爺やの執事ごっこ
「積もる話もおありでしょう。
すぐにお茶をご用意致しますので、どうぞお掛けになってお寛ぎください」
僕たちを部屋に案内した好々爺は、それだけ言うと、さっさと退室してしまった。
外観と同じように、綺麗に掃除の届いた部屋だった。
埃一つ落ちていなさそうだ。
あの人が、一人でこの広い屋敷を管理しているのだろうか?
僕は入り口に立ったまま、ぐるりと部屋を見渡して、呆気に取られていた。
左手に大きな長テーブルと数脚の椅子。壁にはタペストリーがかかっている。
正面奥には、質のよさそうなソファーが2つ横並びにあって、左側ソファーの前にはローテーブル。
左奥の壁側には、今は使われていない暖炉。その手間に、丸テーブルと一脚の椅子があった。
部屋の中央には、これもまた質のよさそうなシンプルな大きなラグが敷かれてある。
そして最後に扉側の左の壁に沿って、重みのあるウッディなキャビネットと上にはテーブルランプ。
無駄な飾りはないが、その全てが洗練されているものだった。
こんな森の中にどうやって、これらを運び込んだのだろう。
そもそもこんな森の中で、どうやって生活しているのだろう?
いろんな考えが頭にめぐって、あちらこちら見渡していたら「おい」と、前方から声がかかった。
すでにソファーに腰かけているエーレだった。
僕は、それ以上何か言われる前に中に進んで、どこに座るか逡巡した後、エーレの座っているものとは別の――隣のソファーに腰掛ける。
不意に体が深く沈み込む感覚に、ホッと息を吐きだした。
けれど、汗で濡れた服を抱えて、このソファーにもたれかかるのはいけないのでは……
でも、もう疲れきった体は言うことをきかない。そう思って、背も預けて天井を眺めた時――
「そうじゃない!」
と、自分に言い聞かせるように言うと、思ったより大きな声が出た。
「うるせぇな。そんなに元気なら、コンラートでも手伝ってこい」
隣のエーレが、吐息交じりに吐き出したそれは、どこか張りつめていた緊張の糸が緩んだような響きがあった。
「コンラートさんって、さっきのおじいさんですか?」
「お前、俺らの話聞いてなかったな? ここに来る前に話してただろうが」
リーベと同じことを言われて、言葉を詰まらせた。
「あの人は、俺らの師匠だよ」
ソファーが大きく沈んだ。僕の隣にシュトルツが勢いよく腰かけたのだ。
「それはリーベから聞きましたけど」
ちらり、とリーベを見ると、暖炉の前の椅子に座って、こちらを見ていた。
「コンラート・アルデン男爵。グライフェン家に仕える騎士の家門の人」
隣から聞こえてきた声は、大切なものを包み込むような温かみを帯びていた。
シュトルツに視線を移すと、彼はソファーに頭を預けて天井を仰いでいた。その瞳は懐かしそうに細められている。
「つまり、シュトルツに仕えてた方ですか?」
「あー、正確には俺の父親に、なんだけど。
まぁ、色々あって、これはこの屋敷でしばらく世話になってたんだよねぇ」
なるほど、と口の中で呟いた。
だから彼は、森の中で道に迷わず、ここまで真っすぐ来れたのだ。
「いやぁ、懐かしいねぇ」
「嘘つけ。前回も前々回もきただろうが」
すぐさま、苦笑交じりのエーレの声が差し込まれる。
「そらそうだけど、ここは俺にとって安心できる場所だし?」
「お前、ここに休みにきたんじゃねえからな?」
「わかってるわかってる。ちゃんと働きますよー」
僕を挟んで、そんなやりとりが交わされていたとき――ノックが転がり、数秒後に扉が開かれた。
ワゴンを引いて戻ってきた好々爺は、「皆様こちらへどうぞ」と長テーブルを示した。
一本の棒が縦に通ってブレることのない姿勢。
無駄の一切ない――風に揺れる柳の葉のようにしなやかな動作。
表情も常に穏やかでそこに偽りを宿さず、一片の隙も見当たらない。
それはまさに洗練された執事そのものだった。
この人が剣を握っているところなんて想像できない。
エーレの言っていた――僕が、剣や魔法を習うのは本当にこの人なのだろうか?
