帝王との邂逅
王家の馬車に揺られること、数日。
俺とリリアナは、ついに王都の門をくぐった。
「……ここが、王都……」
リリアナが、馬車の窓から外を眺め、息を呑む。
無理もない。俺も、同じように圧倒されていた。
アストリアとは、何もかもが桁違いだった。
天を突くようにそびえ立つ白亜の建物。石畳の道を埋め尽くす、人々の熱気。活気、喧騒、そして、この街全体が放つ、圧倒的なエネルギー。
前世で暮らした都会の風景すら、霞んで見えるほどだった。
だが、俺たちが最も衝撃を受けたのは、別にあった。
「……また、だ」
俺は、大通りに掲げられた巨大な旗を見上げ、忌々しげに呟いた。
白銀の生地に、雷を纏った聖剣の紋章。それは、この街に来てから、嫌というほど見せつけられてきた光景だった。
『雷帝』ゼノン。
この街は、彼の存在で満ち溢れていた。
大通りには、彼の肖像が描かれた旗が、まるで王家の紋章と並び立つかのように、誇らしげにはためいている。
広場に立てば、吟遊詩人が彼の武勇伝を高らかに歌い上げ、人々は熱狂的な喝采を送っている。
酒場に立ち寄れば、誰もが「次のゼノン様の武勇伝は、竜王討伐だ」「いや、魔王軍の幹部を一人で討ち取ったらしい」と、真偽も定かではない噂話で持ちきりだ。
ここは、ゼノンの国だ。
俺たちは、ただの冒険者ではない。この国の「王」に、戦いを挑もうとしているのだ。
その巨大すぎる現実を、俺とリリアナは、ただ呆然と肌で感じるしかなかった。
*
武闘大会の前夜。
俺とリリアナは、王城で開かれる壮麗なレセプションパーティーに参加していた。
眩いシャンデリアの光。床に敷き詰められた深紅の絨毯。優雅な音楽を奏でる楽団。
きらびやかなドレスや礼服に身を包んだ王侯貴族や、歴戦のオーラを放つ高ランクの冒険者たちが、シャンパングラスを片手に談笑している。
アストリアのギルドとは、あまりにも違う、華やかすぎる戦場。俺たちは、完全にその場の空気に飲まれていた。
「……すごい、場所ですね」
慣れないドレスに身を包んだリリアナが、緊張した面持ちで呟く。
「ああ。だが、本当の主役は、俺たちじゃないらしい」
俺は、会場の視線が、ただ一点に集中していることに気づいていた。
その中心にいるのは、もちろん、あの男だ。
『雷帝』ゼノン。
彼は、美しい女性たちを侍らせ、まるでこの城の主であるかのように、傲然と振る舞っている。
俺は、誰にも気づかれぬよう、そっと《神々のインターフェイス》を起動させた。
その瞬間、俺の視界は、天上の神々の熱狂で埋め尽くされた。
《美の女神オメガ》ゼノン様、素敵ですわ! そのグラスを持つ御姿だけで、私は……! 1,000,000G!
《闘神ガンマ》ははは! 良いぞゼノン! 大会を前に、既に勝利の祝杯か! 2,000,000G!
ゼノンが、優雅にグラスを傾ける。ただそれだけの仕草に、俺がこれまで稼いだ額とは比べ物にならない、莫大なスパチャが飛び交っていた。
だが、その時。
俺は、神々のコメントの中に、衝撃的な一文を見つけた。
《軍略の神》ふん、相変わらず、ゼノンはただの数字しか見ておらんな。奴のパトロンである軍神ゼータ様が与えるのは、定期的な『神託(スパチャ総額の報告)』だけだからな。この熱狂のコメントも、一つ一つの声援も、奴には届いておらん。
「……!」
俺は、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
そういうことか。
こいつには、インターフェイスはない。神々の「声」は、聞こえていないんだ。
奴が見ているのは、パトロンから与えられる、無機質な「数字」だけ。
俺は、自分とゼノンの、決定的な違いを理解した。
俺は、全ての視聴者と繋がり、その声援を力に変えることができる。
だが、こいつは、たった一人のパトロンの機嫌を窺っているに過ぎない。
(――勝てる)
俺は、静かに勝利を確信した。
この、絶対的な帝王の、唯一にして最大の弱点を見抜いたからだ。
「……ユウキさん?」
俺の表情の変化に気づいたのか、リリアナが心配そうに俺の顔を覗き込む。
俺は、彼女に力強く頷き返すと、意を決して、会場の渦の中心へと歩みを進めた。
「おい、ユウキ!」
背後から、リリアナの制止の声が聞こえる。
だが、俺の足は止まらない。配信者としての本能が、この絶好の機会を逃すなと、俺の背中を押していた。
人混みをかき分け、俺はついに、ゼノンの前に立った。
俺の突然の登場に、彼を取り巻く美しい女性たちが、訝しげな視線を向けてくる。
「……なんだ、貴様は」
ゼノンが、まるで道端の石ころでも見るかのように、冷たい視線を俺に投げかけた。
その瞳には、興味も、警戒も、何一つ映っていない。完全な「無」だった。
「初めまして、『雷帝』ゼノン殿。俺は、アストリアから来た、Cランク冒険者のユウキだ。あんたの噂は、かねがね――」
俺が自己紹介をしようとした、その時だった。
ゼノンは、俺の言葉を遮り、心底つまらなそうに、こう言い放った。
「ああ、知っているぞ」
彼は、俺を頭のてっぺんから爪先まで、値踏みするように一瞥すると、その完璧に整えられた顔に、侮蔑の笑みを浮かべた。
「辺境で小物をいじめて喜んでいるだけの、三流芸人だろう?」
ゼノンの言葉は、静まり返ったホールに、まるで氷の刃のように突き刺さった。
一瞬の沈黙の後、堰を切ったような嘲笑が、四方八方から爆発した。
ゼノンの取り巻きも、遠巻きに見ていた貴族たちも、誰もが腹を抱え、涙を流し、俺を指差して笑っている。
侮蔑と嘲りが、まるで物理的な波のように、俺とリリアナに打ち付けた。
「なっ……!」
リリアナが、屈辱に顔を真っ赤にし、一歩前に出ようとするのを、俺は手で制した。
彼女の震える腕が、その怒りの大きさを物語っている。
だが、俺は、笑っていた。
嘲笑の嵐の、その中心で。俺は、心の底から、愉快でたまらなかった。
俺は、嘲笑するゼノンに向かって、配信者として最高の、不敵な笑みを返した。
「――ええ、その三流芸人が、あんたには聞こえない『声援』を力に変えて、あんたの信者を根こそぎ奪う物語、楽しみに見ていてくださいよ」
俺の言葉に、ゼノンの眉が、初めてぴくりと動いた。
『声援』?『信者』? こいつは何を言っているんだ、と。彼の完璧に整えられた表情に、ほんの一瞬だけ、理解できないものに対する戸惑いの色が浮かんだ。
だが、その疑問に答えてやる義理はない。
俺は、これ以上ないほどに晴れやかな気持ちで、踵を返した。
リリアナの手を取り、嘲笑の渦の中から、まるで喝采の中を歩くかのように、堂々と立ち去っていく。
背中に突き刺さる、ゼノンのいぶかしげな視線。
それはやがて、獲物を見るような、殺意に近い敵意へと変わっていった。
二人の間に、決定的な火花が散った。
物語はついに、最終決戦の舞台となる、武闘大会へと動き出す。




