さ迷う番は、凍えた竜を抱き締める3
耳をつんざくような激しい落雷の衝撃音に、私は意識を浮上させた。
「………う……?」
ボタリと、大粒の液体が私の頬に降りかかり、横向きになっている顔半分が濡れているようだ。
拭こうと手を動かそうとしたが、思うように体が言うことをきかない。
ボタリと、また落ちてきた液体が私の唇に伝い、僅かな隙間から口内に入り込んだ。
しょっぱい?
「キュルルルキュルルル」
「い……」
今度は背中に生温かいものが触れて、痛みで思い出した。
私、怪我をして?
目を動かすと、私を見下ろす灰色の竜がいた。
「か……かい」
「キュルルル」
私が目を覚ましているのを見て、竜型の灰苑様がホッとしたように鳴いた。
いや、泣いていた。
両の瞳から大粒の涙を溢して、それが私の頬に落ちていたらしい。
泣かないで、と慰めたいのに声が上手く出ない。その間にも、灰苑様はたくさんの涙を私の頬に溢し、時折背中の傷を舐めてくれた。
何度も繰り返す、その執拗なまでの行為の意味に気付いたのは、痛みが遠退いて意識がはっきりしてきてからだった。
『竜の精』を与えられている。
「ありが……と」
小さな声しか出ないけれど、灰苑様は聞き取って応えて鳴いた。
それから、後ろを気にした様子で首を巡らす。
つられて私も視線を動かした方角、緩やかに下った草地の先には二匹の巨大な竜がいた。
「し……え」
灰苑様が翼を広げて私を庇った直後、パッと光に溢れた視界に一瞬目を瞑れば、轟音が耳と地面を揺らす。
分厚い暗黒の雲に閉ざされた空には、稲光りと落雷の前触れの不穏な音が鳴り響いている。
「グアアアアアア!!」
「ゴアアアアアア!!」
二匹の竜は、草花を散らし、地面に穴を開けながら、異様な鳴き声を立て組み合っていた。
離れた銀の竜が雷を操り、それが黒い竜の足元に落ちる。
「ギャウッ」
衝撃で跳ねとんだ黒竜が、私達の近くで転がった。
「あ……」
遠目には分からなかったが、彼の翼がない。
根元から噛み千切られたのか、背中から散った多量の血が緑の草を染めていく。
ヨロヨロと起き上がりながら、彼……黒苑様が確かに私を見た。
黒苑様は泣いていた。
楯になって庇う灰苑様を気にした様子もなく、私をじっと見て、目を細めた。
「ガアアアアアア!!」
翔んできた銀竜が、黒竜の背にのしかかり、鋭い爪で首を切った。
「しえ………ん、しえ…!」
その様子は異様だった。もう何の反撃もしない黒苑様の身体を幾度も引っ掻き、噛みつき、押さえ付けては雷撃を落とす。
優しい紫苑が、躊躇いなく弟を傷付けている。
「あ、あ……やめ」
私を見ない。
紫苑は涙を流して、慟哭の叫びを上げながら、弟の瞳に爪を立てた。一度、二度。
「ギャアアアアアアアアアアアアア」
黒竜の両目から眼球を抉る銀竜を、私は見ているだけしかできなかった。
ショックよりも悲しくて。
彼は狂ったのだと理解したら、胸が痛くて苦しかった。
狂うように仕向けた黒苑様が、哀れで悲しくて恨めしかった。
痛みに蹲り呻く黒竜の側に、爪先を真っ赤に濡らした銀竜が座っている。
ようやく攻撃を止めたと思ったら、焦点の合わない瞳で宙をぼんやりと見つめている。
「しえ…ん」
私が呼んだら、いつもなら直ぐにこっちを見てくれるのに、全く反応がなかった。
「ガアアアアアアガアアアアアア」
石のように固まっていた銀竜が、長く鳴いた。
「しえん」
聴いているのが辛いほど、悲しい鳴き声だった。ゆっくりと翼を広げた銀竜は、フラフラと揺れながら空中に浮き立った。
次第に高く飛んだ銀竜が、黒い雲に溶け込むようにして見えなくなった。
「う…うう」
私が死んだと思ったの?
きっと怖かったのだろう。私がいなくなると思ったら、怖くて考えたくなくて、だから狂った。
それほどに私を愛してくれていた。
痛いほどに理解できて、声も出せずに泣いた。
「キュルルル」
一緒に泣いてくれる灰苑様は、そんな私を起こそうと体の下に鼻先を潜り込ませようとした。
そこへ引き摺るような足音がしたと思ったら、いつの間にか黒竜が近付いて来ていて、私に鼻先を向けた。
潰れた目の代わりに、私の匂いを嗅ぐように頭を低く垂れていたが、やがて大きく口を開けた。
「ギュウウウ」
低く唸り声を立てた灰苑様が、私を守ろうと翼を広げて被さってくるので、私は少しだけ動けるようになった首を振った。
「いい、の」
戸惑う灰苑様を頭で押し退けた黒竜が、私の体を口で挟んで持ち上げる。
私はただ身を任せると、静かに目を臥せた。




