狂気の竜王
小国ネディヌの街。
人々が、曇り空を横切る無数の点を見て、それが鳥の群れではないことを知った時には、既に一軒の館が包囲されていた。
「行け」
緑色の竜から降りた黒苑が、大剣で館を指し示すと一斉に竜達が館を破壊しにかかった。
窓の割れる音が響き、屋根瓦が落ちていく。
驚いて外へと飛び出した人間は、たちまち竜に噛み殺されていく。
彼らの悲鳴を耳にしても、黒苑は壁を剥がされる館を見て気にも留めない。
館の内部が外から見え始め、隠れる場所もないと思われたところで、数匹の竜が中から飛び出してきた。
「グガアアッ!!」
上空で旋回した竜達が、黒苑に狙いをすまして速度を上げて飛び掛かろうとする。
そこを彼の周りを護る竜達が迎え討とうと舞い上がり、互いにすれ違いざまに血が散った。傷でふらついたところを、また別の竜が牙を向き、切り裂かれた館の竜達は次々と地面に激突して死んでいった。
その中でも一匹、淡いグリーンの雌竜だけが残り、群がる竜達を振り切ると、空に血の線を残しながら黒苑に爪を振りかざした。
大剣が風切り音を立てた時には、勝敗は決していた。
雌竜の頭を踏みしめた黒苑は無表情だった。
眉間へと突き立てた剣を引き抜くと、声も上げずに雌竜は地へと沈んだ。
竜が倒れていたそこに、竜化の解けた金髪の女が伏している。
「惨いことをする」
白い髪をサラリと揺らし、館から出て来た女が、死した彼女の傍に膝を付いた。
「白霧」
片手で竜達に制止をかけて、黒苑は白霧を見下ろした。
「すまぬな。そなたを巻き込んだ」
仰向けにした愛人に詫びて、その金髪を細い指で掬い取る。彼女の額の傷を丁寧に髪で隠すと、血に染まる顔を撫でた。
「ローゼリアの居場所を問いに来たか?妾は決して口は割らぬぞ」
「そうだろうとも。だから貴女にはここで死んでもらう」
「ほう?」
愛人を慈しむように見つめていた白霧は、伏せていた目に、ようやく王を映した。
「妾を殺すのか?殺してくれるのか?」
彼女は、薄く笑みを浮かべて立ち上がった。
「長寿の竜よ。貴女を殺せば、いくら兄上でも黙っていないだろう。炙り出す役を、その命をもって与えてやろう」
「そうか、狂ってきているのだな。黒苑」
王としては、あまりに軽率な行為だ。白霧は長寿だからこそ、人脈も力もある。支持する者も少なくないのだ。
私情を挟んで前王妃を殺すとなれば、反発も強まるだろう。
「お止めください、黒苑様!」
竜達の後ろから、突如人型の緑水が走り出てきた。
「いけません!白霧様を捕らえるだけではなかったのですか?!ローゼリア様の居場所だけ分かれば良いではありませんか!」
竜の尻尾に遮られながらも、必死で訴える緑水の言葉は、黒苑の心には響かない。情けも優しさも打算でさえ、彼には、もう何もかもが遠い。
「………良いのじゃ、緑水」
落ち着き払った声で、白霧は目の前の男を見据えていた。
「妾がこやつを噛み殺せば済むのじゃ。のう?楽にしてやる、黒苑」
「母様!」
灰苑が後ろから駆け寄り、母に取り縋ろうしたが、振り向き様に白霧は息子を突き飛ばした。
「邪魔立てするな!」
キッと睨み付ける彼女に、たたらを踏み唖然としていた灰苑の目から、やがて涙が流れた。
「母様………嫌だ、黒苑兄ちゃん」
「………誰も邪魔をするな」
黒苑が命じれば、竜達が下がって遠巻きに対峙する二人を見守る。
「灰苑………妾の息子よ」
背後で泣いている仔竜を感じながら、白霧は自らの黒いドレスの肩口を強く握り締めた。
「幼いそなたは、まだまだ長生きせねばの………強くあれ」
最期の言葉を贈った瞬間、纏う衣を引き裂いて、彼女は光を帯びて白い竜となり、黒き竜と化した黒苑へと牙を向けた。
「母様!あああ!!」
緑水に抱き止められた灰苑の悲鳴と二匹の竜達の咆哮が、降り始めた雨の音に切れ切れに木霊して、やがてそれも滴に呑まれて消えていった。




