↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『時間喰い』  作者: ネコロビン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/12

第12話 限界突破

鈍い音が響いた。

「ぐっ……!」

 レインの身体が後ろへ弾かれた。

 両足で踏ん張ったものの、勢いを殺しきれず、数歩後退する。

 腕が痺れていた。

 今の一撃も、どうにか防いだだけだった。

「おいおい。もう終わりか?」

 バルドが笑った。

 その呼吸は、ほとんど乱れていない。

 対するレインは、肩で息をしていた。

「はぁ……はぁ……」

「ギドを喰ったって聞いたから、少しは期待してたんだけどな」

 バルドは拳を軽く握り直した。

「お前、弱すぎるぞ」

 レインは答えなかった。

 答える余裕がなかった。

 速い。

 とにかく、相手の動きが速かった。

 いや、正確には違う。

 見えていないわけではない。

 拳が来ることは分かる。

 だが、どう避ければいいのか分からない。

 右から来ると思えば左から来る。

 顔を狙われたと思えば、次の瞬間には腹を殴られている。

 単純な速さだけではない。

 戦い方そのものが違っていた。

「……くそっ」

 レインは地面を蹴った。

 右拳を振るう。

 バルドは軽く首を傾けた。

 空振り。

 続けて左拳。

 これもかわされた。

「だからよ」

 バルドが踏み込む。

「そうじゃねえんだって」

 ドッ!

