読書/金子光晴『髑髏杯』『眠れ巴里』 ノート20150927
高尚な趣味というほどのことはなく、雑学やら下世話な話ばかりではあるのだが、1930年代が自分的に萌える。暇さえあれば、そのあたりの資料を買いあさったり、借りたりして読んでいる。――そういった書籍のなかに、いましがた読み終えたばかりの本が『眠れ巴里』がある。冒頭を引用してみよう。
「僕の少年のころは、洋行といえば、同盟国の英京ロンドン、学術の都ベルリン、それからアメリカ諸方の都市で、フランスのパリを志す者は少なかったものだ。その頃は、まだ日露戦争のほとぼりがほかほかしている自分で敵国ロシアの同盟国というので、子供心にも、フランスを馬鹿にしていたほどで、人気のないフランスへ洋行するものは、腰抜けか助平かときめこまれていた……」
三十をこえたばかりの詩人が、子供を抱えて途方にくれ、家を飛び出して、情夫である芋学生の下宿屋に行った売れっ子作家である奔放な三千代夫人を、パリにゆかせてやる、とだまくらして、上海暮らしをするのが前作『髑髏杯』。『続編が眠れ巴里』だ。
『髑髏杯』は昨年読んだ。
この詩人のファンはそこそこの教養人が多いとみえて、髑髏杯とはどんなものか一般常識の範疇のうちとして、あえて紹介していないので触れておく。――有名なのは、古代中国・戦国時代の覇者晋国の宿老・智伯がライバルをつぎつぎに潰し、最後の敵・趙氏を水攻めして陥落させる寸前、籠城側が智伯の盟友・魏氏と韓氏に、「魏が滅べばつぎに滅ぼされるのはあなたがただ」と解いた。盟友に寝首をとられた智伯。張氏に首級が引き渡されると、仇敵の頭蓋骨を杯にした。――日本では、浅井・朝倉攻めをした信長が真似ている。
さて。
夫人を伴って日本を脱出した金子光晴は、当時「魔都」と呼ばれた退廃の都市・上海にきて、詩を自費出版して食いつなぎつつ、居留している日本人たちと交流。その一人に職人がいて、中国人墓地から頭蓋骨の一部を盗んで杯をつくったのだが、これがいけない。夜な夜な幽霊が現れて難儀していると金子に打ち明ける。それで、職人と墓を再び暴いて、杯にした頭蓋骨の一部をもとの遺体に返すというラストで締めくくられるのが『髑髏杯』だ。
『眠れ巴里』はその続編。
上海を脱出した詩人が、定期便船で、香港からマレー半島を経由して、英国リバプール、そしてパリに入る。世界恐慌直後のパリでの生活は、男娼の話をもちかけられるほどの極貧で、警察沙汰スレスレの仕事までやった。
当時のパリ在住の日本人社会がゴロツキばかりで、そこと接点をもっている地元人といえば、伯爵夫人を名乗る不細工な詐欺師か娼婦くらいのものだ。
戦後、晩年を迎えた詩人が、ヘイト表現もつかいつつ、すえた匂いのする市井の裏路地を赤裸々に描く、回想録なわけだが、流麗な文章でつづった冒険談でもあり、ファンタジックで目の保養になった。
ノート20150927




