二十
二十
大きく開かれた眼は、いなくなった繚を探す。無い少女の手を掴むため、空を搔く。理解できない現実に、ミサエルは膝から崩れ落ちた。
月光に引き伸ばされた人影が、うなだれる少年の目に入る。ギラリと輝く剣を収めて、それは少年の目の前で立ち止まった。
「何をしているんだい。船はもう来ている。こうしている間にも、ノイズ化の影響は広まっているのだから一刻も早く――」
「レクタード!」
振り向きざまに剣を抜き、杖を止める。激昂する少年の表情を見て、レクタードは薄ら笑いを浮かべていた。
「いいねぇ。君がその気なら、こっちもそれなりに制裁を与えなくてはならないだろう」
一瞬飛び退き、距離を開ける。再度詰め寄るレクタードの目前で、爆発が巻き起こった。広がる黒煙から飛び出すレクタードに、尖った杖の先端を、力いっぱい突き刺す。しかし、予想された反動は無く、まるで空を切ったのかのようであった。
いつの間にか回り込んでいたレクタードの刃が、ミサエルの首筋を捉えかける。だが、地面から生えた氷の剣山が、彼に距離を開けさせた。
「なんかすごい音がすると思ったら、何やってんだろ。あの二人は……」
「上手いですね。爆発に紛れて幻影回避をしていたようです」
建物の屋根の上から、アッシュとギルジスは二人の様子を見下ろしていた。
「何それ?」
「ガンマンの職スキルです。いつの間にか拳銃も装備していますね。そしてあれに反応できた彼もなかなかに――」
冷静に観戦するギルジスに、大きなため息をつく。手にしていた盾を、鈍い音を立てて下に置いた。
「近くにいるんでしょ。止めなくていいの?」
ビリビリと空気を伝わり、金属どうしがぶつかり合う。随所で起こる爆発は、全てミサエルのものだろう。
「さて、アッシュ。あなたはどちらが勝つと思いますか?」
氷の剣山が弾け飛び、その破片がギルジスの頬をかすめる。完全に油断していたアッシュは、慌てて盾を向けた。
「そんなの、レベルが高いレクタードじゃないの?」
「本当にそうでしょうか」
三日月状の斬撃が飛び、宙に形成されていた氷塊を切断する。
「レクタードは、職スキルと武器とが噛み合ってません。同じくミサエルも、火属性は強力ですが、氷属性がいまいちです。それが、二人の戦いを面白くしているところですねぇ」
楽しそうにしているギルジスから、戦う二人に視線を戻す。立ち込める蒸気と煙が、一層、視界を悪化させていた。
飛んでくる小さな氷片を叩き落とし、一気にミサエルへと踏み込む。ほんの一瞬で彼に詰め寄り、大きな動作で切り上げる。地面に深い切り込みを入れながら、長い刀身は腹部へと高速で向かって行く。
圧倒的な攻撃速度を誇るダーインスレイブを前に、ミサエルは歯ぎしりした。
刃を止めようと伸びる氷柱を破砕し、浅いながらも負傷させる。ダーインスレイブはその血を吸い上げ、所有者に大幅なパワーアップを施す。
刀身を、白い光が辿ってゆく。
身の危険を察知したミサエルは、何重もの氷壁を間に構築する。冷たい冷気を纏ったそれは、何物も通さぬかのように見えていた。
真っ白な斬撃が、氷壁を叩き切る。
すべての壁を貫いて、それはミサエルの首元をかすめた。振り落ちる氷塊の中、怯む彼へと一直線に詰めより、強く蹴り飛ばす。激しく体を打ち付けて、ノイズの沼へと右手が触れた。
「目的を見失うな。お友達を作りに来たわけじゃない」
起き上がろうと手を付いたミサエルの首元に、剣先を突きつけた。
「お友達作りに来たのであれば、ここで死ぬといい」
レクタードがとどめを刺そうと剣を引いた時、思わず強く目を閉じた。
『ソコデオワリナノカ?』
ノイズ交じりの声が、ミサエルの脳内に響き渡る。
『リョウノコトヲワスレタノカ?』
ジリジリと侵蝕するノイズが、手首を越えようとしている。瞼の裏に写った小さな光が、激しく瞬く。
『キミノホントウノテキハ――』
小さな光へ手を伸ばす。
『ダレダ?』
光を掴むと同時に、激しい閃光が周囲を包む。
右腕がノイズに包まれる。それは腕ごと剣を形成し、レクタードの止めの突きはそれによって阻まれた。バチバチと、激しい閃光が巻き起こる。