「がっ……!」

 腹に拳がめり込んだ。

 レインは身体を折り曲げた。

 さらに、横から拳が飛んでくる。

 避けられない。

 頬を殴られ、身体が横へ倒れた。

 アスファルトに肩を打ちつける。

「……っ、あ……!」

 口の中に血の味が広がった。

 レインは震える腕で身体を起こした。

 バルドは追撃してこなかった。

 少し離れた場所で、こちらを眺めている。

「……何で、来ない」

「あ?」

「……今なら、簡単に喰えるだろ」

 バルドは笑った。

「まあな」

 そして、肩をすくめた。

「でも、お前がギドをどうやって喰ったのか、まだ分かってねえからな」

「……」

「何か隠してんじゃねえの?」

 レインは唇を噛んだ。

 隠しているものなど、何もない。

 あの路地裏では、相手が女性を襲っているところを背後から掴んだ。

 長く触れ続けることができた。

 だから喰えた。

 正面から戦って勝ったわけではない。

 今になって、それを思い知らされていた。

     ◇

 レインは立ち上がった。

 膝が震えていた。

 脇腹が痛む。

 左腕は、まともに上がらなくなっていた。

 それでも、逃げるわけにはいかなかった。

 背を向けたところで、追いつかれる。

 そして、喰われる。

「……ひとつ、聞いていいか」

 レインが言った。

「何だ?」

「……あんたは、何人喰った?」

 バルドは少し考えた。

「さあな」

「……覚えてないのか?」

「人間なら、いちいち数えてねえよ」

「……時間喰いは?」

 バルドの表情が、わずかに変わった。

「……ああ、そっちか」

 男は笑った。

「二人だ」

 レインは息を呑んだ。

「……二人」

「ああ。《蜘蛛》に入る前にな」

 バルドは拳を開いたり閉じたりした。

「時間喰いを喰うと、身体が変わるだろ?」

「……ああ」

「最初は驚いたぜ。今まで持ち上がらなかったものが、簡単に持ち上がる。走るのも速くなる」

 バルドはレインを見つめた。

「お前も分かったはずだ。ギドを喰って、強くなったんだろ?」

「……」

「だがな」

 バルドが一歩近づいた。

「身体が強くなったからって、喧嘩まで強くなるわけじゃねえ」

 レインは拳を握った。

 悔しいが、その通りだった。

 身体能力が上がっても、使い方を知らなければ意味がない。

 目の前の男は、自分よりもずっと戦い慣れている。

「……そろそろ終わりにするか」

 バルドが言った。

 その声から、先ほどまでの楽しそうな響きが消えていた。

「お前、もう大して動けねえだろ」

 レインは構えた。

 だが、腕が上がらない。

 足にも力が入らない。

 バルドはゆっくり近づいてきた。

「安心しろよ。時間喰いなら、喰われるのがどういうことか分かってるだろ?」

「……」

「まあ、気持ちいいのは喰う側だけだけどな」

 レインの背筋が冷たくなった。

     ◇

 バルドが踏み込んだ。

 レインは拳を上げようとした。

 間に合わない。

 腹に一撃。

「ぐっ!」

 続けて顎を殴られた。

 視界が揺れた。

 身体が後ろへ倒れる。

 だが、地面に倒れる前に、バルドがレインの胸元を掴んだ。

「……捕まえた」

「っ……!」

 レインは反射的にその手を掴んだ。

 離そうとする。

 だが、びくともしない。

「無駄だって」

 バルドが笑った。

「お前、もう力が入らねえだろ?」

 次の瞬間。

 何かが、身体の奥から引き抜かれた。

「――っ!?」

 レインの目が見開かれた。

 寒い。

 突然、全身が冷たくなった。

 心臓を直接掴まれたような感覚。

 呼吸が浅くなる。

 身体の内側から、大切な何かが失われていく。

「が……ぁ……!」

「そうそう」

 バルドが満足そうに目を細めた。

「これだよ、これ」

 男の口元が緩む。

「あぁ……」

 恍惚とした声が漏れた。

「……いいなぁ」

 レインは必死に腕を振りほどこうとした。

 だが、力が入らない。

 バルドの指が、さらに強く胸元を掴んだ。

「……っ、離せ……!」

「もうちょっとだ。大人しくしてろ」

 時間が奪われていく。

 レインには分かった。

 このままでは死ぬ。

 確実に。

 喰い尽くされる。

 ――嫌だ。

 頭の中で、何かが叫んだ。

 ――死にたくない。

 身体が震えた。

 ――まだ。

 ――まだ、死にたくない!

 その瞬間だった。

 身体の奥で、何かが弾けた。

     ◇

「……ん?」

 バルドが眉をひそめた。

 レインの身体から、突然、強い力が伝わってきた。

「……何だ?」

 掴んでいた胸元が、ぐっと引っ張られる。

 レインが顔を上げた。

 その目は、先ほどまでとは違っていた。

「……離せ」

「あ?」

「……離せって、言ってんだよ!」

 レインの腕が動いた。

 バルドの手首を掴む。

 そして。

 力任せに引き剥がした。

「なっ!?」

 バルドが驚いた。

 次の瞬間、レインの拳が飛んできた。

 ドッ!

