律令国家終焉
ちょっと変わった部分ですが、良かったら、ご覧下さい。
そして、一年の時が流れ、桐壺帝の一周忌が終わった時、宮中に激震が走った。
一周忌が終わったあと、源氏の君、左大臣、頭の中将、右大臣、桃園式部卿宮の五人は帝『これより朱雀院のこと』に招かれ、食膳をともにした。(下級の官人には改めて、禄、わりごなどが配られた。)
帝はいつものように、食膳をいただき、ご飯を入れたおみそ汁をいただき、茶をいただいた。そして、果物とからくだもの『菓子』をいただき、茶をもう一杯飲んだ。そして、まがり『木の茶碗』に入れたお水を飲んだ。
そして、控えている髭黒に「大きいまがり一杯に水を持って参れ。重大な勅を大官に下す故」と仰せになった。
髭黒は指図通り、大きいまがりを差し出すと、帝のななめ後ろに控えた。
「おもうさんの一周忌が終わった。御生前より、大きい改革をやろうと思っていたが、それを申しつける」
源氏の君や頭の中将は無感動な様子だった。どんな帝でも、摂政関白でも、就任の時は「改革」を唱えるからである。
しかし、桃園式部卿宮は真剣な顔つきになった。
「源氏の君よ。我が国はどのような国じゃ?」
「どのような国?・・・陛下をいただく神国にございます」
「そういうことを申しているのではない。国を動かす仕組みのことを申しておる」
一同に沈黙が流れた。しかし、桃園式部卿宮が気づいた。
「もしかして・・・公地公民のことを仰せになっていらっしゃるのですか?」
帝はうなずいた。
「左様。今、この瞬間をもって、公地公民、律令国家の制度を廃止する」
その瞬間、源氏の君と左大臣、頭の中将は、この世の終わりのような顔をした。
右大臣はまだ重要性に気づいていないようだった。
英明な桃園式部卿宮は帝のねらいに気づいたようだった。
源氏の君と頭の中将は、何かを奏上しようとしたが、あまりのことに、言葉にならなかった。
公地公民、律令国家とは天武帝、持統女帝のころより始められ、聖武帝の頃に全盛期を迎えた制度・仕組みであった。
全ての土地、全ての人民が「公」つまり天皇の所有と言う考えであった。
そして帝は口分田と言う土地を民の一人一人に与え、「租庸調」と言う税『物だけでなく、労働力の提供を含む』を徴収するのであった。
聖武帝の御代には東大寺、国分寺、国分尼寺を建立する権力、財力の源泉であった。
しかし、もう聖武帝の陛下の御代には、ひずみが現れ始めていた。
一つには、「租庸調」と言う税が重いため、口分田から逃亡する民が相次いだ。
そして、残った土地は、より力のある、より富裕なものが買い取り、富裕なものは一種の土豪になり、貧しいものはその下で働く小作となって行った。
また、もう一つには、藤原氏、源氏、大きい神社仏閣などは勢力を拡大し、私有財産を持つことを願った。
それを打破する大きい改革が、「墾田永年私財法」であった。開墾した土地を私有しても良いと言う法であった。それは、多分、民の意欲をかりたてるためのねらいではなかったか?と筆者は思う。
しかし、結果的には、「墾田永年私財法」はより富裕な豪族や、大貴族、大寺社が貧しくなってしまった民を使って勢力を拡大、私有財産を増やすだけになってしまった。また、古『いにしえ』の御代にも、「進歩」があるので、農業や技術の進歩により開墾された私有地の方が「公地」より多いぐらいになって来て、「公地公民」は有名無実化してきた。
そこに、さらに「公地公民」「律令国家」の崩壊を進めることが起こった。
「荘園」の登場である。
「荘園」と言う言葉は、多くの人が知っているが、その本質を理解していらっしゃる方は少ない。
ものすごく分かりやすく、かみくだいて言うと、「荘園」は「公地公民」の税などの負担を逃れた土地であり、『帝をはじめとする』大貴族、大寺社が土地を支配する、新しい「国の形」であった。