グライフェン家に仕える騎士の家系。そういうのだから、この人に違いないんだろうけれど。
先に立ち上がったのは、シュトルツだった。
彼は、どこかうきうきしたような足取りで、先にテーブルにつく。
次いでエーレが、部屋の奥からリーベが席につき、僕もようやく我に返って、彼らに倣った。
4人でどこかに座ったりするときには、なんとなく出来上がっている指定席があった。
けれど、何故か今回は違う。
扉から一番遠い席にエーレが、その隣に2人がかけることはなく、正面にリーベが、扉に近い席にシュトルツが当たり前のように腰掛けた。
長テーブルだ。エーレの右隣にはあと2席残っているし、シュトルツの隣にもあと1席残っている。
いつもと動きの違う彼らに戸惑って、僕は逡巡したのち、シュトルツの隣に座ろうとした。
だが、鋭いエーレの視線が彼の隣を指示した。
その時、改めてその席を見てみた。まさか――
そんなことを思いながら、おずおずと椅子を引く。
上座にエーレ。その次を開けて、正面にリーベ。下座にシュトルツ。これは……
彼らの意図を図り切れずに、目だけで、ちらりちらりとそれぞれを眺めていた。
その間にも好々爺はワゴンからティーカップを奥側から並べていき、紅茶を注ぎ始める。
全員に行き渡るまでの沈黙。
あのうるさいシュトルツが、一言も話さないのがあまりにも不気味で、光を受けて綺麗に揺らめくカップの中身へと視線を落としていた。
ソーサーからカップを持ち上げる、ほんのわずかな音が耳に届く。
そっと隣を見ると、エーレがいつもより数段綺麗な所作で、カップを口に運んでいた。
真っ先に手をつけると思われたシュトルツが、手を伸ばす様子はない。
カップがソーサに置かれる音。
意図された席順。シュトルツが、カップに手を伸ばさない理由。
え? もしかして、これは……
僕は急いで、カップを持ち上げる。
ほんのりと上品な茶葉の香りが鼻腔についたけれど、味わう余裕はなかった。
前から2人がカップを持ち上げる音。やっぱり……
王族や貴族の中でよくあった、身分の上のものが先に手をつけないと、下位のものは手をつけてはならない、という格式ばったルール。
名も立場も捨てたはずの彼らがどうして、今ここでそんな作法をするのか。
小さな混乱を覚えて、前を見ると、更に混乱した。
あのシュトルツが……あのシュトルツが……!
あまりにも綺麗な所作でカップを口に運んでいるではないか。
思わず、漏れ出た悲鳴のような奇声を飲み込むのに必死だった。
驚愕と困惑が顔に出てしまっていたのだろう――目があったシュトルツは、口元をカップで隠したまま、揶揄うように目を細めた。
「殿下のお淹れになったものには、遠く及びませんが……」
扉付近で待機する、コンラートの遠慮気な声が沈黙を破る。
「いや、唐突にやってきて、歓迎してくれただけ有難い」
エーレの声色は固かった。小さく息を吐き出す音が、両端で重なる。
僕は小さく首を振って、両隣を見ると、コンラートがやんわりと微笑んだ。
「よろしければ、この老爺にご不在であった間の話を聞かせてくれますかな?」
ほんの数秒の沈黙が挟まれた間に再びカップを持ち上げる音だけが漂う。
「その前に座ったらどうだ? 立たれていたら、こっちがやりにくい」
そんなエーレの声。すると突然――
老爺が、老人らしい細い笑い声を数度上げた。
僕はそれにびっくりして、そっちを見てしまうと、その瞳は悪戯な色を帯びて、エーレを見つめていた。
「この老いぼれのおままごとに、よくお付き合いいただけました。
昔を思い出して、懐かしゅうございました」
そういって、老爺は自分のカップとポットを持ち出して、シュトルツの隣へと遠慮なく座る。
前から大きなため息が聞こえてきた。
「はぁ~かたっくるし。俺こういうの、本当に苦手なんだよねぇ」
片方の肩をもみながら、首を傾けたシュトルツ。隣で笑ったのは老爺。
「坊ちゃんが作法をお忘れでないようで、爺やは安心しましたよ」
「勘弁してよ。俺がこういうの苦手なの、爺やよく知ってるでしょ。
それに今じゃ、これが役立つところなんてないし」
随分親しげに話す二人を見ながら、僕は咄嗟にリーベを見た。
もうこれは条件反射のようなものだ。
「アルデン卿はシュトルツの師に相応しく、悪戯心が旺盛な方なんだ」
淡々と言ってのけた彼の言葉に、僕は逆に関心を覚えた。
