第三十六話 『非情』
「なっ!?」
右側の兵士が声を漏らすのとほぼ同時に、斬りつけられた左の兵士の喉に赤い線が走り、見る間に鮮血が溢れ出す。
「ごふっ! ……ぅご、ひゅぅ!!」
左側の兵士は眼球が飛び出そうなほど大きく目を剥き、咄嗟に喉を押さえるも、指の隙間から血が噴き出す。
喘ぎながら、立っていられず膝をつく。
その側頭部に、ヒルディアは回し蹴りを見舞った。
鈍い音とともに男が吹っ飛び、歩幅にして大股で五歩分ほど離れたところで地面に叩きつけられると、さらに転がってからようやく静止する。
その首は不自然な角度に曲がり、ぱっくりと開いた傷からは血が断続的に吹き出している。
「ああっ! マシューズ!」
右手の男は、絶命した仲間の名を叫ぶと、その視線をヒルディアへと戻す。
「なんっ、な、なんで殺した! あいつは質問しようとしていただけだろ!」
「それ、答える理由ありますの?」
「なっ!?」
人質を取られているわけでも、弱みを握られているわけでもない。
相手はわかっていなさそうだが、戦力的に不利ですらなく、むしろ圧倒している。
それなのに、何故敵の欲する情報を、訊かれるままに話すと思うのか。
おそらく、この男たちにとって、それが当たり前だからなのだろうとヒルディアは察する。
村人たちであれば、徴税官とその部下を怖れ、訊かれればなんでも答えたのだろう。
だが当然、己にそんな道理は通じない。
「というか、いい加減に剣を抜いたらどうですの? お友達のように、構えもせずに殺されたいのかしら」
わざわざ助言してやる理由もないが、己も小屋を離れて以来まともに鍛錬できずにいる以上、そろそろ剣を振っておきたい。
このままでは腕が鈍りきってしまう。
目の前の男は佇まいからして自分の相手になるほどの実力があるとは思えないが、それでも徴税官の部下ということは、正規の軍人ではあるはずだ。
であれば、下界で戦うにあたっての慣らしぐらいの役目は果たせるのではないか。
それに、こいつらの仲間とも斬り合うのであれば、目の前の男を試金石として、どの程度の練度なのか計っておきたい。
「……くそ……なんでこんな……くそっ!」
ぶつぶつと毒づきながら、男はようやく抜剣する。
ヒルディアは舌先で上唇をなぞると、踏み込みに備えて僅かに腰を落とす。
しかし、斬り込もうとした瞬間、顔に戸惑いが浮かび、その場に踏みとどまる。
目の前の男が、剣を地面に放り捨てたからだ。
「なんの真似――」
「こ、降参! 降参する!」
呆気にとられ、ヒルディアはぽかんと口を開く。
「は?」
「だって、戦う理由がねえ! そうだろ!? あのスケベおやじがムカついたってことなら、オレは関係ねえし! だ、だから、オレとあんたが斬り合うことはねえって! それでも収まらねえってんなら、詫びの気持ちとして金を払――」
話を最後まで聞かず、ヒルディアは男の左目に刃を突き入れる。
「へ?」
深く差し込まれた切っ先は、脳にまで達している。
男は引き攣った笑みを浮かべたまま、疑問を口にする。
「な、んで――」
しかしヒルディアは、この問いも言い切るまで待たず、刀を持った手を捻る。
脳をかき回されて、男はびくんと肩を跳ねさせると、右目を裏返し、全身をがくがく震わせる。
「なんでって、遊戯盤じゃあるまいし、降参なんてあるわけないでしょ」
ヒルディアが刀を引き抜くと、支えを失った男は、糸が切れたようにその場に頽れた。
「まったく……武装した男が四人もいて、全滅するまで斬り合いにさえならないなんて」
ぼやきながら身を屈め、未だ細かく痙攣している男のマントで刀を拭うと、ジェイムズたちの方へ顔を向け声を張る。
「ちょっとあなたたち、こっちへ来てくださらない?」
身動きもできずに状況を見守っていた三人は、ヒルディアに呼ばれると互いを窺い合ってから、恐々とした足取りで近付いてきた。