「その眼、堕ちたか……」
燃え上がる炎のようなノイズが、右目から湧き上がる。押さえつけるレクタードを吹き飛ばすと、右にはノイズの剣を、左には黄金杖ケリュケイオンを携えて、ゆっくりと立ち上がった。
剣をしっかりと握り直し、ノイズ化したミサエルを見定める。どんな動作だって見落とすわけにはいかないと、常に警戒していたレクタードだったが、突然ミサエルは彼の目の前に現れていた。ノイズの剣をギリギリのところで、受け止める。途方もない衝撃が全身を伝い、激しく建物まで吹き飛ばされた。左手に持つ、黄金丈が輝き始める。空中に炎の球体が出現し、砂埃に包まれたレクタードをめがけて飛んでいく。
着弾と同時に爆発が巻き起こる。
押し寄せる熱波を背中に受けて、立ち去ろうとしたその時だった。いつか聞いたことがある独特の駆動音が響き渡り、まだ晴れない黒煙のなかから数多の弾丸が飛び出す。ミサエルは一切振り返ることなく、勢いよく氷壁をせり上がらせていた。
「大丈夫?」
徐々に煙は晴れて行き、巨大な盾が姿を現す。
「もういい、手を出すな。あいつは俺がやる」
剣を杖の代わりにし、ふらつく足で立ち上がる。
一人では勝てない。三人で協力するべきだ。
そう、提案しようとしていたギルジスだったが、彼の目を見た瞬間、口を噤まざるを得なかった。
「アッシュ、離れましょう」
いつになく本気のレクタードの為に、ギルジスが出来る事は無かった。唯一できたことと言えば、アッシュを連れ出すことくらいだった。
ミサエルが氷壁の陰から姿を現す。
ノイズで剣を作り上げ、右手でつかむ。金の杖と、銀の剣をそれぞれの手に持つと、素早く払った。
低い位置で剣先をミサエルに向けながら、一気に駆けだす。これを迎え撃たんと、ミサエルも飛ぶように接近する。金の杖を振り、いくつもの炎の球を放つ。全てのそれを剣で打ち払い、なお勢いを弱めることなく走り続ける。
体全体を振り子のように回転させ、強力な一撃を叩き込む。脇から狙ったその一撃は、銀の剣で受け止められる。武器と武器とがぶつかり合う衝撃は、激しい振動となり、周囲一帯に高周波をまき散らす。
ミサエルはレクタードの剣を受け止めたまま、金の杖を地面へと勢いよく突き刺す。瞬間的に凍る地面が、レクタードの動きを止めようと迫ってくる。冷気がレクタードに届くよりも早く、杖を蹴り飛ばす。金の杖は地面を離れ、ミサエルの手元で激しく回転する。
素早く片手を離し、腰の銃を抜く。一度離れようと当たったはずの蹴りはレクタードの体を貫通し、何にも当たらなかったようであった。
突如感じられる背後からの殺気に、振り返りながら銀の剣で切りかかる。振られた剣先は上方へと受け流され、ターゲットの遥か頭上をかすめ抜けた。
輝く銃口をミサエルへと突きつける。
受け流された回転をそのままに、金の杖は輝き始めた。魔法が放たれるよりも早く、真下へ、武器スキルである榴弾を放つ。直後の魔法も相まって、激しい爆発が二人を包みこんだ。
立ち込める黒煙は、これまで以上に視界を悪くしている。
黒煙の彼方から、一筋の光が飛び抜けた。曳光弾の光は長々と尾を引き、撃ってきた場所を特定させる。すなわち、ブラフ。かと言って、無視することもできない。
ここまでを一瞬で考えたミサエルは、弾が飛んできた方向へ幾重に重ねた氷壁を出現させた。壁を背に、武器を持つ手に力が入る。
どこからか飛んで来た榴弾が、足元で爆発した。その足元に気を取られたその一瞬の間に、頭上から襲い来るレクタードの存在に、彼は気づくことができなかった。
着地と同時に刃が首を通る。
たった一撃であったが、それが致命的なダメージ倍率をたたき出す。ほんのわずかに香威力を残し、踏みとどまったミサエルであったが、その血を吸ったホグニの妖剣ダーインスレイブは、装者に圧倒的な力を分け与える。
ミサエルの抵抗を一切許さず、振りぬいた剣を彼の胸元へと突き刺した。
膝から崩れ落ちるミサエルの胸元に靴底を当て、手荒く剣を引き抜く。横たわる彼のそれに目もくれず、レクタードは黒煙の中を抜けて行った。