エア抜きの洗礼
達成感の余韻に浸りながらも、私たちは次の作業に移った。
キャリパーの組み付けと、ブレーキパッドの組み込みだ。
キャリパーに関しては、取り外しと逆の要領で組み付ければ良いので、難しい事なく完了した。
ブレーキパッドは、キャリパーを完全に組み付ける前に、ローター側にあるブラケットにセットしておいて、キャリパーを取り付ければ完成だ。
注意点としては、純正のパッドについている薄い金属の板は鳴き止めシムと言って、その名の通りキーキーと鳴くような音を止めるための物なので、社外パッドの見栄えが悪くなるからと、捨ててしまわずにきちんと取り付ける事。
そして、今回はオーバーホール後だから対象外なんだけど、キャリパーのピストンをきちんと戻しておくことがあるんだ。
減ったブレーキパッドを押すためにピストンは常に飛び出した状態になっているから、新品にする際には戻す事になるんだ。更に注意するのは、ピストンを戻すとリザーバタンク内に戻した分のフルードが逆流するために、溢れたフルードを吸収させる準備が必要になるんだ。
具体的にはリザーバタンクの蓋をきちんと開けておく事と、フルードを受ける受け止めるか拭き取る準備をしておく事。ちなみに、フルードをボディの塗装面に触れさせると、塗装に非常に良くない影響を与えるそうだ。
話を戻して、パッドを含めてキャリパーをきちんと組み付けた。
キャリパーから顔を覗かせるパッドは、今までの純正の黒から社外品のカラフルな色になって、ブレーキを見た際のアクセントと、ステイタスのようにも見えてちょっと誇らしかった。
とは言っても、これで整備完了じゃないんだよ。
この後にブレーキフルードの交換と、エア抜きという作業が残っているんだ。
その話をすると、七海ちゃんが言った。
「そうっスよね。ブレーキオイル入ってなかったら、止まらないっスよね」
そして、私たちのやり取りを聞いていた志帆ちゃんが
「先輩。ブレーキオイルとブレーキフルードは、どう違うんですか?」
と不思議そうな表情で訊いてきた。
「呼び名が違うだけで同じ物だよ。でも、正式名称はブレーキフルードだから、整備の世界ではブレーキフルードって呼ばれている事が多いよ」
と私が言うと、1年生のみんなは納得したように頷いていた。
作業に関しては、オーバーホールの終わったマスターシリンダーにあるリザーバタンクにブレーキフルードを満たした状態で、各輪のブレーキラインまで循環させて、最後に経路に噛みこんだエアを抜いて終了となるというのが事前に調べた手順だった。
そして、こういったブレーキ系の作業というのはマスターから最も遠い場所からやるのが原則なので、左後輪から始めた。
「なんで一番遠いところから始めるんですか?」
七菜葉ちゃんが訊いてきた。
私は、明確な理由が分からなかったので、そう言おうと思ったところ、私を一瞥した舞華ちゃんが次の瞬間
「それは、その方が効率が良いからだよ。一番遠くまで新しいフルードを循環させていれば、必然手前側までの経路も新しいフルードになってるでしょ」
と言ったところ、七菜葉ちゃんはニッコリして
「ありがとうございます。マイ先輩の話はためになります!」
と言った。
すると、舞華ちゃんはニコッとして
「でもって、私らもつい最近まで知らなかったから、やっていきながら調べたりして覚えていけば良いよ」
と言った。
作業に入るにあたって、今回も班分けをした。
まずはエンジンルームでフルードの管理をして、適時補充する班、そして左後輪班と右後輪班、更には運転席でブレーキをポンピングして、オイルを送り出す担当だ。
左後輪班と右後輪班は、終了後それぞれの前輪班に移動してもらう事になるように配置した。
ブレーキのポンピングに関しては七海ちゃんが立候補したので任せる事にした。
まずは、フルードを補充した状態で、左後輪のニップルというオイル経路のバルブのような所をレンチで緩めて開放した状態で、七海ちゃんがブレーキをポンポンと踏むポンピングをして、オイルを左後輪まで確実に循環させていく作業をやった。
ニップルの先には、透明な管が繋がれ、その先には500mlのペットボトルの蓋に穴を開けて管が貫通した状態になっていた。
