません、試着できますか?」


「勿論です」



 一人しかいないように思える女性が、奥の試着室へと案内してくれた。

 試着している間に彼が現れるかもしれない。そう思いながらも試着室へ入ろうとした時――、一番奥の試着室から赤い髪が見えた。



「ご試着お疲れさまでした」



 彼を認めた店員がすぐさま声をかける。

 ちらり、と店員を見た彼の目が見開かれたあと、あからさまに逸らされた。

 私は服をそっと店員に押し付けて、奥へと向かう。



「あの、この前の方ですよね?」



 ぐいっと進み出た私に、男性は気まずそうに視線を逸らしながら、一歩身を引いた。



「いや、勘違いではありませんか」



 少し上ずった声で口調を変えて答えられても、微かに漏れ出ている生命力は前の男性のものだった。



「そんな目立つ外見の方は、首都に早々いません」



 詰め寄って、じっと男性を見つめる。やっぱり似ている。



「貴方、もしかしてヴィンセ――」



 名前を言おうとした時、大きな手が私の口を塞いだ。

 突然の出来事に驚いて、落とした視線を上げる。そこで彼が垣間見せたものを私は見逃さなかった。

 飄々とした雰囲気を奥にひっこめて、真剣な瞳で私の後方の店員を見たその一瞬を。



「あらぁ、シュトちゃん。こんなところで逢引きぃ?」



 すると私の後方から、どう考えても男性の、しかし無理にトーンを上げて、変にひっかかったような声が滑り込んできた。

 さっと私の口元から大きな手が離れていく。



「冗談。エーレさんがいるのに、俺が逢引きなんてするわけないでしょ?」



 あの一瞬が嘘だったかのように、風のような軽い声色で彼は答える。その声を追って振り向くと、奇妙な男性が私へウインクを飛ばしてきた。



「そう? じゃあ、店内で騒がないで頂戴ね?」






 私は結局、後日また服を買いにくると言い残して、さっさと出ていこうとする彼の背を追った。

 何度か、後ろの私を気にする様子はあったが、振り向こうとはしない。



「いつまでついてくる気? あの日、いきなり声かけたのは謝るから」



 歩を進めながら、やはり振り向くことのない彼が言った。



「貴方、ヴィンセントなんでしょ?」



 さっきのあの反応。あれは完全にそうだと言っている風にしか思えなかった。



「ヴィンセント? 俺はシュトルツって名前だから。人違いだよ」



 前で揺れていた赤髪は今や、フードで覆い隠されていた。



 ヴィンセント・エルンスト・グライフェンは四年前に廃嫡されたと聞いている。

 それからそれほど経たずに王国で内乱が起きて、彼の消息は不明だった。

 学院で少し馴染があっただけの他人のはずだけれど、学院内で瞬く間に広がった噂は忘れられなかった。



 彼がどこで向かおうとしているのかわからなかったけれど、追いかけるのをやめるつもりはなかった。



「貴方、今までどこでどうしてたの? 私のこと覚えてる?」



 それを聞いた途端、彼は足を止めて、ようやく振り返った。

 三歩ほど離れた位置で見る彼の表情は、嫌そうに眉が寄せられている。



「だーから、俺は君の言っている人でもないし、俺は君を知らない」



 それだけ言って、さっと右側へ踵を返す。

 彼が消えた先の扉の上には、《レギオン エルディア支部》と書かれた大きな看板があった。






 ◇◇◇






「お前は救いようのない馬鹿だな」



 窓から外を眺めたままのリーベが言った。

 シュトルツはベッドにうつ伏せになって、目だけで彼を見ると、ため息とともに枕へ顔を押し付けた。



「言わないで、心が折れる」


「もう一度くらい折れてしまえば、その馬鹿な頭も、少しはマシになるんじゃないのか?」



 それでも容赦なく追い打ちをかけてくる仲間に、再び漏らしたため息で枕が湿った気がした。




 レギオン支部の入り口には彼女がいる。

 昨日、ここまでついてきた彼女を途中で撒こうと思えばできたはずなのに、なぜかシュトルツはそうしなかった。

 それを彼自身が何故かなんてわかっていない。それどころか昨日の自分の行動が信じられないと呆気に取られた気分であった。



「頼むからエーレさんには言わないでね」



 二度目の回帰後、皇帝を討つには至ったが、肝心なアイリスが生きていなかった。

 だから一度目と同じように、残りの時間は力をつけるために時間を費やした。


 そして意を決しての三度目。ユリウスと出会うまでにはあと二年と少しある。

 今回こそは、と策を練っているのに、こんな段階から何か問題を起こしたなんて知られたら、怒号だけじゃすまないだろう。



 どんな時だって、シュトルツを許してきたエーレであるが、回帰を繰り返す事に彼が消耗しているのは目に見えていた。

 無駄な気苦労をかけさせたくない。



「わかっている。最悪までは報告しない」



 最悪までは。それはもうシュトルツの手に負えない状況になったら、ということだろう。



「助かる」



 リーベの厚意に自然と感謝が口をついて出た。

