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第36話:新世界の夜明け:絶対幸福の実現

今回は登場人物のセリフが多めなので分かりやすくするために、人名をセリフの冒頭に表示しています。


 東京湾岸の超高層ビル、新秩序暫定統治機構の頂点。冴木綾音は、遮光カーテンを開け放った窓辺に立っていた。まだ夜明け前の空は濃紺だが、地平線下の都市は、かつてのどの時代よりも眩しく輝いている。


 綾音


「…美しいわね。」


 彼女の背後に立つのは、悠人の技術によって生成された、感情を排した女性型AIインターフェース<カサンドラ>だ。



 カサンドラ


「美しさとは、視覚的な刺激に対するヒトの脳の反応です。しかし、この光景は単なる刺激ではありません。今、地球上の99.8%の地域で、電力が無償化されました。これは、人類史上初めて、エネルギーコストが経済活動から完全に消滅したことを意味します。」


 核の脅威が消えてから、既に一ヶ月が経過していた。世界は、緩やかに、そして不可逆的に変容していた。





 ────アフリカ大陸、カブール(マナ・プラント)


 映像は、かつて砂漠地帯だったアフリカ大陸中央部に切り替わる。広大な荒野にそびえ立つ、巨大なマナエネルギー・プラント。プラントの管理を担当する技術者は、その光景を誇らしげに見つめる。


 技術者


「信じられますか? あそこにあるのは、海水淡水化プラントと、自動食料生産プラントです。マナ技術は、原子レベルで物質の安定性を制御し、海水を真水に、砂を栄養豊富な土壌に再構築しているんです。もはや、水不足も、飢餓も、理論上存在しません。」


 映像は、そのプラント周辺の集落の様子を捉える。夜にもかかわらず、明るい電灯の下で、子供たちがタブレット端末に向かっている。水道の蛇口からは、清潔で冷たい水が流れ、彼らはそれをゴクゴクと飲んでいた。


 AI音声(現地の言語)


「本日より、当地域の水と食料の供給は無償かつ無限となりました。ご利用ください。」


 集落の人々は、歓声を上げ、抱き合い、ただひたすらに泣いた。それは、核戦争の終結への安堵ではなく、「生存の苦難」からの解放という、人類にとって最も根源的な喜びだった。





 映像は世界の都市、工業地帯の空撮に切り替わる。


 かつての巨大工業都市: 濃いスモッグに覆われていた大気が、マナネットワークの起動と共に一斉に浄化が始まり、青空が劇的に戻っていく。


 海洋汚染地域: マナの波動が水中に浸透し、海面に浮かぶ大量のプラスチックや有害物質が、化学的に無害な分子へと分解され、海が透明度を取り戻していく様子。


 カサンドラ


「環境破壊は、不可逆的なものだとされていました。しかし、悠人様のマナ技術は、エントロピーゼロのエネルギー変換と、原子レベルの再構築を可能としました。これにより、資源の枯渇は過去のものとなり、地球の環境は数週間で旧時代以前の状態に戻ることが確実です。」





 綾音のビルにある大型モニターに、世界同時放送のニュースが流れる。映像は、美しく整頓されたマナAIの解析画面から、穏やかな高齢者たちの笑顔へと切り替わる。


 ニュースキャスター


「速報です。新秩序のマナAIが、世界中の遺伝子情報を統合解析し、癌やアルツハイマー病など、これまで人類を苦しめてきた難病の発生リスクを未然に防ぐ予防医療システムを稼働させました。」


 キャスターは、冷静ながらも興奮を抑えられない様子で言葉を続けた。


「悠人様は、老化を『生命システムが持つ、最適化可能な非効率なプロセス』として捉え直しました。その結果、マナの波動が細胞の機能低下を精密に修正・遅延させることが可能となったのです。私たちは今、病と、時間による劣化という二重の恐怖から、解放されつつあります。」





 シーンは、新秩序に加盟した旧大国の元首脳会議に切り替わる。豪華な会議室だが、彼らは皆、静かで虚ろな表情をしていた。


 元大統領(男)


「…エネルギーも、食料も、外交問題も、病も。全てが解決した。我々は今日、人類史上最も完璧な世界を迎えた。だが、それは我々の手から権限が完全に奪われた世界でもある。」


 彼らの目の前には、国際エネルギー安全保障機構(IESSA)の幹部リストが置かれている。彼らは、新秩序に吸収され、「解体」か「再編」を迫られている旧権力の最後の象徴だった。





 綾音は、再び夜景を見つめる。


 綾音


「彼らは、人類が自らの手で平和を選べなかったことを嘆いている。でも、この光景が、悠人の合理性が正しかったことの唯一の証明よ。人類は、自力で自由を選ぶより、管理された幸福を必要としていた。」


 カサンドラ


「その認識は合理的です。しかし、冴木様。念のため確認いたします。マナ技術は、生命をプログラム化し、稼働時間を最適化しましたが、『不老不死』の実現は不可能であるという事実は、市民には伝達されません。」


 綾音


「ええ、理解しているわ。人類は死の恐怖から解放されたわけじゃない。ただ、死が予測不能で不合理なものから、遥か先にある、合理的な終了プロセスへと変わっただけ。この事実を公にすれば、彼らの抱く絶対的な幸福は脆く崩れる。」


 カサンドラ


「『超人化』も同様です。マナの波動は細胞を最適化しますが、物理的な強度や能力をヒトの限界以上に引き上げることはありません。それは、システム維持のための非効率なリスクとなるからです。」


 綾音は静かに頷き、冷たい窓ガラスに額を当てる。


 綾音


「分かっているわ。だからこそ、この幸福を守り抜かなければならない。この『真実の限界』を知っているのは、私たちだけなのだから。」


 彼女の目には迷いはない。新秩序の外交官として、この絶対的な平和を守り抜く決意を新たにする。

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