ピコピコハンマー
アラームが鳴ってからの10分は、とても長く感じた。
燃料の残りも計算上は問題がないため、ピット作業はドライバーの交代だけなのだが、何かできる事はないのか? とか、もし燃料が予想外に減っていたらどうしようとか、色々な不安が次々と頭の中をよぎってくるのだ。
ふと見上げてみると、七海ちゃんをはじめとした他の2年生も暗く沈んでいるのが見えた。
私は、せっかくさっき結衣ちゃんが場の空気を和ませてくれたのに、このままでは台無しになってしまうと思って
「みんな! やれることは全部やったんだから、そのお通夜みたいな雰囲気、なんとかしようよ!」
と言った。
すると、七海ちゃんが
「いや、それは分かるんですけど、でも、どこかに抜け落ちがあるんじゃないかって不安になっちゃって……」
と言ってまた下を向いてしまい、私の呼びかけは空回りになってしまった。
しかし、次の瞬間
“ピコッ”
という音と共に、七海ちゃんの頭にピコピコハンマーが振り下ろされて、見事にヒットした。
その方を見ると、ピコピコハンマーを振り下ろしたのは柚月ちゃんだった。
「ズッキー先輩」
「ななみん! 燈梨ちゃんの言う通りだよ。みんなが煮詰まってたら、控えのマイが一番プレッシャーになるって、分からない?」
七海ちゃんに対する柚月ちゃんの話し方は、いつもと違って、とても圧を感じる言い方だった。
いや、言葉自体は同じだけど、いつもの柚月ちゃんはもっと鼻にかかった話し方で、かつ語尾を伸ばす癖があって、もっと柔らかくてほわ~んとした感じがするのだけど、普通に話すだけで凄く印象が変わってしまう。
でも、言っている事は的を射ている。
この暗くいたたまれない雰囲気を打破するには、私たち2年生の雰囲気も明るくしていかないといけないのだ。
私は、自分の力不足を痛感してしまった。
柚月ちゃんは、その雰囲気を察したのか、普段の雰囲気に戻って言った。
「みんなも試合の経験あるでしょ~。緊張してる時に限って、勝てる相手に負けちゃったりするんだよね~。それと一緒だよ~」
七海ちゃん達は、徐々に色を取り戻してきたように見えた。
そこに舞華ちゃんがやって来て言った。
「そうだよそうだよ~。柚月なんか中一の段位試験の時、緊張しすぎて兄ちゃんのパンツ間違えて履いて来て、マジウケたんだからさ~」
「やめろ~!」
柚月ちゃんとのやりとりで、みんなの緊張はほぼ解けたように見えた。
そこで、私が
「それじゃぁ、最後のドライバー交代は、最初と同じフォーメーションでいくよっ!」
と言うと
「ハイッ!!」
と、元気良い返事が返ってきた。
そこに、舞華ちゃんが来て
「みんな~、そんじゃ頼むよ~……よしっ、メットはこれか」
と言って被ったのは、どこから持ってきたのかハゲヅラだった。
それを見た2年生のみんなが、思わず吹き出してしまった。
「マイ~! ドライバー交代近いのに、ふざけるなよ~!」
と言って現れた柚月ちゃんの顔には、パーティに使うヒゲメガネがかけられていたので、みんなが一斉に爆笑の渦に包まれた。
その後も、結衣ちゃんがピコピコハンマーを持って踊ったりしていたため、終始和やかな空気にすっかり戻ったところで、エッセがピットに入ってきた。
「いくよっ!」
「ハイッ!!」
私は、助手席側に素早く乗り込むと、シートベルトのバックルを外した後、各メーターの数値のチェックを行い、乗り込んで来た舞華ちゃんのベルトの調整も手伝った。
「燈梨、行ってくるね!」
言った舞華ちゃんの手が触れた時、その手が震えてるのを感じた私は、一瞬、その手を握ると
「みんないつも通り待ってるから、安心して行ってきてね!」
と言うと、舞華ちゃんは
「うんっ!!」
と言ってスタートして行った。