 窓側から小さなため息。彼が見ている先には彼女がいるのだろう。



「で? あれはどうするつもりなんだ?」


「知らないよ。まさかトラヴィスの店にいるとは思わないじゃん」



 すぐ隣までいた声に、シュトルツは枕に顔を埋めたまま答えた。



「つけられたんじゃないのか?」



 ベッドが僅かに沈んで小さく軋む音。足元にリーベが座ったらしい。



「フード被ってたよ、さすがに」



 何が何でもシュトルツの失態に置き換えようとする仲間に、シュトルツはうんざりしたような声色が漏れ出た。



「まぁ」 再びベッドが軋む。

 なんとなく顔をあげて、視線を足元に移すと、リーベが気怠そうに脚を組んでいた。



「大商会の娘ならヴェールノワールにいてもおかしくはないが」



 綺麗な銀髪が顔に、伏せられた長いまつ毛が瞳にかかる。

 女性と見違えるほど美しい男の他人事のような呟きに、小さな苛立ちを覚えた。



 そこにノックが飛び込んできた。扉の先の気配は今、ここに一番きてほしくない人物のものだった。

 しかしリーベはそんな彼の心境も知らずに、さっと立ち上がって、扉の方へと向かう。



「ちょ、リーベ」



 咄嗟にその背に声をかけるが、彼はちらりとこちらを一瞥しただけで、そのまま扉を開けた。

 扉の先には艶やかな黒髪。

 開けたのがリーベであることを知ったエーレは怪訝そうな顔つきで、こちらへと視線を投げてきた。



「何やってんだ、お前ら」



 彼はそのまま部屋に入ってくると、疑わしそうに部屋を眺める。



「シュトルツが――」



 扉を閉めたリーベが何を言うのかと、ひやりと肝が冷えた。



「好みの女性に振られて、意気消沈らしい」



 しかしその口から紡がれた嘘に、ホッと胸を撫でおろす。



「はぁ? またしょうもねぇことを」



 そのままあえて足音を響かせたエーレが枕元までやってきた。



「トラヴィスに会って来たんだろうが。いつまで待ってても報告にこねぇから、なんだと思って来てみりゃ」



 そのまますぐ右隣に彼が勢いよく座り込んだ。



「相変わらず馬鹿なことして、無駄に落ち込んでどうする」



 落ちてきた言葉は想像していたものとは違って、優しいものだった。


 意外な反応に思わず、目の前にある自分より小さな背を見た。

 その背は呆れも含んではいたけれど、仕方ないなぁと微笑んでいるように見えた。



「いやぁ、俺ってほんと馬鹿だよねぇ。ごめんね~エーレさん」



 不器用で小さな優しさに触れて、少し心が軽くなったどころか、ほんのりとした温かささえ灯る感覚にふと、微笑みが漏れる。

 背が小さく揺れて、吐き出されたため息。



「別に。やりたいようにやればいい」



 ぶっきら棒に言われたその言葉。


 いつだって彼はその言葉を俺に向けてくれる。

 無責任なんかじゃない。俺の自由を尊重してする意思のこもった温かい言葉。

 その彼に無駄な心配をさせるわけにはいかない。



 シュトルツはそう切り替えて体を起こすと、トラヴィスから受け取った情報をエーレに話し始めた。





 ◇◇◇





 レギオンの入り口には、ほぼ毎日彼女がいる。

 さすがに荒くれ者が集うとされるレギオンの扉を叩く気にはならなかったらしいことだけは幸いした。

 レギオンから予想外の恩恵を受けた気分だった。


 用事のない時は出来るだけ外出しない。エーレに勘づかれない頻度で。

 どうしても外に出なければいけない時は、職員に裏口を貸してもらった。



 あと半月で首都を出る。それまでの辛抱だった。

 アメリがシュトルツのことをヴィンセントだと思っていても、何の問題もない。

 認めなければ、そのうち諦めてくれるだろう。




 そう思っていたのも束の間――エーレに頼まれたお遣いの帰りだった。


 五冊の本が入った紙袋を持って、大通りの出来るだけ端をひそひそと帰る。

 ここを抜けて、曲がった先はすぐレギオン支部だ。



 今日も何ごともなく平和な一日だった。

 そう思っていたのに、通りの先から悲鳴が聞こえてきたのだ。



 しかもレギオンへ通じる角の少し前方。曲がろうとすると確実に巻き込まれる。


 逡巡したのち、来た道を引き返そうと足を止めた――同時に、シュトルツの隣を無駄のない素早い動きで通り過ぎていく誰かがいた。



 その風に紛れて、ほんのり香ったのは草原にいるような草木の香り。

 もうよく知ってしまった生命力の波動。


 その背が一瞬で小さくなっていくのをぼんやり見て、シュトルツは空を仰いだ。



「あー」



 彼女ならきっと大丈夫だろう。

 エーレが待っている。帰ろう、と踵を返した足が彼の意思に反して止まった。



「ああ!」



 前に進もうとしない足を見て、シュトルツは本を持っていないもう片方の手で髪を乱暴に乱した。



「もうっ!」



 その足を逆方向に向けると、不思議なほどよく動いて、気が付いた時には駆け出していた。






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