第5話 戦いの裏で×影として
「ぷはぁ」
顔を地面から出し、体内の空気を一気に吐き出す。
そのまま影の中から上がり、路地裏に身を隠して呼吸を整える。
「はぁ……はぁ……厄介だな」
できるだけ呼吸音を抑えながら、辺りを見回して思わず呟く。
他の都市国家の統一感のない密集した街並みとは異なり、教国の建物は高さも形状もすべてが同じ。中央の大広場、東西に走る幅広い主通路、建物同士を繋ぐ天井通路――碁盤目状都市である。
(ふん、よほど痛い目にあったのだな)
教国は七百年前、鬼の侵入を許し、甚大な被害を出した。この街づくりは、明らかにその際に受けた痛みを教訓にしているのが見て取れた。
呼吸が整うと、より警戒心を高め、再び影の中へ潜る。
ここから先は、教国の主要部。警備に当たる騎士の数も当然多いはず。何より、魔術協会と東方聖騎士団の拠点はどちらも中央広場に面している。侵入できる箇所が制限されており、人目にも付きやすい。
(……騎士団の方を先に調べるか)
魔術協会は、魔術で守られいている可能性がある。であれば、騎士団の拠点の方が幾分か侵入は容易のはずと判断した。
無理をしてはならない。
そう命じられている。
出来る限り情報収集を行いつつ、離脱する判断を見誤ってはならない。一番避けなければならないことは、捕縛されること。
(いや、死ぬことか)
涙を流す小夜の顔が浮かんだ。
二人でいる時はあまり笑わなかったが、最近ではよく笑顔を浮かべるようになった。
私の願いは、もう叶ったのだ。
叶えて下さったお方は、私が命を落とせば傷心してしまわれる。
決して自惚れではない事実に、任務中にもかかわらず笑みを零してしまう。
慈悲深く、いと尊きお方と出会い、私はこの上ない幸福の中に身を置いている。
(いかんな)
さすがに気が緩み過ぎていることを自覚し、引き締め直した後、拠点へ侵入する前の最後の息継ぎを行うために地上へ上がる。
「ん?」
壁の外から戦闘音が聞こえてきた。
(キルト様ッ!?)
反射的に、任務を放棄してキルト様のもとへ向かおうかとした。しかし、理性でどうにか踏み留まる。
(落ち着け、キルト様ならば問題ない……今は自分の――)
冷静さを取り戻そうとしている時、突然、後方から燃え上がる火の音が聞こえた。
身の危険を感じ、素早く足元の影へ潜る。
「くッ」
だが影の中へ潜る間際、肩甲骨付近で爆発が起こった。
(攻撃、どこから?)
辺りを見回すが、周囲に敵影は見当たらない。
攻撃を受けた通路、そこから少し離れた場所で顔を出す。
静まり返った深夜の街並み。
月明りに照らされた街は、深い眠りについていた。
呼吸を整えながら周囲を警戒していると、再び同じ方向から赤く発光する無数の蛇が飛来してきた。
また影の中へ潜ると、蛇の群れは顔を出していた通路にぶつかった瞬間爆発する。
(やはり、遠距離からの魔術か)
鱗まで精密に再現された蛇。
襲撃者の攻撃手段を確認した後、離れた建物の中へ入る。暗い部屋の中、音を立てずに影から上がると、腰のポーチから回復薬を取り出して傷口にかけた。
月明かりが差し込む窓から離れ、いつでも影に潜れるよう膝を着いたまま息を潜める。
(……さすがに、自国の者は巻き込まないか)
半信半疑だったが、問答無用に追撃をしかけてくる気配はなかった。
臨戦態勢を維持したまま、さきほどの攻撃や襲撃者について思考を巡らす。
掠った爆撃魔術は、皮膚を焦がす程度。そして直視した二撃目も、石畳を焦がす程度の威力だった。その威力から推察するに、侵入者を直ちに殺す気はないということが分かる。
(半殺しにして、情報を搾り取るためか。居場所はどうやって特定した?)