「ぐおっ!?」

 拳が頬にめり込んだ。

 バルドの身体が数歩後ろへよろめく。

 レインは荒い息を吐いた。

「はぁ……はぁ……!」

 何が起きたのか分からなかった。

 ただ。

 身体が動く。

 さっきまで上がらなかった腕が、上がる。

 震えていた足に、力が戻っている。

 いや。

 戻ったどころではない。

 今まで以上の力が、全身に満ちていた。

「……お前」

 バルドが頬を押さえた。

 そして、ゆっくり笑った。

「……そういうことか」

 レインは答えなかった。

 バルドは口の端についた血を拭った。

「限界突破か」

「……?」

「お前、今まで使ったことなかったのか?」

 レインは息を呑んだ。

 限界突破。

 初めて聞く言葉だった。

「……何だ、それ」

 バルドは呆れたように笑った。

「マジかよ」

 そして、拳を構え直した。

「時間喰いってのはな、蓄えた時間を使って、身体の限界を超えられるんだよ」

「……時間を、使う?」

「ああ。速く動く。強く殴る。普通なら出せねえ力を出す」

 バルドは肩を回した。

「ただし、当然タダじゃねえ」

 レインは自分の身体を見下ろした。

 確かに、力が溢れている。

 だが。

 何かがおかしかった。

 身体の奥に蓄えていたものが、猛烈な勢いで減っている。

 飢えとは違う。

 自分の意思とは関係なく、時間が燃えているような感覚だった。

「……っ!」

「気づいたか?」

 バルドが笑った。

「使えば使うほど、時間が減る。だから限界突破っていうんだよ」

 レインは歯を食いしばった。

 だが、今はそれしかなかった。

 目の前の男を倒すためには。

 生き残るためには。

「……だったら」

 レインは拳を握った。

「……使ってやる」

 バルドは笑った。

「いいねえ」

 そして、地面を蹴った。

     ◇

 今度は、見えた。

 バルドの拳が迫る。

 レインは身体をひねった。

 拳が頬のすぐ横を通り過ぎる。

「……っ!」

 レインは反撃した。

 右拳。

 バルドは腕で防いだ。

 だが、衝撃で一歩後退する。

「おっ……!」

 レインは踏み込んだ。

 もう一発。

 今度は腹を狙う。

 バルドは横へ動いた。

 拳が空を切る。

 だが、レインは止まらなかった。

 左拳を振るう。

 バルドの肩に当たった。

「……っ!」

 初めてだった。

 正面からの攻防で、相手に攻撃を当てたのは。

 レインはさらに踏み込もうとした。

 そのとき。

 突然、胸が苦しくなった。

「……ぐっ!?」

 足が止まる。

 身体が重い。

 さっきまで溢れていた力が、急速に失われていく。

 バルドは、その変化を見逃さなかった。

「……おいおい」

 男は笑った。

「もう息切れか?」

 レインは荒い呼吸を繰り返した。

 時間が減っている。

 恐ろしいほどの速さで。

「……はぁ……はぁ……!」

「だから言ったろ。タダじゃねえって」

 バルドが近づいてきた。

「お前、力の使い方が下手すぎるんだよ」

 レインは拳を上げようとした。

 だが、腕が重い。

 バルドの拳が飛んでくる。

 避けられない。

 ドッ!

「がっ……!」

 レインは地面に倒れた。

 背中を打ちつける。

 空を見上げた。

 青かった。

 雲が、ゆっくり流れていた。

 こんなときなのに。

 妙に、空が綺麗だった。

「……終わりだな」

 バルドの声がした。

 レインは顔を動かした。

 男が近づいてくる。

 もう、身体が動かなかった。

 限界突破。

 確かに強くなった。

 だが、使い続けたせいで、残っていた時間まで失ってしまった。

 自分の力で、自分を追い詰めたのだ。

「……くそ……」

 バルドがしゃがみ込んだ。

「まあ、よく頑張った方じゃねえか?」

 男はレインの首元に手を伸ばした。

「じゃあな」

 その指が、触れようとした。

 レインは、動かなかった。

 いや。

 動けなかった。

 だが。

 男の手が首に触れた瞬間。

 レインは最後の力で、その手首を掴んだ。

「……ん?」

 バルドが眉をひそめた。

 レインは、必死に指を食い込ませた。

 離さない。

 絶対に。

「……おい、無駄だって」

 バルドが笑った。

「もう、お前には――」

 その言葉が止まった。

 レインの身体の奥で。

 残っていた時間が、再び燃え上がった。

 ほんの一瞬。

 だが、今度は違った。

 先ほどのように、ただ力を出そうとしたのではない。

 目の前の男を、引き寄せる。

 それだけのために。

「……なっ!?」

 バルドの身体が前へ傾いた。

 レインは空いている手で男の襟を掴んだ。

 そして、頭を振り上げた。

 ゴッ!