最後のドライバーを送り出した私たちはすっかり落ち着きを取り戻して、それぞれの配置へと戻って行った。
私は、車のデータと七海ちゃんから貰った周回ごとの順位記録を合わせて分析しているところに、悠梨ちゃんが着替えを終えて戻ってきた。
「長丁場お疲れ様です」
私が言うと
「いやぁ~。ゆるゆるっといってたから、そこまで疲れてはないよ~。車もそこまで疲労してないから、このままのペースで行けばゴール確定じゃね?」
と言って、私の集計している記録を覗いてきた。
「でも、ペース的には安定していて、崩れずに順位が上がっているから凄いよ!」
そう言うと
「そう? 私は今回、時間を3パートに分けたんだよ。最初は車を本調子に戻すことを主力においてクールダウン、次にちょっとペースを上げてギリギリ近くを攻める、そして最後は上げた順位をキープしつつ、またクールダウンってね」
とあっけらかんとして答えた。
私は、あまりにあっけらかんとして言う事ではないので、思わず聞き流しそうになってしまったが、同時にさっき舞華ちゃんが言っていた『悠梨はバンドやってたんだ。ライブ中のアクシデントやアドリブなんて慣れたもん』という言葉の意味することが分かった。
悠梨ちゃんには突発的なアクシデントをも楽しんで対処する余裕があったのだ。
普通であれば、突然1.5倍に増えた走行時間に対しての心構えができずに、ただただ我武者羅に走り続けるような事になってしまうと思う。
しかし、彼女にはこの突発的なアクシデントにおいても、優子ちゃんによって乱されたペースと、疲労しかかった車を元に戻しつつ、自分の走行順で若干のペースアップをして順位を上げて、それを死守した状態で最終走者の舞華ちゃんに渡すという3つの役割りを瞬時に把握して、それぞれの時間配分までも組み立てていたのだ。
それはデータが示しており、悠梨ちゃんになってからの順位は、当初から3分の1くらいまでは動きなしで、それ以降少しずつ順位に変動が出始めて上昇を続け、あるところからはその順位が変動していないのだ。
「でも、この順位になっただけでも凄くない? これは悠梨ちゃんのお手柄でしょ!」
私はちょっと興奮気味に言うと、悠梨ちゃんはへらっとして言った。
「マイは、ラストでスパートをかけてくるから、順位はこのままじゃないと思うよー」
「ええっ!?」
私は驚いてしまった。
舞華ちゃんがスパートをかけてくると言うのだ。
私はさっきまでの彼女を見ているが、彼女のどこからもそのような気負いが見えていないのだ。
彼女自身が『ゆるく楽しく、そして強くがモットーだよ』と言っているくらいなので、今日もずっとそれを体現しているし、現に優子ちゃんの暴走を諫めて選手交代させたくらいなのだ。
私はそこまで考えた時、思い当たる節がある事に気がついた。
出走直前、運転席に収まった舞華ちゃんの手がかすかに震えていた事を……。
彼女は、努めて明るく、そして楽しく振舞っていた裏では、アンカーとしての自分の責務というプレッシャーと闘っていたのだ。
今の順位は中の上くらいのところにいるが、恐らく上位入賞は無理だろうと思う。
確かに車自体はほぼイコールコンディションだけど、この競技に出るのも初めてだし、ドライバーとしての歴も1年未満の私たちのチームが総合力で至らない事はピット作業の手際だけを見ていてもよく分かっている。
彼女は一体、どこまで順位を上げてくるのだろう。
そして、それ以前に彼女自身は無茶をしたり、プレッシャーに押し潰されたりはしていないのだろうか?
私はそれを考えると、とてもいたたまれない気持ちになってきてしまって願ってしまった。
このままの順位で良いから、無事に戻って来て……と。




