幕間:H大学の奇跡とIESSAの失策
夜明けと同時に、H大学の研究棟は騒然となっていた。
私たちの監視チームが、真波悠人と冴木綾音の出国を阻止するため最終配置についていた矢先、H大学の電力システム全体に異常な現象が発生したのだ。
「報告! 大学全体の電力供給が、記録的な高安定度に移行しています! 変電所からの電力供給量を大幅に下回っているにも関わらず、電圧も周波数も完璧に維持されている!」
監視チームのリーダーである私は、大学の地下にある電力供給室へと駆けつけた。そこには、大沢教授と、東京電力の緊急技術者が、顔面蒼白で群がっていた。
「バカな! 電力メーターが振り切れているだと? しかも、熱損失がゼロ! まるで無限に湧き出る泉のようだ!」
大沢教授の怒号が響く。彼の足元には、悠人のデスクから消えたはずの試作型マナ電池が、静かに置かれていた。それ以外の電源はすべてオフになっている。
「教授、これは…」
東京電力の技術者が震える声で言った。「外部からの接続は一切ありません。あの小さなデバイス一つが、大学全体の、いや、周辺地域にまで、規格外の安定電力を供給し続けています!」
私は直感した。これが、真波悠人が言っていた「熱力学上の矛盾技術」の、世界への最初のデモンストレーションなのだ。そして、この現象は、私たちが彼らを追跡する上で、決定的な障害となった。
国際エネルギー安全保障機構(IESSA)の本部に戻ると、緊急会議が開かれていた。モニターには、H大学周辺の電力供給データが異常なグラフとなって表示されている。
「真波悠人と冴木綾音の行方は?」
議長が険しい顔で尋ねる。
「…現在、追跡は不可能と判断しました。彼らは今朝、成田から民間機で出国しています。しかし、問題はそれだけではありません」
私は、H大学での現象を報告した。無限のエネルギー供給。理論的な熱効率の限界をはるかに超えた、クリーンで安定した電力の出現だ。
「馬鹿げている! そんな永久機関など、物理学的にありえない!」
「しかし、現実にH大学は、完全に自己完結型の電力網に移行しています。この現象の調査と、技術の解析が、最優先事項となりました」
議長は唇を噛み締めた。彼らの真の目的は、石油メジャーや原子力産業の権益を守るため、無限のエネルギー技術を闇に葬ることだった。しかし、悠人はそれを彼らの監視下で「実現」させ、証拠を置いていってしまった。
「彼らは、我々の注意をこの『奇跡』に向けさせ、その間に本命のコアを運び出した。完全に、我々の上を行った…」
悠人の残した置き土産は、単なるエネルギー供給源ではない。それは、IESSAの組織を機能不全に陥れるための煙幕であり、既存の科学と権威に対する静かなる宣戦布告だった。
私たちは、アフリカへ向かった彼らの追跡を一時凍結せざるを得なかった。目の前にある「奇跡」を、どう隠蔽し、どう解明するかが、組織の存続に関わる問題となったからだ。
「大沢教授に、直ちに研究チームを立ち上げさせろ。そして、この技術の解析を最優先で行うこと。ただし、情報漏洩は絶対に許されない。これは、国家レベルのトップシークレットだ」
議長の命令は厳しかったが、既に遅い。H大学の電気は、この瞬間も静かに、しかし力強く流れ続けている。
私たちの失策は、世界を変えるための最初の一歩となった。悠人と綾音は、今頃、アフリカの灼熱の太陽の下で、次の段階へと進んでいるだろう。