七海ちゃんがガシガシとブレーキを踏むごとにブレーキフルードがペットボトルに流れ込んできた。そのブレーキフルードが、最初はちょっと濁った感じだったんだけど、何度もポンピングしていくうちに澄んだフルードに変わってきたので
「ストップ! それじゃぁ、エア抜きに移行して」
と私は思わず言った。
「ハイッ!」
左後輪を担当している美桜ちゃんの返事が聞こえると共に、エンジンルームの陽菜ちゃんがフルードを補充して、エア抜きがスタートした。
エア抜きは、ニップルを締めた状態で、七海ちゃんが3回ブレーキを踏んで、3回目は踏みっぱなしにする。
その状態で、美桜ちゃんがニップルを一瞬緩めてブレーキフルードをペットボトルに落とすんだけど、その過程でフルードに気泡が入っているので、この気泡が出て来なくなるまでこの作業を繰り返しやっていく作業だ。
ちなみに、フルードにエアが噛んでいる状態にしたままにすると、ブレーキを踏んだ際にエアが噛んだところは油圧がかからずにブレーキは効かず、ブレーキペダルが床までスコっと抜けてしまうというとても危険な状態になってしまう。
そうならないためのエア抜きなのだ。
「1、2、3、ハイ!」
七海ちゃんが言いながらブレーキをポンピングすると、美桜ちゃんは『ハイ』に合わせてニップルを緩めると、ポコッという言葉に相応しい気泡の混ざったフルードが排出されてきた。
「お願いしますっ!」
「よし、1、2、3、ハイ!」
ニップルを締めた美桜ちゃんが言って、七海ちゃんが返事と共にブレーキをポンピングする。
これを数回繰り返していった時、遂にフルードから気泡は出て来なくなった。
「オッケーです!」
美桜ちゃんが言うと、陽菜ちゃんが減った分のフルードを足してからちょっと大声を張った。
「それじゃ、右準備! 返事!」
「ハイッ!!」
右後輪側から真由ちゃんの声が聞こえて、私はそのやりとりにちょっと怖くなってしまった。
すると、後輪の監督をしていた沙綾ちゃんが
「ヒナちん! ここは格闘技連盟じゃないの!」
と言うと、陽菜ちゃんは『しまった』という表情になって
「燈梨さん、ゴメンなさい!」
と言ったので
「うん。これからはそういうの、ちょっと気を付けて貰えると良いかな」
私は言って、作業を続行して貰った。
◇◆◇◆◇
この要領で4輪を終えてタイヤを組み付けると、遂にブレーキ関連の作業も終えて、初期の基本整備はほぼ完了した。
その後、更なる完璧を求めて、パワステフルードの交換も行ってみたんだ。
ブレーキのそれと比べるとグッと作業難易度は下がっていたけど、ここまで本格的な整備を任される部車は初めてなので、みんなの目は爛々としていた。
正直、パワステフルードの交換に関しては、ほとんど行われたことがないように見えたので、効果は別としても意義は充分以上に感じられた。
これで、遂にセフィーロの基本整備は終了した。
「燈梨さん。まずはテスト走行お願いします」
沙綾ちゃんと七海ちゃんが一緒に言った。
私は、大した作業もしていないので申し訳ないような気がしたけど、部長で、免許取得者は私だけという状況を鑑みると、私が適任者だという事に気付いて
「分かった。それじゃぁ行くね」
と言うと、キーを捻ってエンジンをかけた。
ブレーキの整備後というのは、最初はブレーキがすっぽ抜けるので、何度もポンピングをしないといけないという知識はあったので、ブレーキペダルをポンポンと踏んでいった。
最初は、床いっぱいまでブレーキペダルが入っていってしまってビックリしたが、何度も踏んでいるうちに戻ってきて、更に最初はスポンジを踏んでいるかのようなフニャフニャのペダルタッチだったのが、段々ガシッとしたものに戻っていったので、すっかり安心した。
練習場を一回りしてみたが、エンジンも滑らかで、ブレーキも段々とよく効くようになってきて、ベルトの鳴きも無くなりすっかり復調した姿にとても嬉しさと充実感を感じていた。
さて、車が完調になったところで次の関門だね。
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■あとがき■
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