迂闊な行動は取っていない。周辺に人影がないことも確認した。であれば、可能性は二つ。一つは、魔術。ここは魔術協会がある敵地。探知魔術などを設置していても何らおかしくはない。
(あとは……音か)
二度目の攻撃の際、同じ方向から魔術が飛んできた。つまり、聴覚によって大まかな位置を特定した可能性が考えられる。そう考えた場合、息継ぎの音で特定された可能性が高い。
(……囲まれたか)
建物を囲むように、数人の気配を感じ取った。
“撤退”という言葉が頭を過る。だが、まだ情報を何も得られていない。仮にこのまま撤退した後の、教国が取るであろう選択肢を推測する。
(警備を厳重にする……いや、教国はキルト様とも接触した。ただでさえ教国は、何かしらの問題に直面している。結界を張る可能性は十分に考えられる)
結界の性質は不明だが、瘴気を宿す私は侵入が出来なくなるだろう。キルト様は、教国と相対するとお決めになられた。情報の有無は、成否に直結する。
(それに、もし別の方法だったら? 遠距離でも追跡が可能だったら? 屋敷はキルト様の魔術内だが、島は? ……少なくとも、場所の特定方法だけは突き止めなければ)
傷が癒えると同時、続行することを決意した。
取り囲む者たちは、五人。四方を囲み、さらに隣の建物の屋上から俯瞰する者もいる。逃す気がない立体的な陣形。
影の中に潜り、まず屋上の者の背後へ移動した。
袖がなく、肩や胸、背中の真ん中辺りが隠れる短めのマントのような黒装束。深いフードを被り、素顔が見えない出で立ちは黒蝶と呼ぶに相応しい。
無音で影から飛び出し、背面側から短刀で心臓を貫く。
黒蝶が小さな呻き声を漏らしてその場に崩れ落ちると、すぐに影へ潜り、地上に降りる。
倒れ込む音に気付いた地上の黒蝶たちは、一斉に視線を屋上へ向けた。
隙を見せている間に、近くに立っていた黒蝶の首半分を切り裂く。
影の中からの凶刃。
状況を理解する時間を与えず、さらにもう一人切り伏せると、残った二人もようやく陣形を取る。
前衛は小刀を引き抜き構え、後衛は魔術を唱え出す。
(遅い)
素早く後衛の後ろへ移動すると、短刀を首に突き立てた。
後衛が殺されたことを察したであろう前衛は、振り返ることもせずに逃走を図る。
影の中から黒蝶の後を追い、左足首を切り飛ばして動きを封じた。
突然足首を切り飛ばされた黒蝶は、バランスを崩して倒れ込み、地面の上で藻掻き苦しむ。そんな黒蝶の頭上に飛び出ると、躊躇いなく短刀を振り下ろす。
五人の黒蝶を殺すのに要した時間は、一分にも満たなかった。
「またか」
再び、赤い蛇が向かってくる。
今度は、魔術師の居場所を特定すべく屋上へ移動する。
(どこだ?)
なるべく息継ぎを抑えながら襲撃者を探すこと数分、南西に伸びる副通路の中央に五人の黒蝶を見つけ出した。
(ヤツ等か)
見つけ出した黒蝶たちは、フードを外したサイドポニーテールの若い女を囲むような陣形を取っている。
(あいつが、耳か)
五人のもとへ向かう。
狙うは女。
鉄壁の布陣だが、また足首を刈り取れば、痛みで音を聞き取ることも出来なくなる。居場所さえ把握されなければ、殺すのも容易。
そうして女の背後まで移動すると、足首を刈ろうと短剣を振るう。
だが、女はその場で高く跳躍し、奇襲を躱した。
(ちッ)
こちらも、一旦距離を取る。
(影から飛び出す音すら聞き取るか)
飛び上がった女は、そのまま屋上へ着地した。すると、残った黒蝶たちも後を追うように飛び上がる。
(甘い!)
