天下る竜2
アメジストの瞳がゆらゆらと揺れている。覚悟を決めたように唇を引き結び、吸い込まれそうな輝きが一生懸命に私を見つめている。
「………俺はお前が嫌いじゃない」
「大き」
「大嫌いなんかじゃない………むしろ、こ、好ましく思っている」
言った途端、限界とばかりに目をさ迷わす紫苑に、私は思考が追い付かない。
好ましい?
そうだ、このヒトは私を庇って自らが傷付くことを選ぶようなヒトだ。
私は番の本能に則った行動だと思っていたけれど、本当にそれだけであんなことができるのだろうか。
「…………紫苑」
肩に置き忘れた手に手を重ねたまま、紫苑は少し俯いて言葉を探しているのか、それとも言葉を待っているのか。
「私を連れて王宮を出たのも、私を庇って怪我をしたのも……私なんかに、ここまでするのは番だから、よね?」
「それもある。だが……それだけじゃないと言ったら?」
重ねていた私の手を掴むと、それを両手で包み自分の顔に押し当てるようにする彼に言葉が出ない。
謝罪を受け入れた時、今まで疑い勘繰ってきた紫苑の言動の数々が、急に真実味を帯びてきた。
彼は私を嫌っていなかった。
そのことが私の中ですんなりと受け入れられた途端、ふと気付いた。
「………ローゼ。番を嫌う者など、この世にいない。だがそれだけじゃない、もう俺は分かっている。番であろうがなかろうが俺はお前と一緒にいたい」
手に触れる彼の頬は少し冷たい、それでも熱が伝わる。
自由がきく片手で私は口許を隠した。吐息が震えて息が苦しい。
私は、彼を嫌っていたかった。
だって、嫌われているなら嫌っていた方が苦しくないから。
だから今、嬉しいと……紫苑の言葉が泣きたいほど嬉しいと感じる。
ずるいヒトだ。私に選択の余地を与えようとしない勝手なヒトだ。嬉しいと恨めしい気持ちが混ざる。
「俺はお前が番で良かったと思っている」
そこまで言い切ったところで緊張で深く息をつく彼を見ていると、今までの言動が私の頭の中で、収まるところにすんなりと当てはまっていく。
俯いたまま私の反応を待つ彼に、同じ目線になるように座り込む。
私の視線にビクッと怯んだ顔をするので、その手を握り返した。
「ありがとう」
「お、俺の言いたいこと分かったか?」
「………………うん、ありがとう紫苑」
「………………え、それだけ?」
拍子抜けしたような彼の顔を見て、苦笑して視線を外す。
自分の気持ちに正直になってはいけない。それを伝えることもしてはいけない。
紫苑が私の為に、多くのことを犠牲にすることがあってはならないからだ。
私は怖いんだ。
引き返せなくなったら、彼を不幸にするだけだ。
モジモジと落ち着かない素振りを見せていた紫苑だったが、しばらくすると様子を窺いながら、そううっと私の頬に顔を擦り寄せてきた。
「ローゼ…………」
声音に甘えるような含みがあって、思わず笑ってしまった。とても100年生きた竜とは思えない。
ずっとこうしたかったとばかりに、懸命に頬を擦り寄せる子供のような仕草に、片手で背中を優しく叩いてあげていたら、前方から視線を感じて顔を上げた。
「紫苑様、ローゼリア様。早速ですが参りましょう」
「ひゃ!」
鞄を一つ提げた気難しそうな女性が目の前に立っていて、驚いて小さく悲鳴を上げてしまった。ついでに思わず奴を突き飛ばした。
「あうっ」
「あ、ごめん」
捨てられた竜のような悲しい表情をするので、手を引っ張って立たせる。
その間に緑の竜となった女性は、荷物をくわえると、背中に担いで脚を揃えて準備を整えている。
その後ろから二人の侍女が慌てた様子で駆けて来て、屋敷の門に既に王宮からの者が来ていることを伝えてくれた。
「ちっ、早いな」
不機嫌に言うなり、おずおずと私を抱えた紫苑が竜の背中に身軽に飛び乗った。
私を自分の後ろに座らせ、彼は竜の耳を手綱のように掴んだ。
「ローゼ、俺にしっかり掴まっていろ」
「うん」
「う……では竜よ、よろしく頼む」
お腹に手を回して上半身を背中に預けると、彼は小さく呻いた後に、足で竜の横腹を軽く蹴った。
すると、のそりと立ち上がった竜は、門から見えないように壁を垂直に這って下り始めた。
自然前屈みになって、怖くて彼の背中に引っ付いて悲鳴を堪える。彼が前にいなかったら、私は姿勢が保てずに落ちていただろう。
「こわ、怖ー」
「は、ローゼ、そんなにくっついたら、い……いっぱいいっぱいだ」
「ぐるる」
竜の女性が呆れたように小さく唸って、離宮の壁を下りきると裏手の林を抜けていく。
ついこの間初めて訪れた白銀国だが、随分長くいたような心持ちがする。
流れる木々の向こう側には湖がうっすらと浮かんでいて、晴れていく霧が水面を漂うのを横目に寂しさが募った。
もうここを訪れることはないかもしれない。
でも………
目を移すと、広い背中が風を受け、銀髪が光を流す。
いつか、このヒトは再び帰らなければならない場所だ。




