第19-2話
天井に黒い穴が空いた。次の瞬間。
ズドオオオオンンンッッッ!!!!!
2つの塊が、猛烈な勢いで「落ちてきた」!?
ベッドが粉々に壊れる。そこにいたのは……
「グハッッッ!!!」
「エリック!!?」
慌てて駆け寄ると、エリックが気を失っている中年女性を抱きかかえていた。
激しく「落ちた」せいか、彼があちこちから血を流しているのが分かった。
「……俺は、後回しだ。まずは女を……」
「後回しって……何があったの??」
「……待ち伏せ、されていた。それも、途轍もない凄腕だ……シェリル本人、かも……ゲフゲフゲフッ!!」
エリックが血を吐く。……大変だっ!!
「エリザベート、治癒魔法使える??」
「少しは!でも、これじゃ……」
「丸薬の残りがあるから、それも使うわ!!先にエリックを治す、いいわね?」
「……馬鹿が……」
憎まれ口を叩く彼の口を拭い、例の丸薬を取り出す。残りはもう1粒しかない。
でも、これを使わないといけないのは間違いなかった。そうしないと、死にはしなくても……治るまでには、相当かかる。
「飲み込める?」
「……分か、らん……」
目が虚ろになっている。これは想像以上に良くない。早く飲ませなきゃ……!
私は咄嗟に丸薬を唇に咥える。そしてそれを彼の口に合わせ、舌で押し込んだ。
「むぐっっ!!!?」
「んっ……んんっっ!!」
舌から、熱い鉄のような味がした。彼は最初拒んでいたけど、舌で丸薬を受け取り……ゴクンと飲み込んだ。
唇を離す。口は、彼が吐いた血で濡れていた。汚れるのも気にせず、それを拭う。
「プルミエール……」
「エリザベート、出血とかは?」
「う、うん。……大分、止まってきた。骨がどうなってるかは分からないけど」
女性……多分ラスカ夫人だ……には目立った外傷はない。ここから落ちた時の衝撃は、全部エリックが肩代わりしたのだろう。
バタバタと、ラファエルさんたちが部屋に入ってきた。
「どうしたっ!?」
「至急寝床を2つ確保して下さい!!」
「分かったっ」
エリックが私を見た。
「……俺より、ラスカを……詳しくは、あとで、話す」
「うん」
彼が意識を失ったのが分かった。あの「霊癒丸」の効き目は、自分でもよく分かってる。3刻ぐらい寝れば、きっと体力は戻るだろう。
「エリザベート、エリックは任せたから、私はこっちをやる」
「う、うん」
ラスカ夫人を寝かせると、私はすぐに詠唱を始めた。土地の代わりに人を媒体とする……言われてみれば、確かに原理は同じだ。
巻き戻す時間は……とりあえずは今朝。そこから、3時間ぐらいまでを3倍速で見る。これでいいはずだ。
水晶玉に光景が浮かび上がった。ラスカ夫人の視点であるらしい。彼女もオーガとの混血なのだろうか、随分視点が高いことに気付いた。
修練の成果か、かなり疲れは少ない。思っていたよりは楽な気がする。
しばらくは、何事もなく過ぎた。家事を人任せにしない人らしく、使用人に混じって洗濯などをしているようだった。
異変は、水晶玉の時間で「1時間」ほど経って起きた。客人があったようだ。
『ラミレス家からの使者、ですか』
水晶玉から、声が響く。声はまだ小さくて、聞き取るのがやっとだけど……これも、あの修練の成果かかな。
『はい。……様の……ご要望で。ジョイス様に……お会い……と』
声は途切れ途切れだ。それでも、言ってることの大枠は分かった。「中枢」は、ラミレス家にいる。
『お断りします。主人は職務で多忙です故』
『ジョニィ様の……聞けないと?』
『本日の予定は、全て一杯なんです。恐縮ですが、緊急というならジョニィ・ラミレス様ご自身でいらっしゃられるのが筋では?』
使者は黙ると、おもむろに近付く。
『な、何ですか。……きゃあっっ!!?』
視界が一気に反転する。押し倒された、と分かったのはすぐだった。
若い男の顔が目の前に近付き……すぐ離れた。
『……よろしいですね?』
『……分かりました』
……何が起こったのだろう?しかし、今「憑依」されたのは、間違いない。