「がっ!?」

 額が、バルドの顔面に叩きつけられた。

 男の身体が仰け反る。

 その隙に、レインは身体を起こした。

 掴んだ手首を離さない。

 バルドが反撃しようとした。

 だが、レインはその腕を引き寄せ、男の身体を崩した。

 二人が地面に倒れ込む。

「てめえっ!」

 バルドが怒鳴った。

 レインはその胸元を掴んだ。

 そして。

 喰った。

     ◇

「――あ……!」

 レインの喉から、声が漏れた。

 流れ込んでくる。

 時間が。

 失っていたものが。

 身体の奥へ、猛烈な勢いで流れ込んでくる。

「あ……ぁ……っ!」

 全身が震えた。

 苦しかった。

 痛かった。

 怖かった。

 死ぬと思った。

 そのすべてが、溶けていく。

 温かい。

 気持ちいい。

 いや。

 そんな言葉では、まるで足りなかった。

「ぁ……あぁ……!」

 レインの口元が、勝手に緩んだ。

 笑っている。

 自分が笑っていることに、気づいた。

 だが、止められなかった。

 胸の奥から、幸福が溢れてくる。

 何も考えられない。

 ただ、満たされていく。

「……や、め……」

 バルドが呻いた。

 男の顔から血の気が引いていた。

 レインの腕を掴み、引き剥がそうとする。

 だが、レインは離さなかった。

「……やめろ……!」

 バルドの声が震えた。

 レインは聞こえていた。

 聞こえているのに。

 手を離せなかった。

 いや。

 離したくなかった。

「……あ……ぁ……!」

 さらに時間が流れ込んでくる。

 幸福だった。

 生きている。

 自分は、生きている。

 その実感が、全身を満たしていた。

 バルドの腕から力が抜けていく。

 顔に皺が刻まれ始めた。

 黒かった髪に、白いものが混じる。

「……たす……け……」

 かすれた声。

 レインは、目を閉じた。

 そして。

 最後まで、喰った。

     ◇

 どれくらい経ったのだろう。

 レインは、ゆっくり目を開けた。

 目の前には、老人が倒れていた。

 いや。

 老人だったものが。

 バルドの面影は、ほとんど残っていなかった。

 頬はこけ、皮膚は乾き、髪は真っ白になっている。

 もう、動かない。

「…………」

 レインは手を離した。

 指先が震えていた。

 先ほどまでの幸福感が、まだ身体に残っている。

 胸の奥が温かい。

 身体は軽い。

 傷の痛みさえ、先ほどよりずっと遠く感じられた。

 そして。

 分かった。

 自分が、また強くなっていることを。

 ギドを喰ったときと同じだった。

 身体の奥に、今までなかった力がある。

 時間を取り戻しただけではない。

 身体そのものが、変わっていた。

「……また、喰った」

 レインは呟いた。

 目の前の遺体を見つめる。

 この男は、自分を喰おうとした。

 殺そうとした。

 だから、殺した。

 そう考えることはできた。

 だが。

 レインは自分の手を見つめた。

 先ほどの感覚を、思い出していた。

 あの幸福。

 あの至福。

 時間が流れ込んでくる瞬間の、言葉にできない快感。

「……なんで」

 声が震えた。

「……なんで、あんなに……」

 最後まで言えなかった。

 気持ちよかった。

 それを認めることが、怖かった。

 レインはゆっくり立ち上がった。

 周囲を見渡す。

 誰もいない。

 だが、ここは街の中だった。

 いつ誰が通りかかるか分からない。

 レインは震える手でスマートフォンを取り出した。

 画面には、セラからのメッセージが届いていた。

『まだ来ないの? お菓子なくなっちゃうよ!』

 レインは、しばらく画面を見つめていた。

 そして、短く返信した。

『ごめん。少し遅れる』

 スマートフォンをしまう。

 もう一度、遺体を見た。

 バルドは《蜘蛛》の一人だと言っていた。

 仲間を喰われたら、残った者たちが報復する。

 それが掟だと。

 つまり。

 これで終わりではない。

「……まだ、来るのか」

 レインは呟いた。

 風が吹いた。

 倉庫の壁に貼られた古い広告が、かさかさと音を立てた。

 レインは歩き出した。

 身体は、驚くほど軽かった。

 だが。

 胸の奥には、先ほどまでとは違う重さが残っていた。

 時間喰いを喰えば、強くなる。

 そして、喰うことは。

 恐ろしいほど、幸福だった。

 レインは自分の手を握りしめた。

 その幸福を、もう一度味わいたいと思ってしまった自分が、何よりも恐ろしかった。

第12話『限界突破』 終

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。