第一章 暗殺公爵の華麗なる転身
「スローライフの幕開けは、硝煙とワームの匂いと共に」
「――あー、はいはい。猫を助けてトラックに轢かれたのね。テンプレ乙。次の方どーぞー」
真っ白な空間。
目の前には、コタツに入り、ヨレヨレのジャージ姿でミカンを剥く女がいた。
自称・女神ルチアナ。
俺、青田優也。享年25歳。
都内の三ツ星フレンチレストランで副料理長を務め、激務の合間の休日にマンションの4階で寛いでいただけの男だ。
それなのに、窓からトラックが突っ込んでくるという物理法則を完全に無視した事故で死んだ。
「あの、俺は猫なんて助けてないし、そもそも自分の部屋のベッドにいただけなんだが」
「チッ……細かいことはいいのよ。こっちだって書類仕事が増えてテンパってんの! ほら、詫び石代わりに『ネット通販』スキルあげるから。とっとと行って」
女神は俺の抗議を聞き流し、鼻をほじりながら適当に手を振った。
強制的に光に包まれる俺。
薄れゆく意識の中で、俺は心に固く誓った。
(二度とこんな理不尽な目に遭うもんか。次は、自分の好きなように、美味い飯を食って平穏に生きてやる……!)
女神の事情なんて、知ったことではない。
◇ ◇ ◇
あれから25年。
俺はルナミス帝国のクライン公爵家長男、リアン・クラインとして、この「アナステシア世界」で生きてきた。
前世の歴史マニアの祖父から叩き込まれた総合古武術。
元S級冒険者の両親から施されたスパルタ教育と、常時回復魔法による人体改造レベルの魔力増強。
そして、女神から貰ったチートスキル『ネット通販』と、俺の表向きの能力である『召喚スキル』。
これらを駆使し、俺は公爵家の裏の仕事を一手に担ってきた。
夜な夜な街の悪党を暗殺し、隣国との戦争では影から敵の兵站を破壊し、指揮官を消し去る影の英雄として散々働いた。
――だが、もう限界だ。俺は疲れた。
俺が求めているのは、血なまぐさい派閥争いでも、終わりのない魔物退治でもない。
最高の食材と、美味い酒。そして平穏な睡眠なのだ。
だから、今日。俺はすべてを捨てることにした。
「――兄上! お考え直し下さい! わ、私に公爵家の全権を委ねると!? 誠ですか!?」
クライン公爵領城、執務室。
弟のクラウス(22歳)が、俺から手渡された分厚い羊皮紙の束(領地譲渡書類)を手に、目を白黒させている。
生真面目で正義感の強い、自慢の弟だ。
俺は旅支度を整えたリュックを背負い、この25年で一番の清々しい笑顔を向けた。
「あぁ、誠だとも。クラウス、お前は賢いし人望もある。領地経営も表の政治も、お前なら上手くやれるさ。後の事は任せた」
「なっ……お待ちください兄上! 兄上がいなくなれば、帝都の裏社会や他国の諜報員どもが黙っておりません! それに、兄上の圧倒的な力がなければ……!」
「お前ならやれる。俺は自分の人生を探しに行く」
「兄上ぇぇぇ!?」
俺は窓枠に足をかけ、そのまま夜の闇へと身を躍らせた。
落下しながら影魔法を発動し、一切の音を立てずに城壁の外へと着地する。
(ふぅ……やっと自由だ)
深呼吸をすると、夜風が心地よかった。
――一方、残された執務室。
クラウスは窓の外を見つめ、手元の書類を強く握りしめていた。
その瞳には、焦りではなく、狂信的なまでの尊敬の光が宿っていた。
「……そうか。ついに兄上は、表舞台のしがらみを捨てて、真の覇道へと歩み出されたのですね……!」
クラウスの脳内で、とんでもない飛躍が起きていた。
「この腐敗した帝国を裏から完全に支配し、あるいは神すらも討ち果たすための旅立ち……。兄上、このクラウス、貴方様が留守の間、必ずやこの領地を、いや帝国全土を盤石なものにしてみせます……!」
弟が勝手に重すぎる忠誠を誓い、この後、帝国の裏社会を過激なまでに物理で鎮圧し始め、大パニックを巻き起こすことになるのだが――そんなこと、今の俺には知る由もなかった。