「キス……」
「え」
エリックに治癒魔法をかけながら、エリザベートが呟いた。
「キスよ。多分、一瞬でも触れたら発動するんだ。ベーレン候があっさり『乗っ取られた』理由が分かった」
その通りだった。ラスカ夫人はすぐに地下室に行き、ベーレン候にキスをした。ベーレン候は用心深いらしいけど、夫人からのこうした求めは普段通りだったのだろう。だからあっさりかかったんだ。
そこからは予想通りだ。ベーレン候は乗っ取られ、一直線にジャックさんの家に向かう。ラスカ夫人はその間、キスで邸宅を全てシェリルの支配下に置いてしまった。
確かに恐るべき力だ。でも……
「キスに気を付ければいいって程度なら、多分……」
「うん、そこまで脅威じゃない。でも……」
薬で眠るエリックを見た。そう、その程度なら彼は普通に何とかするはずだ。
でも、あの様子は……明らかに、追い詰められてた。しかも、あんな重傷を負うほどに。
エリックの「加速」は、かなり使い勝手のいい魔法だ。どういう原理かは分からないけど、速く動けるだけでなく細かい動作もできるようだった。
攻撃に使えば打撃力を高め、守備に使えば大体の攻撃は避けられる。そう言えば、ランパードさんが稽古で「ちっとも当たる気がしねえから『加速』はやめてくれねえか」と愚痴ってたっけ。
だから、相手が余程の相手じゃない限りは、こんなことになるはずがない。それこそ「クドラク」……ファリスさんぐらいでなければ。
……ファリスさんぐらいでなければ??
そう言えばさっきエリックは……襲ったのは「シェリル本人かも」って言っていた。まさか、そんなことが??
「ねえっ、ランパードさんはシェリルってずっと幽閉されているって言ってたわよね!!?」
「そのはず。お母様の『千里眼』の目を盗んで、行動なんてできないはずだから……。だから、さっきのエリックの言葉はあり得ないの、絶対に」
エリザベートの顔が真っ青になっている。その表情は、エリックを襲ったのがシェリルではあり得ないことを示していた。
でも、エリックを追い詰めるなんて、そう簡単にできることじゃない。付き合いがそんなに長くはない私にだって、そのぐらいは分かる。
……だったら、自分の目で確認すればいい。私には、できる。
今、エリックは眠っている。「追想」を使うにはお誂え向きだ。
#
ラファエルさんが別室のベッドに彼を寝かすと、私はすぐに詠唱を始めた。「戻す」時間は短いのでさほど苦でもない。水晶玉に、彼の見ていた景色が浮かび上がる。
……外套の女が、そこにいた。胸の大きさで、それが女だと分かった。
異常に大きな斧を持っている。あんなものを軽々使えている時点で、明らかに常人じゃない。
『震……さい、『エオンウェ』』
女が言うと、急に視界がブレた。あれは、多分「遺物」だ。それも、相当に強力な。
「『エオンウェ』?エリザベート、知ってる?……エリザベート??」
エリザベートから、感情が抜け落ちていた。見てはならない何かを見たかのように。
「ねえっ、どうしたのよ??」
「……これ」
一瞬だけ、女の顔が見えた。歪んだ笑いの、女の顔が。
はっきりと見えなかったので、一度「巻き戻す」。そこにいたのは……褐色の肌のエルフ。
「……ダークエルフ???」
エリザベートが頷いた。
「ダークエルフが、外をうろつけるはずがない。でも、でもお母様が見逃すはずなんてっ!!」
「落ち着いて!!シェリルと決まった訳じゃないでしょ??」
「でも……これは間違いないの。そう……間違いなくこれは……」
ダークエルフ。そして、それは……シェリルしかいない。
「六連星」が自ら、エリックを始末しに出向いてきた。状況は……物凄く悪い。
そして、ランパードさんが動けない理由も分かった。下手に動こうものなら、殺されるからだ。
なら、今彼はどこにいる?考えろ。考えるんだ、私!
ニャア
窓の外で黒猫が鳴いた。血の気がさらに引いていく。
しまった!!もう、私たちがいる場所も見つかってしまった!?