なにを言えばよいのかわからず口を噤んでいる三人に、ヒルディアは指示を出す。
「人目につかない場所に、男たちの死体を運びますわよ。そこで、装備一式を剥いだら、屍は埋めてしまいましょう。いい場所があれば案内してほしいのですけど」
スイガの目論見を察したうえで、〝尋問〟から戻るまでに次の動きへの準備を整えておこうとヒルディアは考えている。
しかし、ジェイムズたちはなかなか動き出そうとしない。
「どうしたんですの?」
「あ、あの、どうして殺したのですか?」
ジェイムズに訊ねられ、ヒルディアは気まずさに目を逸らしながら答える。
「あ、あの徴税官は、その、あんまりにも気持ちが悪かったので――」
「奴のことじゃありません。い、いえ、あれもひどかったですけど、ボクが言ってるのは最後に刺した兵士のことです」
ヒルディアは傍に転がっている男の遺体をチラと見る。
「なにか問題でもございまして?」
「降参してたじゃないですか! 剣を捨てて!」
「それが?」
「それがって……もう戦う意思もない相手を殺すなんて、いくらなんでも非情すぎるでしょう!」
震えながらもジェイムズは声を大にして訴える。
傍で頷いているレナードも同じ気持ちのようだが、エヴァンスだけは顔を顰め「べつにいいじゃねえか」と独り言ちている。
「非情? あなたたちは徴税官や王政に戦いを挑むつもりなのでしょう? まさかとは思いますけど、血を流さず話し合いで解決できる、なんて思っていたりはしませんわよね?」
「ぼ、ボクだって血を流す覚悟ぐらいあります。でも、剣を捨てた相手を容赦なく殺すなんて……」
ヒルディアは溜息をつき、小さく首を振る。
「じゃあ仮に、さっきの男を見逃したとしましょう。それから、どうするべきでしたの?」
「ど、どう、とは?」
「そのまま逃がせとも言うおつもり?」
「え? い、いえ、それだと、きっと仲間を呼ばれる」
「ですわよね。となると、拘束するしかありませんわね」
「は、はい」
「それで? どこに閉じ込め、誰が監視しますの?」
「え? 監視、ですか?」
「当然でしょう。敵に拘束されているのですから、相手は当然逃げようとしますわ。まあ、ひとりであれば、しっかり縛ってでもおけば問題はないかもしれませんけれど、それでは自分ひとりでは排泄もできませんから、いずれにせよ誰かが面倒を見なければなりませんわね。そんな人手がありますの?」
「そ、それは――」
「加えて、長く拘束を続けるのであれば、捕虜の分の食事も用意しなければなりませんわね。この貧しい村に、敵に割ける食料なんてあるんですの?」
「ど、どうでしょう。で、でも、ひとり分ぐらいならどうにか――」
「あら、ひとりじゃありませんわよ?」
「え?」
「砦の兵士たちと戦っても降参する者は出るかもしれませんし、この先さらにたくさんの敵と戦をして、こちらが勝てば当然投降する敵はいるでしょう。そうしたら捕虜の数はいずれこの村よりも多くなりますわね。あなたはその敵たちをどうやって管理するんですの?」
「わ……」
ジェイムズは視線をさ迷わせて考えるも、やがて肩を落とす。
「わかりません」
「でしょうね」
この先、大きな戦をするのであれば、捕虜の問題はおいおい考えていかねばならない。
ただ、少なくとも今、敵に情けをかける余裕はない。
まして、この村で非道を働いていた一味であればなおさらだ。
ただ生かしておいただけで味方の士気を下げかねない相手を、デメリットやリスクを払ってまで救う理由などひとつもない。
「情が深いのは人としての美徳ですけれど、あなたは既に奴らと戦うと選択したのでしょう? 半端な優しさは味方を殺しますわよ」
ヒルディアの厳しい言葉に、ジェイムズは渋面を作り俯くも、やがて顔を上げると、表情を引き締め頷いた。
「肝に銘じます」




