第5話「忘れずにいるということ」
秋の風が、海沿いの町を静かに吹き抜ける。
藤原あかねは手帳を握りしめ、町の中心部へ向かっていた。
――もう、誰も消えないようにするために。
数日前から、町のあちこちで奇妙な現象が起きていた。
人々が特定の記憶を忘れ、存在が消えかける。あかねは気づいていた。これは偶然ではなく、町に流れる“忘れの季節”のせいだと。
そして今日、最後のページを開く。そこには、幼い頃にあかね自身が消えかけた日の記憶が残っていた。
【藤原あかね 6歳 海辺の公園で弟と遊ぶ 母の笑顔】
あの時、あかねは小さな日常の欠片を失った。
そして今、町の秘密を知る時が来た。
町の古い図書館――忘却帳に導かれるようにあかねは足を踏み入れた。
埃っぽい空気の中、中央に置かれた古い書物がひとつだけ輝いている。
「これ……?」
ページをめくると、そこには町の秘密が書かれていた。
――町の“忘れの季節”は、人々の心の痛みや恐怖を封じ込めるための魔法のような力だった。
忘れることで、人々は傷つかずに済む。しかし、その代償として、大切な人や出来事も消えてしまう。
あかねは理解した。
――だから、自分が覚えていることで、誰かを守ることができる。
しかし、忘れずにいることで、自分も傷つく覚悟が必要だということも。
手帳を握りしめ、あかねは静かに決意する。
「私は……忘れずにいる」
その瞬間、町の空気が柔らかく震え、消えかけた人々が少しずつ姿を取り戻す。
宮原結衣、図書委員の中条遥、転校生の弟・陸、そして山本紗耶――あかねが覚えていた人々の輪郭が、世界に戻っていく。
夜、海沿いの公園で、あかねは手帳を閉じる。
失われた日常の欠片は完全には戻らなかったけれど、確かに人々の心に光を取り戻した。
「忘れずにいること……それが、私にできること」
海風が髪を揺らす。
あかねの瞳には、町の未来を見つめる決意と、少しの切なさが映っていた。
忘れられる人がいても、あかねは覚えている――それだけで、この町にはまだ希望が残っているのだ。
そして、新しい季節がやってきても、あかねの“忘却帳”は、今日も静かにページを待っている。




