SS② ショッピングモール
とある日曜日のこと。いつものように避暑を兼ねて桜魔山を訪れた凛音は、ちょうどどこかへ出掛けようとしている縹とばったり出くわした。普段、登山客もいない桜魔山では青鬼であることを隠そうとしないのに、今は小麦色の肌と金髪をした、ちょっとやんちゃな人間スタイル。凛音がこれを見るのは二回目だ。
「縹さん、どこか行くの?」
「買い物だ」
「買い物!?」
意外な答えにも程がある。突然の大声に、近くに留まっていた小鳥がバタバタと大慌てで飛び去っていく。が、凛音の驚愕はそれ以上だ。思わず縹に詰め寄る。
「縹さんが? え、ほ、本気?」
「もちろんだ。どうしても入り用なモノがあってな」
「…………」
凛音は声にならない声で喘ぐ。驚愕、不安、危惧、困惑。縹が山を降りて人里に、しかも人間が営む商店へ行くことに、ひどく否定的になっている自分がいた。
もちろん、彼に店を利用する資格がないなどとは寸分も思っていない。縹は理性的な鬼だし、不要なトラブルなど起こさないだろう。そこは信頼している。
だが、不安がないのとは別問題だ。
なんか、こう……心配なのである。例えるなら、英語ができない我が子を単身アメリカに送り出す母親の気持ちというか……。いや、失礼なのは分かっているのだが、どうしても不安が押し寄せてしまう。
「あ、危なくない? 縹さん、山から出たことあんまりないんでしょ? 外にはほら、不良とかいるよ? 車もばんばん行き交うし、飛び出した子供と衝突事故起こしたり、野良犬に吠えられたりするかも」
「凛音は俺をなんだと思っているのだ……?」
表情筋の乏しい、岩のような顔面に呆れが浮かんだ。しかしすぐ元に戻ると、ややふんぞり返るように胸を反らす。
「勉強はした。現代の世のことも、話には聞いている。どうすればよいかは分かっているつもりだ」
「でも――」
「何かあれば、逃げることにする。心配は無用だ」
「う……。そ、そう。分かった。じゃあ、いってらっしゃい……」
「うむ。行ってくる」
どうやら意志は固いようだ。
縹は凛音を安心させるためか、頭にぽんと手を乗せると、背中を向けて大股で山を下りていった。その後姿を不安顔で見送った凛音だったが――やがて決意の表情へと変え、拳を力強く握りしめるのだった。
「ここが目的地か」
視線の先にそびえる建物を見上げ、凛音は心の中で「まあ無難かな」とふむふむ頷いた。
縹の後をこっそり尾行すること、小一時間。辿り着いたのは、とある大型商業施設。近隣にはこれといった娯楽施設もなく、休日は家族連れやカップルなどで賑わう典型的な田舎のショッピングモールだ。
日曜日である今日も大勢の客でごった返しているはずだが、たまたま人気番組のヒーローショーが広場で行われているらしく、家族連れが少ない分いつもよりも歩きやすくなっていた。子供に泣かれないかなどと失礼な想像をしていた凛音だが、ひとまずは安心である。
たまに縹の厳しい風体にびっくりしたカップルが大きく後退りすることもあるが、それくらいはいいだろう。もっともビビられた本人は至って無関心で、それより棚の商品に体が触れて落としてしまわないかの方に気を取られているようだった。
スーパーマーケットや飲食店、化粧品店などが入った一階をざっと見て回ったあと、目当てのものが見つからなかったのか、縹は二階に昇るエスカレーターへと向かった。
凛音も商品棚に隠れながら後を追う。
幸い、エスカレーターを利用する客は他にいない。縹が足を止める要因などどこにもない、はずだった。
どういうわけかエスカレーターの手前まで来たというのに、乗らずに立ち止まってしまう。少し離れた柱の影から顔だけだして見守っていた凛音は、どうしたんだろうと眉根を寄せた。
「なんで乗らないんだろう。忘れ物でも思い出したのかな」
しばらく観察を続けていると、凛音はふとあることに気がついた。縹は単に突っ立っているのではなく、時折足を踏み出そうとしては引っ込めるという動作を繰り返していたのだ。それが意味するところを察して、ハッと目を大きく見開いた。
「ま、まさか。これは……っ」
エスカレーターに乗るタイミングが分からなくて戸惑っている……!?
「おもしろっ……じゃなくて大変だ!」
まさかこんな漫画みたいなことが現実にあるなんてと内心胸をときめかせる凛音だが、そこは縹の尊厳を慮って顔には出さない。
――で、わたしはどうするべきだろう。
おそらく、縹はエスカレーターを見るのも初めてだ。けれども、どういった装置なのかは理解している。すなわち、動く階段だ。現代について勉強したと言っていたし、これも学んだ知識の内なのだろう。
使い方が分かっているのなら、手を出すのはお節介かもしれない。下手に声をかけて、こっそり尾行していたことがバレたら気まずい。だが、見て見ぬふりをするのもどうなんだろう。加えて言うなら、こうしてウジウジと悩んでいる間に他の客が来て邪魔になったら申し訳ない。
「よし、偶然会った体で行こう」
結構無理がある設定だが、強気で言い張れば押し切れる……かもしれない。
意を決して柱から出ようとした凛音だったが、その直後、雷で打たれたような衝撃を感じて立ち尽くした。彼女の目と鼻の先を、白い人影が颯爽と通り過ぎていったのだ。縹が立ち往生している、エスカレーターの方へと。
(えっ? あれは……)
縹も近付いてくる気配を察したのだろう。後ろの客を先に通すため、ちょっと振り返りながら脇に避けた。その逞しい二の腕を、白い人影は通り過ぎ様にぽんと叩く。
「先に通らせてもらうぞ」
どことなく面白がるような口ぶり。そして彼は立ち止まることなく、せり上がってきた踏み板に足を乗せる。
目立ちすぎる白髪。細身だが鍛えていることが分かる後ろ姿。皺一つないシャツとスラックスには心当たりがないが、それを白い着流しに変えれば――。
――う、うそ……。
「待ってくださいまし、白様~」
唖然とする凛音の目前を、見覚えのある上品な横顔が小走りで過ぎていった。
ノースリーブのフリルシャツと、黒いフレアスカートを身に着けて、足元を彩るのは黒塗りの下駄……ではなく、真っ赤なハイヒール。腕には化粧品ブランドの紙バッグを二、三個ぶら下げ、どう見ても常連客といった感じだった。
「…………は?」
い、一体自分は何を見ているんだ?
これは夢か、幻か?
そんな凛音の混乱をぶった切るかのように、二人は悠々とエスカレーターに揺られて二階へ昇っていく。その様子を観察していた縹が、思い切った仕草でとうとう踏み板に乗るのだが、既に凛音の思考は別のものに囚われている。
「いや、普通に買い物するんかい……」
桜魔に暮らす鬼たちの意外な一面を知った凛音なのだった。
〈おわり〉




