第2話 手を×クラインの天賜
大森林を切り開いて築かれた、荘厳な壁。索敵を考慮してか、壁の周囲数百メートルは剥き出しの地面になっている。そんな殺風景な土地に突き立てられた黒い石柱。壁の近くにある石柱には魔力が供給されており、魔術式が夜天の中でまるで蛍のように輝いてる。
幻想的で、美しい光景。
――だが、石柱の下に目を落とした瞬間、世界が冷たくなる。
地面を埋め尽くす遺体の山。
しかもすべての遺体が腐っており、ドロドロに溶けていた。
円状に突き立てられた石柱は、檻だったのだ。
視線が釘付けになっていると、教国の方から冷たい夜風が吹き、頬を撫でる。
「キルト……」
ふと、か細い声で名前を呼ばれた。
現実に引き戻され、声の主であるエノに視線を向ける。
エノは青い顔しながら俯き、小刻みに震える肩を抱き締めていた。
「…………あの国、禁足地みたいに魂が渦巻いてる」
一目見ただけで、鮮明に知覚できない俺でも分かった。
あそこは、怨念を孕んだ死者の魂が渦巻いている、と。
『ルナンさん』
屋敷の中で、同じ光景を見ているだろうルナンさんに声をかける。
『これは、何ですか?』
『……画皮剥落の祀。千年前、一人の魔女が己の美貌と媚薬を用いて勇者を誑し込んだ。暗い森の奥深くへ連れて行かれた勇者は、二度と帰ってこなかったという。これは、そんな魔女が被った偽りの美貌を暴くためのものだ』
淡々としたルナンさんの説明が終わると、視線を檻に向けたままエノに声をかけた。
「エノ、掴まってろ」
返事は帰ってこなかったが、肩を掴む感覚は伝わってきた。それを確認した後、地面を蹴る。
高速で滑空する中、左腕に黒紫色の筋繊維を纏わせた。そして、地面に降り立ったと同時、石柱を殴りつける。
静寂に包まれた真夜中に、大地を揺らすような振動と倒壊する轟音が鳴り響く。
剥き出しの地面ということもあり土煙はそこまで立ち上らなかったが、代わりに魔術式が途切れた瞬間、檻の中から喉の奥にへばりつくような腐敗臭が漂ってきた。
「気付いたか」
暗闇に包まれていた教国に明かりが灯り、慌ただしい足音が静寂をかき消す。
俺は構わず、檻の中に足を踏み入れると、改めて地面に転がっている遺体に目をやる。
完全に白骨化している遺体もあれば、まだ辛うじて形を保てている遺体もある。それは、彼女たちがこの檻の中に幽閉されていた年月を物語っていた。
「エノ、俺の言葉を彼女たちに伝えてくれ」
「……うん」
俺は、頭の中で喋る内容を整理しようとした。だが、すぐに思考を放棄した。彼女たちにかけるべき正しい言葉など、俺には考えられないからだ。
「この世界の正義が正しいとか、間違ってるとか俺に語る資格なんてない。でも、この世界の神がクソだってことは俺が一番知ってる」
この世界の神は、コインの表と裏のような存在。明確な意思で以って人類を救うこともすれば、明確な悪意で以って人類に害をなす。
二分の一の確率で、運命を分かたれる世界。
今回は、裏なのだ。
漆黒の管理者は間違いなく、人類の存命など気にしない。
それどころか、滅亡させるつもりかもしれない。
「ちッ、本当にクソみたいな神だな。……あなたたちは、神に何を望みますか? 故郷の森へ帰って、静かに眠りたいですか?」
違う。そんなこと、彼女たちは望んでいない。死者の魂が現世に留まる理由は、強い未練があるから。渦巻く彼女たちを見れば、何が望みかなど一目瞭然だった。
「それとも、教国に復讐したいですか?」
発した声が夜の闇に溶け込むと、留まっている魂たちがざわつく。
「断言します。神は、あなたたちに復讐の機会なんて用意しません。純白は仁道を説くでしょうし、漆黒はあなたたちを見て愉悦に浸るはず。神に縋るのは、時間の無駄です」
俺は静かに、手を差し出す。
「もし復讐をしたいなら、俺たちがその機会を用意します。でも、これはあなたたちの教えを……いえ、生者の理から外れる外法です。復讐を果たすために地獄の中を歩く覚悟があるなら、俺の手を取ってください」
エノが代弁し終えた直後、すぐに反応を示した魂があった。
壁の近く、この中で一番原型を留めている遺体。
俺は、彼女に視線を向けて静かに待つ。
遺体の上で漂っていた魂は、俺の前まで漂ってくると地に伏すように頭を垂れたのだ。
それは、声なき同意の証。
彼女の同意がきっかけになり、漂っていた他の魂たちも習うように地に伏した。
「分かりました」
俺は、彼女たちの遺体を黒穴へ収納する。
肉片や骨片ひとつ残さず収納し終えると、エノに視線を向ける。彼女は俺の視線に気づくと、胸の魔石に手を当てながら優しい口調で答えた。
「大丈夫。みんな、私の中に入ったよ」
「そっか」
「ねぇ、キルト?」
「なんだ?」
「これが本当に、正義なの?」
エノの問いかけに、安直な返事は返さず、一度口を閉じる。
きっとこれは、ダイが一言っていた“社会秩序を保つための正義”なのだろう。金色の夜明け教は、魔女という人類の仇敵を作り出すことで、勇者喪失という混迷期を収めた。
生き残った人類が結束し、再興するために必要だった悪役。
それにだ。厄介なことに、事実も含まれていた。
勇者を皇国から連れ出したのは、確かに森の民――イリアさんの母親。
ただし、誘惑したなどという事実はなく、勇者が皇国を去ったのはやむを得ない事情があったためだ。しかし、人族側には関係なく、今となっては意味のない過去の話。
「確かに惨い。けど、こんな正義でも助かってる人が大勢いる。これも、正義の一つなんだと思う」
「こんなの間違ってるよ」
エノは、理解できないと言わんばかりに顔を伏せた。
もう一度、空になった檻に目をやる。
がらんどうな空間に残った、地面の滲みと腐敗臭。
本当に、これを正義と呼んでいいのだろうか?