女を護衛するためだろうが、それは致命的な隙。
後を追った黒蝶たちよりも早く屋上へ移動すると、着地した瞬間に一人を刺殺する。
「お助けをッ!」
敵わないと悟った一人の黒蝶が、上擦った声で女に助けを求める。だが女は顔色を変えないどころか、視線すら向けずに黒蝶を見捨てた。
怖気づいた黒蝶たちを屠った後、静観していた二人のもとへ向かう。
女は奇襲すらも回避するため、まずはもう片方の背の高い黒蝶を片付ける。
背後を取り、飛び上がり様に切りかかった。
――しかし、
黒蝶は素早い身のこなしで振り返ると、手に持っていた小刀で短刀を受け止めた。
「何ッ!?」
刃と刃が激突し、暗闇に火花が散る。
目を見開き、動きを止めてしまう。
その隙を、背の高い黒蝶は見逃さなかった。
私の腕を力強く掴むと、腹部に膝蹴りを入れてくる。
「かはッ」
腹部から空気が抜け、唾液を吐き出す。
重い一撃を喰らい、一瞬身動きが取れなくなっている間に、黒蝶はさらに小刀で脇腹を突き刺してくる。
「ちッ」
混濁する意識の中、掴まれている腕を躊躇いなく切り飛ばす。
影に落ちる間際、女が再び火の蛇を放ってくる。
片腕を折り曲げ、火の蛇を防ぐ。
火の蛇は大口を開け、腕に食らいつく。
実体のない蛇は皮膚を焼き、肉の焦げる匂いが鼻孔を刺激する。
背の高い黒蝶も、再び私を捕まえようと腕を飛ばしてきた。
差し迫る掌を見つめていると、間一髪のところで影の中へ潜ることができ、二人から離れる。
(く、息が……)
二度に及ぶ腹部への攻撃で心拍数が上がり、息が続かない。
仕方なく、近場の建物の中へ上がる。
「ぷはっ、はぁ……はぁ……」
なるべく息を潜めながら、部屋に腰ポーチから回復薬と短刀を取り出し、部屋を見回して適した場所を探す。
改造で痛みを感じぬ体になったが、身体機能は生身の時と変わらない。心拍数は上がっていき、全身から汗が噴き出す。
「ん?」
ふとした気配を感じ、窓の方に視線を向けた。すると、外から轟々と燃え盛る火の音が鳴り出し、窓の外が昼間のように明るくなった。
次の瞬間、時間の流れが遅くなる。
一秒が引き伸ばされた世界の中で、建物内の家具が火花を散らしながら炭化していき、熱気と共に視界が赤く染まっていく。
巨大な炎の大蛇は、建物の半分を飲み込んだ。
夜の静寂を破る轟音と共に、建物は崩壊した。
「はぁ……はぁ……」
崩壊が止み、再び静寂が訪れる闇の中、荒い呼吸音が克明に刻み込まれる。
赤々と燃え上がる建物の横で、私は這いつくばっていた。
直撃は回避した。が、半身は炎を浴び、感覚がない。さらに、心臓が破裂しそうなほど脈動していたのに、今は嘘のように弱まり出す。
(寒い……)
重度の火傷を負っているのにもかかわらず、体の芯が冷たくなっていく。意識も次第に混濁していき、体も泥のように地面に沈み込む。
そんな中、炎蛇を腕に巻きつけた女と黒蝶の二人が目の前に降り立つ。
影に潜って逃走しようとしたが、燃え盛る炎に照らされて影が払われていた。
女が、巻き付けた炎蛇を私に向ける。
今際の際。
(……キルト様……申し訳ございません)
現実を受け入れ、諦観する。
……いや、キルト様は、絶望の淵に落ちても歩みを止めなかった。
忠誠を誓ったお方が地獄を歩み続けているのに、私が“生”を手放すのか?
私は、キルト様の影。
ならば、心臓が止まるその時まで”生”を諦めることは許されない。
気力を絞り、片腕で上半身を起こすと、女を見つめて口を開く。
「■■■■!」
私の言葉を聞いた瞬間、無表情だった女の顔が目を見開き、動きを止めた。
「貴様ら、赦さん!」
大声で叫んだ直後、紐が切れるように全身から力が抜け、再び地面に倒れ込む。
辛うじて繋ぎ止めていた意識は瞬く間に遠くなっていき、視界も暗転していく。
(小夜……き……)
意識を失う間際、小夜の顔を思い浮かべた。