令和の御代を例えに説明したい。
例えば、安倍カンパニーとか、麻生商事と言う大きい会社があるとする。そして、そこに一定の会費を払って会員証を買ったり、社員になったりすると、「律令国家」の税や労働は逃れられるのである。
多くの人は、そこに殺到するであろう。
そして、カンパニーの主は、そうして得た収入は「税」として納めなくて良いのである。
『皇族、貴族、寺社の間の贈答などは「税」や「給料」でないとする。』
そのことを踏まえて、物語の世界に戻ってくると、帝、源氏の君、左大臣、右大臣、桃園の宮、みな荘園を所有し、そこの収入で暮らしていた。そして、地方の富裕な豪族、都の中流、下流の公家は大きい荘園の管理をする仕事『荘官』につき、上のもののおこぼれで暮らしていた。『現代風に言うと、トリクルダウンである。』そして、荘官の下には土地を守る武者や、小作がいた。『もちろん、兼業の者もいる。』
また、比較的、下級の公家、小規模な寺社は、民から預かった荘園をより、高官、大寺社に預け、○○荘、○○領と言う大きい荘園が成立していったのである。
そして「朱雀院」の物語に話は戻ってくる。
帝は仰せになった。
「今や、『公地公民』『律令国家』は完全に形骸化しておる。それ故、廃止を宣言。そして、『荘園国家』を作るため、公家、寺社の荘園全てを整理、記録する。荘官たちにも、改めて、官位官職を与える。その上で、みなに、荘園の収入から一定の税、年貢を納めてもらう。ここにおる五人は政権の中枢。まず、そなた様たちの荘園を整理し、下々に範を示して欲しい」
さらに帝は追い打ちをかけた。
「この中で、『公地公民』の収入だけで暮らしておるものだけ、異を唱えよ」
源氏の君、左大臣、頭の中将は、ぶるぶる震えていた。
その中、意外と動じなかったのは、右大臣だった。
「我が家の権力、財力の源は母后さまと陛下にございます。陛下がお望みなら、右大臣家の財産をなるべく早く調べてご報告申し上げます」
また、桃園式部卿宮も助け船を出した。
「私めは、たいして多くも持っておりませぬが、姫宮と調べて、ご報告いたしましょう」
帝はうなずかれたが、さらに驚くべきことを仰せになった。
「荘園国家には、荘園国家の法がいる。『律令格式』はもう時代遅れになってしまった。今、都は検非違使が守っているが、彼らは律令ではなく、慣習法で世の中を仕切っている。それを参考に新しき法を作る。源氏の君よ」
源氏の君はびくんと震えた。
「この改革は我一人の御代で終わることにあらず。源氏の君は東宮の後見人。我がかくれた『崩御した』後も、荘園の整理と新しき法作りをすすめよ」
源氏の君ではなく、右大臣が茶茶を入れた。
「陛下は、お若い時はお弱かったが、最近はご壮健。三人の妃殿下全員が身ごもられているではありませぬか」
帝は、ちょっと顔を赤らめたが、さらなる改革について仰せになった。
「今のは内政の改革。外交についても改革を行う。震旦、高麗『こま』では戦乱がうち続き、菅原道真公が遣唐使を廃止なさった。しかし、今でも、密貿易が行われておる。そこで、貿易も解禁し、外交、貿易を司る役所を設置したい。そして、貿易の利からも、一定の税を得たいと思う。また、陸奥の我が荘園を調査していたが、陸奥には異人『アイヌ民族か?』の王国があるらしい。そことも、あくまで和議を結び、貿易を進めたい」
平安時代の「鎖国」の終わりであった。
内政、外交の大転換を受け、源氏の君、左大臣、頭の中将は衝撃を受けて、帰って行った。
帝も緊張がほどけ、まがりの水を一気に飲み干した。
「やりとげられましたな」髭黒が労ってくれた。
「時は逆さまには流れませぬ。世の中は陛下の御叡慮の方向に流れて参りましょう」