人類が今現在も繁栄し続けられているということは、この正義が正しいことを証明している。だというのに、心に納得感や晴れ渡るような思いは抱けなかった。
(俺は、正義を見に来た。けど……)
俺の中にあった漠然とした正義というモノが、音を立てて瓦解した。
口を結び、視線を教国へ向ける。
一つの正義を掲げた教国。だがそれは、偽りの歴史を織り込んだ旗。
何度も頭で理解しようとしても、心が復讐心を抱いた彼女たちを間違ってるとは思えないと叫ぶ。
――すぐに答えを出さなくてもいいと思う。
真っ白になった頭の中に響く、ダイの言葉。
(出せんのか……?)
千年の歴史がある正義に対し、回答するという難題。
(……でも、止まれねぇんだ)
俺は、答えを出す以外の選択肢はないのだ。
「正直、分かんねぇ。だから、教国とやりあって、答えを見つけたい」
「……そう。なら、私も一緒についていくよ」
「あんがとな……っと」
突然、壁上から眩い光で照らされた。
反射的に顔を伏せ、気配を探りつつ、その場で深く膝を曲げる。
「四十……見張りにしては、やけに多いな」
人数を把握し終えると同時、勢いよく後方へ飛んで光から逃れた。低く、水切りのように跳躍する。跳ねる方向も後方だけでなく、攪乱するように左右へ直角にも曲がりながら森まで下がっていく。
俺の動きを見て、壁上から驚愕するような声が上がる。
「よっぽど、切羽詰まってるのか?」
見張りの多さからして、教国は何者かの襲撃に備えている。
「何に喧嘩を売ったんだ?」
突然検問を設けた上、おそらく四六時中厳重な警備体制を敷いている。
明らかに、有事の事態が起こっているのだろう。
結局、一度も光に捉えられることなく森の堺に辿り着いた。
ここでようやく光から視線を切り、そのまま森の奥深くへ入る。騎士団も、さすがに暗い森の中までは追ってこないだろう。
「アルシェの言う通り、これを羽織っておいて正解だったな」
教国へ赴く前、アルシェは万が一に備えて魔族のマントを羽織るように言ってきた。あの時は、教国内に侵入する気はなかったため必要ないと断ったが、アルシェの判断は正しかった。
帰ったらアルシェに礼を言おうと思いながら森の中へ踏み入ろうとした時、教国から飛び出た気配に気付いた。
「何だ?」
足を止め、再び教国の方へ振り返る。
人間の気配ではない魔力の塊が複数、森へ向かってくる。
その内の一つは、俺の方へ向かっていた。
(バレた? いや、しらみつぶしか)
気配は俺の居場所を把握しているような軌道ではなく、まるでローラー作戦のように森を面で捜索していた。
今すぐ屋敷へ戻れば安全だ。だが教国と相対するのならば、気配の正体を自分の目で確認しておいた方がいい。
素早く近くの木に上ると、生い茂った葉に身を隠し、気配を消して目を凝らす。
暫くして、闇を切り裂くような風切り音を鳴らして飛行する気配の正体が見えた。
それは、首のない女性の石像だった。全長は五メートル。中世ローマのような大きな布を纏った格好で、頭の変わりに魔術式が刻まれた光輪が浮遊しており、腹部は大きく膨れていた。
『キルト君、逃げるんだ! クラインの天使だ!』
向かってくる石像を眺めていると、ルナンさんの声が響いた。




