155話 義元、激怒の強行軍
天文15年(1546年秋)――15歳
今川屋敷での任務を、わずか半刻ほどで完了させた伊賀特殊部隊は、即座に西へと移動開始。俺の本陣との合流を目指し、夜陰に紛れて駿河の地を離れる。
一方そのころ――
三河の陣に陣取っていた今川義元のもとに、使者が駆け込む。
「なに? 今川館が……壊滅だと?」
その瞬間、義元の顔から血の気が引き、次の刹那には真っ赤に染まった。
怒りと混乱が一気に頭を駆け巡る。
「誰が……誰が、そんな真似を……!」
太い扇を握りしめる手が震えていた。
冷静沈着で鳴らす今川義元にして、この動揺は尋常ではない。
報せをもたらした忠臣に向かって、義元は怒声を上げた。
「戯けたことを申すなッ!」
そのまま抜刀し、怒りに任せて――斬り捨てた。
返り血を浴びながらも、なお義元の怒りは収まらない。
今川一族が皆殺しにされたという現実が、義元の理性を焼き尽くす。
血走った目で刀を振り回し、狂気のような叫び声を上げ続ける。
家臣たちは、誰ひとり近づくことができなかった。
ただ怯え、遠巻きに見守るしかなかった。
雪斎が、必死に義元を制止しようとするも、その声は届かない。
義元は、松平軍に向けてただ一言――
「今川軍は、駿河へ引き上げる」
それだけを告げると、返答も待たずに背を向けた。
そしてそのまま、大軍を率いて黙々と駿河を目指し進軍を始める。
誰に呼び止められても、歩みを止めることはなかった。
──その眼は、すでに狂気に染まっている。
誰の声も届かず、誰の言葉ももう耳に入らない。
***
“忍者調査隊”の報告によれば……
今川軍は──予想通り、東海道を東に向けて進んでいるという。
行軍の最中「今川館だけでなく、引間城、掛川城までが破壊された」ことを、義元は知らされたそうだ。
……もはや、その顔は“鬼”そのものだったという。
(残りの人生すべてを投げ打ってでも、俺を八つ裂きにしようと思っただろうな)
(はっきり言って怖い。義元の怒気で背中がゾクゾクする)
だが――
(もっともっとキレてくれ)
(怒り狂って、我を忘れてくれ)
(もっと行軍を急がせろ。兵を酷使し、今川軍をボロボロにしろ!)
トドメの一撃を加えてやる。
「今川館近くに隠れていた今川一族を、北畠軍が探し出して首をはねている」
そんな“偽情報”を、“忍者撹乱隊”に義元に伝わるように流させた。
義元が聞けば、血管がブチッといくレベルの情報だ。
これで完全にプッツンだろう。そのまま頭の血管が切れてくれても構わないぞ。
今川兵の疲労はさらに極限へと向かうはずだ。
“忍者調査隊“の報告によれば──
「効果は抜群。義元は殺気に満ち、鬼の形相で東海道を遮二無二に進軍しております」
――とのこと。
まさに、狂気の権化と化した義元がこちらに向かって来ている。
(怖い。……怖いけど、勝機はさらに近づいてきた)
我が家臣たちよ! 頼んだぞ……!
(絶対に負けるな……負けたら、俺、マジで八つ裂きか、火あぶりだ)
──これで、義元を始末する“舞台”が、着々と整いつつある。
俺は、大井川の東側──島田の地に……
「俺の陣はここですよ」と言わんばかりに、これ見よがしの陣幕を張り巡らせた。
幟もたっぷりと立てておいたし、風で倒れたら台無しになるので、しっかりと補強も済ませた。
……もっとも、陣幕の中は空っぽだけどね。
我が軍の全兵力は、オヤジたちが率いる伊賀特殊部隊を含め、すでに大井川の西岸──対岸側へと移動を完了しているのだ。
そこが、“本当の待ち伏せ場所”だ。
ヘロヘロになった今川軍が、俺の“空っぽの陣”を目がけて到着してくるのを待っている。俺たちは全員、地面に掘った穴や茂みに身を潜め、息をひそめている。
もちろん、よく見れば隠れているのは分かるかもしれない。
けれど──「奴らが目の前に来た瞬間、叩き潰す」
それだけの話だ。
すでに、獲物を待ち受ける“狩人の目”をした兵たちが、今川軍が来るだろう方向をじっと見つめている。
この地が──地獄の入り口になることを、義元はまだ知らないだろうな。
奴らには、忍びという“目”も“耳”もない。
こちらの動きを察知できるはずもない。
つまり事前に見つかる可能性など──限りなくゼロに近いのだ。
我が軍の陣容はこうだ。
今川軍の接近方向に向かって、最前列に特殊部隊600人。
その後方に槍隊4,000人を配置。
槍隊の両翼には、ライフル隊が2,000人ずつ展開。
さらにその後方には、爆弾クロスボウ隊が左右に500人ずつ待機している。
そして──その全員が、静かに、沈黙を保ったまま、その時を待っている。
やがて……地面がかすかに揺れた。
ついに今川軍の先陣が到着し始めたようだ。
だが、まだ動くわけにはいかない。
義元の本陣が来るまで、ここはじっと耐える局面だ。
今川軍はすでに隊列がめちゃくちゃに伸びきっている。
真ん中あたりに義元の本陣があるようだ。だが……すっかり我を忘れた義元は、進軍の陣形など気にかける様子もない。
ただ、ひたすらに──急げ、急げ、急げ!
兵たちは死にものぐるいで走らされている。
そう──俺を殺すために、それだけの理由で、狂ったように進軍を続けてきたのだ!
だが、代償は大きいぞ。
兵たちはまともに眠ってもいない。顔は土色、足元はふらつき、もはや歩くだけで精一杯だ。
140kmの強行軍を5日で踏破させられたのだ。
ようやく大井川にたどり着いた兵たちは、次々と地面に倒れ込んでいく。
もはや、周囲を警戒する余裕など──どこにも残っていない。




