チェッカーフラッグ
私は、舞華ちゃんの今を思うと、とてもいたたまれない気持ちになってしまった。
その様子を見た悠梨ちゃんは
「ちょっくら、歩こうかぁ」
と言うと、私を連れて沙綾ちゃんのところへと向かった。
「どう?」
悠梨ちゃんは、ピットにあったジュースを持って沙綾ちゃんと1年の若菜ちゃんにそれぞれ渡した。
「悠梨先輩の走りも安定して速かったんですけど、マイ先輩のそれには凄い気迫が加わって画になるんですよ!」
沙綾ちゃんがジュースを一口口にしてから言うと、若菜ちゃんも
「凄いんです! マイ先輩の走りも……昔、お父さんの読んでた漫画で見た“オーラが漂う”っていう感じの凄い走りで、私思わず『なるほど』って思っちゃいました」
と興奮気味に言っていた。
私は、彼女たちの興奮は伝わったものの、気迫やオーラというものの実感が湧かないため、一体どういう事なんだろうと思っていると、沙綾ちゃんと若菜ちゃんの目つきが変わって
「来ましたっ!」
「了解ですっ!」
と息ピッタリの掛け合いで、カメラを手にした沙綾ちゃんに、ビデオカメラを構えた若菜ちゃんが続いた。
私たちも目を凝らして見ていると、直線路の遥か遠くに、米粒ほどの車の影が幾つか映った。
そのうちの1つがとても存在感を漂わせながら、私の目に飛び込んできた。
やがて、それが目視できるようになると、薄いオレンジ色であることが分かった。そうだ、私たちが制作したエッセだ!
「また1台抜いてますね……」
「若菜ちゃんね、こりゃぁ凄いよ」
ファインダーを覗きながら若菜ちゃんと沙綾ちゃんがボソッと、そして感動しながら言っていた。
私たちの方へとぐんぐんと近づいてきたエッセは、グッとお辞儀をするように前のめりになったかと思うと、キュッという感じで向きを変えてコーナーを曲がって姿を消していった。
それに続いて3台ほどの車が同じように曲がっていった。
通過した後、ノーマルエンジンの軽自動車なので、耳をつんざくような爆音はないのだが、駅のホームで通過列車をやり過ごした時のような、轟音と激しい風が私たちを遅れて襲ってきた。
私は、あまりの勢いに言葉を失っていると、悠梨ちゃんが
「いきなりだと、何が何だか分からないでしょ? もう2~3周見てみようかぁ」
と言ったので、頷いてその場で改めて待っていた。
その前を何台もの車たちが通り過ぎていったのだが、気がついたのは、確かにそれらの車の速さも結構なものがあるのだが、私たちのエッセと、その周辺にいた集団ほどの気迫のようなものを感じなかったのだ。
これが、みんなの言う気迫やオーラの正体なのだろう。
恐らく車が発しているのではなく、ドライバーから発せられているものが車に投影されてそう見えているのだろうが、それのあるなしで、これほどまでに迫力が違って、更には同じスピードなのに、速さが違って見えてしまうというのはとても不思議な事だった。
更に気がついたのは、コースを走っている車の台数が減っているという事だ。
なので、私は思わず訊いていた。
「なんか、走っている車の数が減ってません?」
すると、悠梨ちゃんが
「気がついた? 終盤になってきてリタイアが増えてるんだよ。さっき以降、事故は起こってないみたいだけど、車のトラブルは増えてきてるんだ。これが耐久レースの醍醐味であり、怖いところなんだよね」
と言った。
悠梨ちゃん曰く、レース終盤になってここまでの走り方が大きく現れてきたのだという。
序盤で無理めな走りをするのはどこのチームも一緒だと言う。
序盤に順位を上げておかないと、中盤以降で巻き返すにしてもその差が大きくなってしまうのだ。
しかし、中盤以降でどれだけ順位をキープしつつ、車を温存させていくかを考えていないと、終盤にきてダメージが蓄積されてきた車が音を上げてしまうそうだ。
ここからはピットも見渡せるが、そう言われてみるとピットに止まったまま動いていない車が何台か見られるのだ。