そう思った瞬間、黒猫は窓の隙間から入ってくるとクルッと一回転して……男の子の姿になった。肩の力が抜けていく。
「シェイド君!!?」
「良かったにゃ、不安だったからご主人に少し様子見てこいって言われたけど、上手く行ったみたいにゃ」
「そんなことより!!シェリルがここに来てるみたいなの!!エリックは深手を負ってるし……」
「……シェリル?」
私は水晶玉をシェイド君に見せた。彼は怪訝そうに首を捻る。
「これ……多分ダークエルフじゃないにゃ」
「え?」
「うっすらと身体の周りにマナが見えるにゃ。多分、僅かだけど幻影魔法で認識をずらしてるにゃ。
肌の色を変えてる可能性が高いにゃ。シェリルとは別の個体にゃ」
「でも、この強さは……」
「トリスのことは知らんにゃ。貧乳、そんな使い手トリスおるにゃ?」
エリザベートが力なく首を振った。悪口を言われたのに全然反応しないなんて、彼女らしくもない。
「……にゃあ。しかし、こいつが遺物持ちなのはただ事じゃないにゃ。多分、『中枢』じゃないと思うけどにゃ」
「どうして分かるの?」
「そりゃモリブスにある遺物なんてボクでも分かってるにゃ。で、『エオンウェ』なんて知らないにゃ。つまり、こいつは余所者にゃっ」
口調のせいで軽く聞こえてるけど、早口で捲し立てるシェイド君の言葉からははっきりとした焦りが感じられた。混乱してるんだ、彼も。
「『中枢』はあくまでモリブスの人ってこと?」
「そうじゃなきゃベーレン候の喉元まで食い込めないにゃ。で、こいつはその協力者、あるいは上司」
「ジョニィ・ラミレス……は男性よね」
「にゃ。でも、ジョニィは大の色狂いにゃ。よくモリブスの花街に来てるらしいにゃ。夫婦関係は確か冷めきってたはずにゃから……」
エリザベートが急に頭を上げた。
「そうか!花街に『中枢』が……!!」
「それだ!でも『憑依』された人が多すぎて脱出できなくなってる……」
「娼婦にとってキスは当たり前だから、急速に『憑依』の範囲は広がるわ。で、ラミレス家を支配し、ベーレン候まで……」
「始末が悪いにゃ。エリックは……」
ベッドに寝かされている彼を見て、シェイド君が顔をしかめた。
「さっきのにやられたにゃ?」
「うん……動けるようになるまでもう少しかかると思う」
「分かったにゃ。とりあえず、『エオンウェ』が何か調べてくるにゃ。ボクが戻るまで何とか耐えろにゃ!!」
#
「……そうか」
それから2刻。一通り説明を聞いたエリックが小さく言った。
目覚めてから少したったけど、顔色はまあまあ良さそうだ。ラスカ夫人はまだ眠らされている。シェイド君はまだ戻ってこない。
「うん。あれはシェリルじゃないみたい。でも……」
「間違いなく、強者だ。不意を突かれてなくても……自信はない、な」
エリックが唇を噛む。こんな悔しそうな彼も珍しい。エリザベートが、彼を見た。
「でも、どうであれ……花街に行かないと始まらないよ。行かなきゃ、ビクターを助けに」
その時、外が急に騒がしくなった。
「カチコミだぁっっ!!!」
窓の外を見る。そこには、数十人の人とエルフが押し掛けていた!!!
魔法紹介
「憑依」
対象に自己の意識を乗り移らせ乗っ取る魔法。エルフの中でも限られた者しか使うことができない。
また、乗っ取っている最中は本人の意識は消えている。つまり、本体が無防備なため安全を確保した上でないと使えない。
通常は小動物を対象にすることが多く、主に偵察や諜報のために使われる。
エリザベートの憑依はかなり強力なもので、一定の条件で人間相手にも使用できる。
また、視覚や聴覚などの感覚を一時的に「共有」することまで可能。ただ、これには相手の同意が必要である。
また、使用には対象に10秒ほど触れ続けねばならない。多くの場合、動物相手には「魅了」を併用することになる。
強力ではあるが制限が多く、必ずしも万能ではない。
シェリルの「憑依」は対象が無制限である一方、支配範囲が限定的などエリザベートのそれとは全く別の魔法のようである。
その真相は現在不明。ただ、「中枢」と呼ばれる存在を介して憑依対象が広がる特性があるようだ。それは伝染病に近い性質があると言えよう。