つまりはシュトルツに似ていて、茶目っ気のある老人である、と。
「悪戯って、もう何が悪戯なのか、わからないんですけど」
「爺やは、久しぶりに執事ごっこがしたかったってだけだよ。
会った瞬間にあの振る舞いだから、そうなのかなぁって思ってね」
すぐさまシュトルツが説明してくれる。
「何を仰いますか。私は長年、グライフェン家の執事長を担ってきた本物執事ではありませんか」
表情は穏やかなままで、不本意そうに声をあげたコンラート。
気付けば、緩やかに首を傾げていた。
それを見たコンラートが「ああ」と思い出したように、音もなく立ち上がり、慇懃に礼をする。
「これはこれは失礼を致しました。申し遅れました。
コンラート・アルデンと申します。
長年、グライフェン家にて騎士として仕えており、引退後は、屋敷の管理を任されておりました。
ヴィンセント様のお父上、ディートリヒ様の従者でもありました。
今ではもう、このような森に隠れ住む、ただの隠居爺ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に自己紹介してくれるものだから、思わず僕は立ちあがって礼を返そうとした――が、その前にエーレの腕が伸びてきて、それを制する。
そちらへ視線を投げると、エーレはコンラートを見ていた。
「コンラート。申し訳ないが、しばらく滞在させてほしい。その間、俺たちにはやることがある。
こいつの面倒を任せたい。剣と魔法を教えてやってくれ」
「勿論でございますよ。この老爺にお教えできることはそれほど多くはありませんが、殿下のお望みならば」
「あと――」コンラートが言い終えるのを待たずに、エーレが声を挟んだ。
「俺たちが今までどこで何をしていたのかは、シュトルツに聞いてくれ」
彼はそう言って、シュトルツを見た。
「話せることは、ほとんどないがな。
最後に……大事なことだ。
俺たちは‘’名‘’を捨てた。エーレ、シュトルツ、リーベと名乗っている。こっちはルシウス」
彼は、コンラートが言葉を挟む余地を与えないかのように捲し立てると、それぞれを順に見て、最後に僕を軽く指で示す。
元は、王族と臣下の関係であったから不自然ではないのなのだろうが、相変わらずの高圧的な物言いに、そっとコンラートを覗き見ると、彼は優しい微笑みを称えながらエーレを見ていた。
その様子に、僕は目を丸くした。
それは、愛情すら籠っていそうな眼差しだった。
「左様でございますか。では後程、ゆっくりお聞かせていただくと致しましょう」
彼は小さく頷いた後、ポケットから懐中時計を取り出して、時間を確認した。
「ああ、そろそろ焼きあがる頃ですな。
時間がありませんでしたので、大したものは出来ませんでしたが……
殿下のお好きなクッキーとプディングをご用意しました。坊ちゃんは軽食の方がよろしいですかな?
公子様は甘いものは苦手でしたので、甘くないものをお持ちいたします。
ルシウス様は、甘いものはお好きでしょうか?」
ワゴンに手をかけて、振り向いたコンラートがこちらを見る。
「え、はい。好きです」と、僕は呆気に取られながら返した。
隣から大きなため息が吐き出されたのが聞こえて、口元がほんの少し引きつる。
エーレが何か言おうとしたのがわかった。しかしそれを許さないように、今度はコンラートが続けた。
「どうやらこの老爺は、歳のせいが耄碌しておりましてなぁ、それに、耳が遠くて遠くて……」
それだけ言うとコンラートは細い笑いを上げながら、ワゴンを引いて部屋を出ていった。
再びため息が部屋に漂う。
「いやぁ、爺やは相変わらずだよねぇ」楽しそうなシュトルツの声。
「変わりないようで安心した」平坦な口調でカップを口に運ぶリーベ。
「あんの頑固ジジイ。どっかの馬鹿に似てて、相変わらず人の話を聞かねぇ。年取ってもっと頑固になったんじゃねえのか」腹の底から不満を吐き出すエーレ。
三者三葉の反応に、気づけば扉の先に消えた背へと視線を投げていた。
あれだけエーレに牽制されておきながら、逆に牽制し返すなんて……
さすがグライフェン家に仕えてきたというべきか。
一筋縄ではいかなさそうだ……
僕はそんなことを思いながら、黙って温くなったお茶を飲み干した。
前には、手つかずのカップとポットが置かれたままだった。