「さっき、ちょろっと偵察行ってきたんだけどさ、水温がヤバめなんてのは可愛いもんで、油圧かからないとか、ドライブシャフトやられたとか結構重篤なのもいたんだよね。だから、ちょっと無理させ過ぎなんだよ」
最初から車をどうもたせるかという話が何度も出てきているが、それをまざまざと見せられている様な光景だった。
「これが耐久レースなんだって、思わされますよね」
沙綾ちゃんが言って
「でも、ノーマル車でも、全開で連続走行させると壊れるっていうのがよく分かりました」
と若菜ちゃんも納得して言っていた。
私も頭では分かっていた原理だが、実際に目の前で起こっている事を見て初めて実感が湧いているのだ。
確かに、持久走で最初から全速力で走ってしまえば途中で息切れして走れなくなってしまうのは分かるが、車に関しては機械なのでどこかでセーフティ回路のようなものが働くのではないか? と思っていたので驚きは大きかったのだ。
そんな事を考えているところに、再び舞華ちゃんの乗ったエッセが現れたのだ。
カメラを構える2人の間から、私は車に目を凝らしていた。
前にここにやって来た時は、すぐ後ろに3台ほどつけていたはずなのだが、2台は車3~4台ほどの間隔に開いていて、もう1台はまだ姿を現していなかった。
1周する間に、3台を引き離していたのだ……いや、違う。
よく見るとエッセの後ろにいる車のうち、1台はさっき私が見たのとは違う車だったのだ。
つまりは、1周する間に3台を引き離し、更に前を走る1台を抜いたのだ。
「おおっ! マイ頑張ってるな~って燈梨ちゃん。今のマイの表情見れば分かるでしょ?」
私は、舞華ちゃんの様子を注意して見ていたのでよく分かった。
舞華ちゃんの走りは、ペースアップに躍起になっている人間のものではなく、周囲の状況と車の状態を完全に把握した上で、無理のない中でギリギリの走りをしているのがよく分かる。
舞華ちゃんの視線は、周囲を見渡した後でメーターにも走っているので、時々の状態が問題ないと判断した上での動きになっているのだ。
だから、車の動きに無駄や苦しさが感じられないのだ。
車が、行きたい方向に向けているように錯覚してしまうほどなのだ。
しばらくの間を置いて私たちの眼前にやって来た後続車のドライバーの様子も見てみると、まるでシンメトリーのような感じであった。
元々、舞華ちゃんの直後にいたミラのドライバーは、周囲と車にも目を配っているが、車がちょっと疲れ気味なのを労わっているように見えるが、舞華ちゃんに抜かれたトゥディのドライバーは、完全に目を吊り上げていて、前しか見ていない様子で、ミラのドライバーがそれを察して一歩引いている感じに見えた。
「ありゃぁ、ダメだね」
悠梨ちゃんが言った直後だった。
私たちの目の前のコーナーを抜けた後、ヘアピンに近い角度で曲がっているところを、トゥディは曲がり切れずに内側の砂地に飛び込んでいってしまった。
これが、自動車競技の奥深さなんだ。
私には、今日ようやく分かった気がした。
今までは車という機械を使えば、正直、人間の部分における差なんてさほどないのではないか? 正直、自動車部なんて他のスポーツと違って楽してるだけなのではないか? という問いに、私は明確な回答を持ち合わせていなかったのだが、今なら胸を張って言えるのだ。
これは、知力と体力、更には精神力の全てを駆使した究極のスポーツなのだと。
コースアウトしてしまったトゥディの処理は、残り時間も少なく、コース外の安全な場所のために中断せずに終了後の引き上げとなり、レースは続行された。
何度もやってくる舞華ちゃんの様子を見ていたが、完全にコンディションを把握している彼女の姿にすっかり安心していたところ、スマホのアラームが鳴り響くと共に、チェッカーフラッグが振られて、遂に長き戦いが終わりを迎え、レースが終了したのだ。
「やったぁ!」
私は、第一コーナー脇の茂みの中で悠梨ちゃん、沙綾ちゃん、若菜ちゃんと共にこみ上げてくるような喜びを分かち合った。