03 またいつか
早朝、まだ周囲は薄暗く、靄のかかる王宮の門に、身軽な旅装を纏った花蓉が立っていた。長い髪を高く結い上げ、腰には護身用の短剣を佩き、動きやすい薄紺の衣裳に身を包んでいる。
花蓉は袖を掴み、目の前に立つ青年を見上げた。
「ありがとう。服も剣を用意してくれて」
「それでもまだ足りないぐらいだ。本当は護衛兵を百人はつけたいのだが」
「それは大丈夫よ。本当にいらない」
青年——璙雲の言葉は冗談ではなく、本心からというのを悟った花蓉は乾いた笑みを浮かべた。自分はこれから眞国全土を見に行くのだ。戦場でもないのに百人も護衛をつけられては、嫌な意味で目立ってしまうだろう。
「力は失ったけれど、これでもお父さまに護身術は習ったの」
花蓉は力拳を作ってみせた。
ほんの少し筋肉が隆起するだけの細腕を見て、璙雲は不安げに瞳を揺らした。
「……なによ、その顔」
「やはり、一人では行かせられない。無理だ。不安でしかない」
ぐっ、と顔を盛大に顰めた璙雲は、嫌々といった様子で背後を振り返った。
「……おい、でてこい」
重々しいい、不機嫌丸出しの声を投げ掛ければ門からひょっこりと人影が二人分、飛び出してくる。
現れたのは皓月と玉盈だった。
「ほら、だから最初から素直に頷いていればいいものを。妙な意地を張るから最後まで格好がつかないんだよ」
いつものように飄々とした言動と共に現れた皓月は軍服ではなく、灰色の袍を纏っている。月華の美貌を除けば、どこにでもいる平民のような装いをしていた。
「花蓉様、わたくしも同行いたします。きっと、女手が必要な場面がございますゆえ。それと、皓月《彼》と二人っきりにさせるわけにはいきませんもの」
その隣に立つ玉盈もまた妃嬪ではなく、平民のような装いをしていた。すらりとした長身で切れ長の目尻を持つ彼女には藍色の胡服がよく似合っている。長い髪をまとめ上げているのも相まって、一見すると青年のように見えた。
「これって」
「皓月は腕がたつ。きっと、様々な災難から命を挺して君を守ってくれるはずだ。武昭儀は本人からの申し出もあり、旅に同行するのを許可した。女性がいるほうが楽しいに決まっている」
「彼らにはやることがあるわ。私のわがままに付き合わせては駄目よ」
花蓉が呆れ気味に問うと、皓月は眉を下げた。
「正式に禁軍を辞めたんです。護衛として雇ってもらわないと私は路頭に迷ってしまいます」
「私にあなたを雇うお金なんてないわ。禁軍に勤め続けるほうがいいわよ」
「じゃあ、無償で奉仕しましょう。初恋の人に尽くすのは男の本懐だ」
皓月の冗談めいた口調に花蓉は小さくため息をついたが、完全に否定はしなかった。少しの沈黙の後、小さく「勝手にすれば」と呟く。
「玉盈、あなたは武家の娘よ。こんなことに付き合う必要はないわ。あなた達の贖罪はもう終わっているのだから」
「いいえ、花蓉様。これはわたくしの願いなのです」
玉盈はそっと花蓉の手を包み込む。
「友として側にいることをお許しください」
強い意思が宿る瞳に射抜かれ、花蓉は言葉に詰まった。物腰が柔らかい二人だが、こうと決めたら突き進む節がある。押し問答するだけ時間の無駄だと判断した。
ため息を吐いて、最後に璙雲を見た。
「行ってきます、璙雲」
その言葉に、璙雲は言葉を返せなかった。ただ、こみ上げるものを押し殺して、小さく頷いた。握り拳を解いて伸ばした手が、花蓉の肩をそっと叩いた。
「……無理はするな」
「うん」
靄はだいぶ晴れてきた。花蓉達は踵を返して王宮の門を越えていく。
その場にひとり残された璙雲は、小さくなる背中をじっと見送った。陽光が燦々《さんさん》と降り注ぎ、爽やかな風が木々を揺らしている。その音が、まるで彼女の旅路を祝福しているかのようだった。