◇ ◇ ◇
数日後。ルナミス国境付近の街道。
俺が目指しているのは、ルナミス帝国、ワイズ皇国、レオンハート獣人王国の三国の狭間にある緩衝地帯『ポポロ村』だ。
珍しい野菜が採れ、何よりどの国も手出しができない中立地帯。俺の第二の人生(実質三回目だが)を始めるには最高の場所だ。
だが、ポポロ村まであと少しというところで、俺の行く手を遮る影があった。
「げへへ……一人旅とは良い度胸をしてるじゃねぇか。人間の貴族様か?」
「兄貴ぃ、こいつの荷物、高そうな匂いがしやすぜ!」
現れたのは、身の丈2メートル近いホブゴブリンの集団だった。総勢10体。
粗末な棍棒を担ぎ、下卑た笑みを浮かべて俺を取り囲む。
「身包みを全部置いていきな! そうすりゃ命だけは助けてやらぁ!」
俺は深いため息をついた。
これだ。これだから野蛮な異世界は嫌なんだ。
せっかくの旅行気分が台無しじゃないか。
「やれやれ……俺のスローライフを邪魔するな」
俺は腰に下げていた「剣」を抜いた。
一見するとただの長剣。だが、その柄には回転式弾倉が埋め込まれている。ドワーフの技術と俺の現代知識が融合した特注品だ。
「あ? なんだそのナマクラは。そんなおもちゃで俺様に勝てると思って……」
「銃口剣――ガンモード」
カシャッ。
俺が親指で撃鉄を起こすと、刀身がスライドし、内部から漆黒の銃口が露出した。
剣が銃へと変形するギミック音に、ホブゴブリンが目を丸くする。
「な、なんだそれは!?」
「『ゼロ・インパクト』」
俺は無造作に踏み込み、先頭のホブゴブリンの眉間に銃口を突きつけた。
――パンッ!!
乾いた破裂音が森に響く。
銃口から放たれた.38スペシャル弾並みの魔力弾が、ホブゴブリンの頭部を内側から破裂させた。
「あ……?」
頭の半分を失った巨体が、どさりと崩れ落ちる。
仲間が死んだことを理解するより早く、俺は次弾を装填したシリンダーを回した。
「ぎゃ、ぎゃあああああ!!」
「兄貴が瞬殺されたぁ!! 逃げろぉ!!」
ホブゴブリンたちはパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
だが、甘い。
俺の平穏を脅かした時点で、お前たちはただの「害虫」だ。害虫は一匹残らず駆除する。それが厨房(世界)を清潔に保つシェフの鉄則だ。
「逃げられるわけないだろ?」
俺は逃走する背中に狙いを定めた。
パン! パン! パン!
正確無比な射撃。眉間、心臓、頸椎。
一発必中。数秒後には、動くものは何もなくなった。
静寂が戻った街道で、俺は銃口剣の硝煙をフッと吹き払った。
さて、死体があると野犬が集まるし、何より景観に悪い。
「出ろ、『喰丸』」
俺が足元の影に呼びかけると、ズルリと空間が歪んだ。
現れたのは、30センチほどのピンク色のワーム。つぶらな瞳をしているが、こいつの食欲はブラックホール並みだ。
「キュイ!」
「全部食え。血痕ひとつ残すなよ」
喰丸は嬉しそうに体をくねらせると、自分の数十倍はあるホブゴブリンの死体を、業務用掃除機のように吸い込み始めた。
バリバリ、ゴクリ。
ものの数十秒で、そこには争いの跡形もなくなり、のどかな街道だけが残った。
「キュップ」
「よし、良い子だ」
俺はゲップをした喰丸を影に収め、満足げに頷いた。
遥か彼方に、豊かな田園風景が広がるポポロ村が見えてきた。
あそこには、俺の求めていた美味い食材と、平穏が待っているはずだ。
「さて……やっと俺のスローライフ生活が始まるな」
俺、リアン・クラインは軽やかな足取りで歩き出した。
その村で待ち受ける、個性豊かすぎる住人たちや、俺を追って世界が勝手に動き出すカオスな展開には、まだ微塵も気づかずに。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




